追跡
目にも鮮やかな蒼炎が燃える中、最期まで耐えていた巨像が、とうとう膝をついて立ち止まる。
ボロボロと剥離する、炭の皮膚。
焼けては崩れ、崩れては焼け、輪郭は徐々に鮮明さを失って小さくなっていく。
が、それでも、巨像は這い進むことを止めようとはしない。
炎の嵐に溶けながら、巨人は大きく口腔を開く。
びゅうおううううう。
それは、慟哭でも絶叫でもない、腹部の空洞で熱された空気が喉から漏れただけの鞴の音。
ただの風鳴。ただの騒音。
だが、柊は一瞬だけ目を瞑る。
奇怪な唸りは天井を舞い、そして跡形もなく消えていった。
「………」
もはや、動く者は何もない。音を立てる者は何もない。
自分以外、此処にはもう、誰もいない。
髪を掻き上げ、息を吐く。
息苦しさはないはず。魔術の炎は酸素を燃焼しているわけではない。一酸化炭素中毒になることもなければ、酸欠でハイになることもない。この胸につかえる違和感も、単なる錯覚に過ぎない……。
「………」
結局は、自己都合を優先した。
久慈原から掃討を命じられた以上、他に方法はなかった。
けれども、噛み締めた奥歯から滲む苦さは消えない。
(いつまでも……、こうしているわけにはいかないでしょ……)
残存する石像がいれば処理しなくては。
柊は暗鬱にホールの入り口へと視線を巡らせて、
「え……?」
扉の影に隠れるようにして、一人の少女がこちらを見ていた。
清楚なシルエットのワンピースに、チャコールグレーの長袖カーディガン。
小動物のように丸く大きな瞳が印象的で、年齢は十に届くかどうか。綺麗に梳かれたロングヘア―が新雪のように白いことが気にかかるが、それさえ除けば、育ちの良いお嬢さんといった感じだ。
石像ではない。石化魔術にかけられた箇所もないし、なによりこちらを見詰めるその瞳には、操られていた彼等とは違い、明らかな自由自律の意思がある。
「……」
「……」
交錯する視線。柊と少女、どちらともに動けない。互いにひどく驚いていることだけがわかる。
(なぜ、こんなところに……? 石像の材料として塔の魔術師に攫われた? 石化前に逃げて来た? それとも、まさかあの子供が塔の魔術師……⁉)
いくつもの疑念が脳裏を巡る。混乱するままに柊は口を開こうとしたが、それよりも少女の動きの方が早かった。
少女は何かを決意するかのようにぐっと息を呑み込むと踵を返し、暗い廊下の奥へと走り去ってしまう。
「…………‼」
遠く消えていく足音に、柊は逡巡する。
どうする。罠かもしれない。
選択肢は二つだ。
追跡するか。それとも無視するか。
(仮にあの子が無実無害の第三者であったとして、私が追いかける義理はない。保護する謂れもない……。足手纏いになるのは目に見えている……)
だが、と脳裏で誰かが囁く。
(あの子は石化されていない。彼等は駄目だった。でも、彼女なら、今の私でも助けられる……。せめて、あの子だけでも……)
「はっ、何を馬鹿なことを考えているのよ! 偽善者ぶるのもいい加減にして! そんなことをしている場合じゃない。久慈原に早く追いつかないと……」
追いつき、全面的に謝罪。塔の魔術師の抹殺と、次元破断の断片の奪取に尽力する。
久慈原の機嫌を損ねた以上、そうしなければ生命がない。多々羅殺害の口封じも兼ねて殺されるわけにはいかない。
断片を持ち帰った久慈原の地位が上がれば、その小間使いたる柊にしても多少の恩恵にあずかれるはず。近習衆は無理だとしても、より騏堂の傍に近づけるようになれば、緩んだ警戒の隙を狙って一突きすることだって……。
よし、と柊は頷き、階段を目指そうとして足を踏み出そうとする。
が、脚は凍り付いたように動かない。
沈黙。
歯軋り。
頭を掻き毟る。
「あー、もう! バカ、バカっ‼ なんてバカなの‼ バッカじゃないのっ‼」
自分自身への憤懣を隠すことなく、柊は身を翻す。
そして少女の後を追うため、全速力で駆け出した。




