遭遇
体格差は一目瞭然。
大人の、更には魔術師の身体能力を考慮すれば、追いつけないはずがない。
だが、柊は未だ少女の背中を追い駆けていた。
遠い通路の奥で、少女が角を曲がるのが見える。
「ねえ、待って……! 待ってってば!」
呼びかけてみるが、立ち止まる気配はない。
やむを得ず疾走を続け、少女が消えた曲がり角の向こうを見て、柊は眉を顰める。
「また、これか……」
おそらくそこを潜ってホールへと来たのだろう、猟奇石像の間に巧妙に隠されていた一枚の扉を少女は開き、中へと消えた。
腹を括った柊は躊躇なくその後を追い駆けたが、扉の先はかなり入り組んでいて、更には行く手を遮るように石膏細工が茨となって茂っていた。強度はそれほどでもないのだが、それこそ通路を埋め尽くさんばかりに生えているのが厄介で、枝葉の隙間から奥を覗くのすら一苦労。
……いた。白いワンピースの端が、石膏の棘をするりと躱して消えていくのが見える。速い。もうあんなところまで……。
猫は自身の髭で通り抜けられる道の幅がわかるというが、少女の空間認識力もそれに劣らない。進行に適切なルートを瞬時に判断し、小柄な体格を最大限に生かすことで、どんな難所もするすると抜けていく。
「あー、もう!」
幸いにして、柊の身体はそれほど大きくない。胸や尻の厚みも薄い方だ。まさかそれが役に立つなんてと複雑な思いを抱きながら、柊は隙間道へと強引に分け入る。
当たるに任せて繊細な石膏の梢がバキバキと粉砕されるが、構ってなどいられない。
「止まって……! 止まりなさい!」
再び叫ぶ。が、やはり聞こえている様子はない。
距離の問題もあるが、それ以上に少女は駆けることに余程集中しているようだ。
恐怖心に囚われた逃走者なら、追手の位置を探るために一度ならず背後を確認しようとする。野生動物からしてそうなのだから、年端もいかない少女が本能的衝動に逆らえるはずもない。
おそらくは、こちらが追い掛けていることすら気付いていないはず……。
だが……果たして本当にそうなのだろうか。
(もしも、少女がこちらの存在に気付いているとしたら……。気付いた上で、誘導しているのだとしたら……?)
少女本人に殺意はない。では、彼女が何者かによって操られている可能性は?
一見したところ、少女は自身の意思で自発的に動いている。が、それが悪意による囁きの結果でないとどうして断言できるだろう。
丸め込まれた、報酬に釣られた、家族を人質に取られた……。そういった理由があれば、人は簡単に誰かを害せる。
また、そうでなくても、経験浅い無垢な少女を騙す方法などいくらでもある。
魔術で操作されている可能性だってあるだろう。
早蕨の塔の魔術師からしてそうだ。その魔術は石化に関するものだが、その権能は人間を石像へと変えるだけに留まらない。石化させた人間をある程度自由に動かすことだってできる。
猟奇石像との戦闘分析から、その仕組みは凡そ解明できている。
石化した手足の関節部を硬軟させ、疑似的な収縮運動を再現。それを中枢神経系からの指令に合わせて、逐次連動させるというもの。
(あの子の服の下がどうなっているかはわからない。可能性はある……)
が、疑問符も付く。
猟奇石像の動きはゾンビのように緩慢で、簡易なプログラムに従って行動するロボット玩具くらいの機能性しかなかった。子猫のように逃げる少女の、柔軟かつ俊敏な律動的動作を模倣できるかとなると、そこまで万能だとは思えない。
無論、奥の手を隠しているだけかもしれないが、それよりも危ぶむべきは、少女が本職――本人が自覚できないほどの高度な洗脳、精神浸食を行使できる魔術師によって操作されている可能性だ。
(塔の魔術師に、協力者がいる……)
早蕨の塔に潜伏する魔術師は一人きり。そう告げた多々羅の言葉が嘘でなかったとしても、断片の強奪を防いだ者の立場からしてみれば、いつまた襲撃があるのか気が気でなく、また断片を即座に安全地帯へと輸送することができないのであれば、ひとまず仲間を呼び寄せ警護を厚くしようとするのは至極当然の成り行きだ。
仮に頼るべき仲間がいなくても、霧郡には兎塚のように使い潰しの利く外法師が多数いる。ある程度の私財さえあれば彼等を用心棒として雇い入れるのは容易だろう。
(だけど、これがもし罠なら、そいつは私以上に私のことを理解しているわね……)
魔術師は非情にして合理的。一般人の生命など塵芥程度にしか関心を示さない。
だから、いかに儚く可憐であろうとも、単なる人間に魔術師が庇護欲をそそられるなど、任務の場では絶対に在り得ない。
つまり、そもそもからして少女は餌に成り得ないのだ。
(だとすれば、この出逢いはやっぱり偶然……?)
決めつけるのはまだ早い。それに、そうだとするならば、至急解決しなければならない問題がある。
(あの子は闇雲に走っているわけじゃない。辿り着くための、明確明瞭な場所がある。それは何処? そして、いったい何のために向かっている?)
茨道を抜け出すと、唐突に視界が開けた。
飛梁が施された円柱回廊。長く伸びる白亜の空洞で、息咳切らした少女が、きょろきょろと周囲を見渡すように立ち止まっている。
(此処が目的地? 何かを探している……?)
走りながら、柊は思案する。
いつまでも鬼ごっこに興じているわけにはいかない。多少強引でも行く手を阻んで捕まえるべきだ。
柊は掌に炎鎖を生み出す。相対距離を計算し、少女を取り囲む壁となるよう術式の組成を組み上げる。
蒼炎の光に気が付いたのか、少女が初めてこちらへと振り向いた。
怯えはない。ただ、ひどく驚いたような表情を浮かべている。
(そのまま動かないで……)
そう願いながら、柊が炎鎖を撃ち出そうとした、その瞬間だった。
少女の直上から、突如として巨大な暗緑色の塊が落下する。
縄状の形体をしたそれは凄まじい速度で少女の腰に巻きつくと、その小さな身体を軽々と持ち上げ、再び天井に向かって跳び上がった。
「……⁉」
少女を襲ったもの。それは、長い触覚、強靭な牙、軋む節に、キチン質の外殻骨を纏った魔術生成体――蟲だ。
ならば、その蟲と入れ替わるようにして目の前に降り立った、この男は……‼
「………」
丁寧に撫でつけられたオールバックの黒髪に、飾り気一つないシンプルな眼鏡。
喪服のようなダークスーツに無表情でこちらを見据える男の影から湧き出るのは、紛れもない魔力のざわめき。
(魔術師……‼)
この塔において、久慈原を除外し、柊に味方はいない。すなわち、出逢う魔術師の全てが潜在的な敵である。
しかも、保護しようとしていた少女を攫った以上、遠慮は何もいらなかった。
「……っ‼」
組成術式を緊急分解。
再組成と同時に編み出した四本の炎鎖を、柊は男へと叩きつける。
「………」
蛇のようにのたうち回りながら、無秩序な軌道を描いて男へと殺到する炎鎖。
男はそれを無言で見つめながら、とん、と軽く後ろに跳ぶ。
跳びながら右手を上げ、何かを掴むように拳を握り――




