食堂にて
「……ああ、成程」
仄暗い部屋の中で、一人の男が声を上げる。
「これは確かに面白い素体ですね。貴方が推薦するだけのことはある……」
死蝋のように白い細指。それを端正な顎の先に当てて静かに頷く男に、女は嬉しそうに微笑を返す。
「そうでしょうとも、そうでしょうとも。貴方であればきっと気に入ると思っていました」
長卓を挟み、向かい合って座る男と女。
ホストである男から饗された、芳醇な香りを放つ皿に舌鼓を打つ女は、巧みなフォーク捌きで鴨のローストを切り分けると、肉汁滴る塊を口に運ぶ。
「……もぐもぐ。まあ、あれですね。感傷と哀愁というやつですか? 彼女も元は世俗民ですし、そうした経緯から彼等にかつての自分を重ね合わせているのかもしれません。ですが、結局のところ苦悩は徒労。思考錯誤に無駄な労力を使い、決まりきった結末に自己嫌悪。精神を摩耗させるだけで百害あって一利なし……」
女はワイングラスに手を伸ばし、燭台の火に翳して紅い液体を透かし見る。
そして中身を一気に喉へと流し込むと、鮫のような鋸歯をぎらりと輝かせる。
「ですが、それがいいのですよ。まさに生を謳歌しているとは思いませんかー?」
その言葉に男は考え込み、女に問う。
「煩悶し、足掻くこと……。貴方は、それが生の集大成だと?」
「いえいえ、そこまでは。単純に私がサディストチックなだけかもしれませんしー。しかし、いずれにしましても、抗い戦う様は美しいものです。自身の生命が懸かっていれば尚の事」
「……生命というエネルギーが燃える様は確かに美しい。だが、それだけでは足りないと私は考えています」
男は椅子に背を預け、嘆息する。
「足掻く、つまりは生き汚さという点において、多々羅信篤は恰好のサンプルでした。彼の変貌魔術には興味があったので、解剖所見のために四肢を石化させたところで腹部を床に縫い留めておいたのですが、少しの目を離していた隙に逃走されてしましました。切り札に違いない髪の脚を必死に使って去っていく様には、それはもう始末を忘れて拍手を贈ってしまう程で。あの時の彼の形相……。あれこそ、生の執着そのものでした」
女はクレソンのサラダにフォークを伸ばす。
柔らかい葉の触感に、レモンとオレンジピールを削った柑橘系ドレッシングの香りを満喫する女を待って、男は会話を再開させる。
「ですが、美しかったかといえば否でしょう。きっと、それだけでは何かが足りないのです。一個の人間が齎す、最高の美しさ。それは生の極致にこそ存在すると私は盲信していますが、それがどのように生まれるのかまではわからない。どの瞬間に訪れるのか、どうすれば抽出できるのか、どうすれば永遠に遺すことができるのか……」
男は首を横に振る。
「失礼しました。お客様を前にしてする話ではなかったですね。話の腰を折ってしまい、申し訳ありません」
「いえいえ。元は私が振った話ですし、大事なクライアントとのお喋りであれば、自慢話だろうが猥談だろうがいくらでも付き合いますともー。あっ、いえいえ、これは別に貴方の御話がつまらなかったとか言うわけではありませんからー。あくまで一般論ですのでー。にゃはははは」
「構いませんよ。何百、何千と試行錯誤を繰り返しておきながら、未だ境地に至らぬ三流芸術家の戯言です」
「またまた、ご謙遜を。私としましても、大切な商品……もとい、大切な友人を貴方に紹介できて満足です。いやー、私としましても、まさかこんなところに柊さんが来るとは思ってもみませんでした。うーん、これも私と柊さんの紅い糸で結ばれた縁が成せる業ですかねー。きゃっ、恥ずかしー。ですが、ちょっと不味いかもです。お願いなんですけど、私が此処に来ていることは内緒にしておいてくれませんかー? 敵の魔術師と内通していたなんて判れば、柊さん、きっと怒っちゃうでしょうしー」
「まだ敵対すると決まったわけではないのですが……」
苦笑する男。しかし、女は嗤う。
「でも、気に入っても気に入らなくても殺すでしょう?」
「ふふふ、私にも役割がありますからね」
平然と答える男に、女は満面の笑みを見せる。
「人、それぞれに宿業あり。それ、逆らうことは赦されず……。ですから、私、柊さんが貴方に殺されようとも、恨み言一つ申しません。彼女に貴方が望む価値が含まれていることを伝えられて良かった。そう思うだけです。勿論、満足した暁にはそれ相応の御褒美を期待なんかしちゃっていますけどー」
「御褒美ですか……。さて、どうでしょうね。貴方が望むものを素直に渡せるほど、私の口が軽ければいいのですが」
「おやおや、まだまだ好感度が足りないようですねー。んー、手強い。早蕨の塔が六紡閣の襲撃に遭ったと知って、大急ぎで再襲撃メンバーを調べ上げて、陣中見舞いがてら、彼等のパーソナリティデータを無償提供までしてあげたのにー。はあ、がっかりです。塩対応しかしてくれないなら、他の攻略対象に浮気しちゃいますよー、ちらちら」
「静蘭には宜しく伝えておきますよ。まあ、あちらとの連絡は不定期なので、いつまでにと約束はできませんが」
「期待していますからねー。絶対ですよー?」
ジャガイモとカボチャを丁寧に裏漉したポタージュを呑み終えた女は、口元をナプキンで拭う。
「それでは恩の押し売りにも成功したところで、私は巻き込まれない内に退散しますー。御相伴に与らせていただきまして、ありがとうございましたー。ではでは、またお逢いしましょうー」
「はい、貴方もお元気で……。御帰りはいつものように裏口を使われますか?」
「ええ、そのつもりです。エントランスルートは火津摩・久慈原ペアが使っていますからね。何か問題でもー?」
きょとんとする女に、男は苦笑を浮かべる。
「今日は千客万来ですね。そちらからもお客さんがお見えになっています。……ふふ、しかも、これはこれは……。随分と想像が捗る二人組ですね。どのような関係なのでしょうか?」
「あー。ずるいですよ―。自分だけ石像の目を通して盗み見なんて。さっきみたいに私にもわかるように解説してください」
「私の工房に、塔の外へと繋がるエレベーターの隠し扉があります。……今、ロックを外しましたので、お帰りの際はどうぞそちらを。資材搬入用なので足元には注意してくださいね。……ああ、久慈原さんも真っ直ぐこちらに向かって来ていますか。さて、これはのんびりしてはいられませんね。急いで準備を……」
そう呟いていた男の動きが、唐突に止まる。
「……? どうしましたか、阿万鵺さん?」
人間の眼球は、網膜神経で受信した像を、電気信号として脳に伝達している。
それは元人間である猟奇石像も同様で、罅割れた蜻蛉玉のように眼球自体は石化しているが、視覚機能は最低限を維持するように調節してある。
そうした石像の一部の脳には、男が埋め込んだ奇怪な腫瘍が蠢いており、それは常に特殊な精神波長を発し続けている。
男の脳には受信機が埋め込まれており、意識を集中してチャンネルさえ合わせれば、いつでもどこでも彼等の視界を盗視することができた。
そうした視界の一つ――熱に弾ける寸前の歪んだレンズが捉えるのは、一面に噴き上がる灼熱の業火。
燃える。燃える。何もかもが蒼く燃えている。
緞帳も絨毯も、血も、情念すらも呑み込んで、炎は貪欲に地平を舐めている。
そんな炎に狂わされるように、夥しい人の影絵が踊る。
躓き、転び、二度と立ち上がれず、それでも遊び足りないとばかりに痙攣する様は実に滑稽で、愉快な童話の紙芝居を見ているかのような無邪気な気持ちにさせてくれる。
そして、だらしなく横たわるしかない自分を見詰める、彼女の瞳……。
「……ああ、良い。実に、良い顔をしていらっしゃる」
高まる昂揚に、男は陶然と口元を綻ばせる。
「火津摩柊さん。早く貴方にお会いしたいものです。私の求める最高の素体かもしれない、貴方に……」
微笑み、男はワインを口へと運ぶ。
その味わいは、陶然とするほどに甘露だった。




