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次元破断の魔術師  作者: 秋原
早蕨の塔

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石殿Ⅳ

 瞑目(めいもく)する老婆の周囲で、亡者たちが(にわ)かに震え出す。

 怯えている。物言わぬ無機物へと成り果てているはずなのに……。

 

 ――よせ、よしてくれ。

 

 耳を澄まさずとも聞こえて来る、痛切な悲鳴。


 ――お願いだ。(ゆる)してくれ。観たくない。もう、観たくないんだ。


 亡者の表面に、ぴしりと亀裂が奔る。

 砕けたわけではない。パズルのピースのような綺麗な裂け目。それが全身に及んでいく。


 ――やめて、やめて。どうか、それだけは。

 ――駄目だ。もう駄目だ。割れてしまう。


 上下に左右に、亡者たちは分解されていく。手にした槍も、汚物が()まった釜も、何もかもが破片となって選り分けられていく。自らの体躯(たいく)で覆い隠していたものが開帳されていく。


「……何よ、これ……」


 鏡を見ずとも解る。私の顔は、きっと蒼褪(あおざ)めているのだろう。

 地獄の坩堝(るつぼ)より真に降臨せしもの。

 それは、小さな黒い太陽だった。

 直系三メートルほどの球体で、支柱やワイヤーで吊るされているわけでもないのに宙に浮かんでいる。

 表面を覆うのは、(かすみ)にも似た漆黒の光帯(フレア)。熱は感じない。僅かに発光しているが、眩しくもないし、匂いも音もしない。

 だが、どうしても頬が引き()ってしまう。眼を()らしたいのに、逸らせない。


「まったく、何度見ても醜悪なことか。これに比べれば、私の創った地獄など児戯(じぎ)のようなものです」


 渦巻いている。

 漆黒の光帯の下で、どろどろに溶けた何かが(ひし)めき合って(うごめ)いている。

 人の顔……。指人形のそれよりも小さいが、しかし確かに生の脈動を放つ人間の顔が、蜂の巣のようにびっしりと太陽の表面を覆い尽くしている。

 何十、何百、いや、何千何万も。


「………」


 彼等は黒太陽の表層を流動している。流動しつつ、互いにぶつかり合い、押し潰されて死んでいる。圧力のバランスからか、バラバラに引き裂かれている者もいる。無惨に引き千切られている者もいる。死の連鎖。それが至るところで起きている。

 息絶えた顔。しかし、それはすぐに精気を取り戻す。

 飛び散った部品は瞬く間に寄り集まり、再び同じ顔へと復元する。

 その時の彼等の顔……。落ち窪んだ眼窩(がんか)(かげ)りを滲ませて唇を戦慄(わなな)かせる、その表情……。

 声は聞こえない。だが、皆、同じ言葉を繰り返していることはすぐにわかった。

 彼等はひたすらに魂の奥底からの嘆願を繰り返している。

 殺してくれ、と。


「いかがでしょうか? これこそが、早蕨の塔が秘める次元破断の断片――【無尽胎蔵(むじんたいぞう)】、その全貌(ぜんぼう)です」


 阿万鵺奏弦の声が遠くに響く。


「無尽……胎蔵……?」

「ええ、静蘭はそう呼んでいました。無尽胎蔵は、永久遡行(えいきゅうそこう)を司る断片です。火津摩さんは、ウロボロスを御存知でしょうか? 自らの尾を噛み、円環を成す蛇。永劫回帰、完全、永遠の象徴としても有名ですね。無尽胎蔵は、まさしくそれに該当します。この断片の権能に囚われたものは、事象のループを延々と繰り返すことになります。すなわち、無尽胎蔵顕現時に偶然居合わせてしまった不幸な彼等のように、永遠に死に続け、永遠に生き続けるようになるわけです」


 柊は呻くように問い掛ける。


「なんで、こんなものが……?」

「さあ。次元破断とは、時空と次元――数々の神秘を暴いてきた魔術師にとっても不可侵とされる領域に根差しています。如何なる不思議が起きてもおかしくなく、霧郡にはそうした次元破断の残滓(ざんし)が色濃く残る。であれば、永久機関の顕現もあり得るのでしょう。発生に関しては、そういうものだと受け入れるしかありません。問題は、これをどのように扱うかです」


 阿万鵺の声に力が籠る。

 黒帯に覆われた(かお)に浮かんだのは、紛れもない侮蔑と憎悪。


「この断片は、あまりにも(みにく)い。吐き気を通り越し、憐憫(れんびん)を覚えることさえ烏滸(おこ)がましいと思うほどに醜い」


 阿万鵺は耐えられないとばかりに首を横に振る。


「わかりますか、柊さん? 無限の再生と死の連鎖に閉じ込められた彼等が、なぜ嘆いているのか。それは、どれほど完璧に肉体を復元しようとも、脳の記憶系がリセットされようとも、魂に(わだち)として刻まれた記憶は()せることがないため……。つまり、彼等は知っているのです。自分たちが置かれた境遇――死の超克(ちょうこく)という絶望を」


 黒太陽の黒点――永劫に輪廻(りんね)彷徨(さまよ)う者たちを代表するかのように、阿万鵺は(うら)めし気に訴える。


「どのようなものにも、始まりがあり、終わりがある。終わりがあるからこそ未練が生まれ、それを断つために生涯を賭して理想を探求する……。それが生というものであり、これ無くして輝く者は存在しない。それを不当に奪うなど、まったくもって(おぞ)ましい……。しかし、だからこそ、無限胎蔵は私の創作意欲を刺激する。美の極致を求める私への、最高のアンチテーゼが此処にある……」


 そう呟くと阿万鵺は居住まいを正し、柊へと向き直る。


「私は、この闇を払拭(ふっしょく)するだけの輝きを生み出したい。無尽胎蔵をも覆す美しさを創り上げたい……。そのためであれば、貴方を援けることも(やぶさ)かではありません」

「……どういうこと?」

「火津摩さん、貴方には見どころがあります。美しく輝くための、素晴らしい素質がある。しかし、正直なところ、今の貴方では無尽胎蔵には勝てません。圧倒的な醜悪さを弾き返すこともできず、この老婆のように無力を晒すのが精々でしょう」


 言われて、柊ははっとする。

 未だ彼女はそこにいる。他の石像のように分割されていない。亀裂を免れ、ただ一人、静謐(せいひつ)な祈りを湛えている。

 なのに、今ではもう、何も感じ取ることができない。感動の欠片さえ湧いてこない。


「足りないのです。無尽胎蔵を照らし返すためには、もっと大きな輝きが必要になる……。だからこそ、私はその可能性を秘めた貴方を援助したい。貴方が次なるステージへと進むために、より素晴らしい未来へと到達するために、私は貴方に最大限の助力を申し出ます」


 こいつは何を言っているんだ、と柊は疑念を抱く。

 この期に及んで……誘惑? (たぶら)かすつもりだろうか。


(断片の権能も含めて、こいつの語る言葉には信憑性がない。何もかも、(にわ)かには信じられない……)


 しかし、阿万鵺は真摯(しんし)に言葉を紡ぐ。


「無尽胎蔵を貴方が欲するならば、差し上げましょう。但し、この断片は空間座標上に固定された存在。自らを保護する(さや)として早蕨の塔を生やした経緯からも解るように、おいそれとは動かせず、それゆえ私もこの地に留まることを余儀なくされています。無論、守護者たる以上、他者に無尽胎蔵を譲ることなどあってはならないのですが、しかし、仮想体なら話は別です」

「仮想体……?」

「永久遡行の権能を探るための疑似断片、と言ったところでしょうか。本物ではありませんが、事象解析のための極めて貴重な資料となることは間違いありません。五体満足で確実に持ち帰ることができる一定の成果と考えれば、悪い取引ではないと思いますよ」


 柊は(いぶか)し気な態度を崩さない。

 仮想体? 疑似断片? なんだそれは? よくわからない。

 それに、気になることは他にもある。取引であれば、当然、あるはずのものだ。


「……見返りは、私自身の身体? 貴方の芸術作品になることに同意する署名でもすればいいの?」 


 阿万鵺は軽く苦笑し、首を横に振った。


「まさか。私は自殺志願者に興味はありません。私は貴方の輝く様が見たいだけ。何かを強要することなどありません……と言いたいところなのですが、実は、複製体を造るには、とある材料が必要になりまして……」


 柊は眉を(ひそ)める。


「それを探して来い、と?」


 褒賞をちらつかせて、体良くこちらを操作するつもりか。

 警戒する柊に、阿万鵺は微笑で応じる。


「いえいえ、そんな手間を取らせるつもりはありません。なぜなら――そちらにもう、いらっしゃっていますので」


 黒帯で覆われた双眸を柊から視線をずらし、阿万鵺はその左斜め後方、内陣の何もない空間に向かって語り掛ける。


「弐神巽さん。私は貴方とも交渉したいことがあります。宜しいでしょうか?」


 ややあって、変化は劇的に訪れた。

 阿万鵺が見据えていた虚空が、ぐにゃりと飴細工のように歪む。

 半透明の(はね)を羽ばたかせ、無数の虹蝶(こうちょう)が一斉に飛び去り……。


「……幻蟲の光学迷彩を見透かすか。流石は魔眼使い」

「御褒めに預かり光栄です」


 鱗粉の放射が止んだことで、徐々に明瞭になる男の輪郭(りんかく)

 相変わらずのポーカーフェイスが口を開く。


「それで、俺に話というのは?」


 阿万鵺は(かしこ)まって答えた。


「私が皆さまの会話や行動の一部始終を覗き見していたことはご存じだと思いますので、単刀直入に。弍神巽さん。貴方の目的は、私に逢って、七凶聖の首魁である詩貴静蘭の居所を探ること……。そうですね?」


 柊は驚く。

 巽が身を隠していたこともそうだったが、阿万鵺がこちらの事情に詳しかったその原因に。


(久慈原から聞き出したからではなく、最初から全部筒抜けだった……? 電子機器の類は霧郡では使えない……。扶植石臍……? 遠隔監視用の臓器なんてものも造れるの?)


 しかし、巽は平然としている。

 もしかして気付いていたのだろうか? その上で、あえて指摘せずに泳がせておいた? 自分の訪問目的をストレートに相手に伝えるために……。流石に、防諜(ぼうちょう)措置を施すのが面倒だったとか、そんな理由じゃないはずだ。


「……そうだ。で、答える気はあるのか?」


 巽の問い掛けに、阿万鵺はにこりと頷く。


「はい。詩貴静蘭が何処で何をしているのか。私が知る限りにおいてお教えしましょう。しかし、その対価として、是非とも譲って欲しいものがあります」

「……何をだ?」


 阿万鵺は掌を差し向け、優雅に一礼する。

 巽の足元に(はべ)る、小さな影を招くように。


「貴方が雪と名付け、飼っている少女。どうかそちらをいただきたい」

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