クッキー缶
何回おかわりしたのかなんて下世話なことは貴族はいちいち数えたりしないのだ。手がかりになる数字は3……、一年生で食べなかったやつの数だが、これが一体何に繋がっているのか…。
パシー先輩に別れを告げ、夕方の帰路をてくてく歩く。
帽子は俺の元に帰ってきたが、知らん匂いがする。他の帽子の香水が移っただけだと信じたいが、気に食わない匂いだ。ので、人差し指を軸に帽子を高速回転させながら脱臭する。
うおおもっと速く、速くだ! 摩擦で指が痛いが、なんか面白いので止められない。前世と比べて娯楽が少ないからだろうか、フォークが落ちても笑ってしまえる人間に俺はいつしか魔改造されてしまっていた。倍速動画とか見たら多分鼻血が出る。
林を抜ける前に、澄ました顔で被り直した。無料のカフェをゲットできたのは熱いが結構遠いのが玉に瑕である。どこでもドアがあればなあ。
第四寮に帰った頃には、妙な達成感があった。迷わなくて良かった。
夜の礼拝から帰って、ようやく寄宿学校の1日の仕事が終わる。
寝巻きでベッドに転がっていると、隣の寝台から間抜けな腹の音が聞こえてきた。
「……今のニックスか?」
「……」
返事がない。へっ、こっそり俺は口角を片方にゅっと上げた。
こいつ、一丁前に恥ずかしがってやがるぜ。年齢で言ったらちょうど厨二病真っ盛り、まあクールガイみたいなキャラ作りをしているようなのでダメージも大きいだろう。ははは、大人になるための通過儀礼と思いたまえ。
大人気ないとは思いつつ、どんなツラしてんのか確認しようと寝返りをうった。
「? どうした?」
めっちゃ素面だった。なんやこいつ。
「いや、腹の音が…」
「空腹なら鳴るだろう。別に気にするようなものじゃない」
「ああ、まさしくその通りだな」
俺は取り繕った。こ、こんなパターンがあるとは……。
「クリケット部は結構遅くまでやるみたいだね。そりゃあ寝る前になったらお腹も空くわけだ」
「いや、まだ早い方なんだ。試合が近いともっと遅くなるらしい。それに、食事も量が多いとは言えないだろ?」
そうかな?
「ここに来る前の方が食べていた。間食には基本ビスケットしか出ないしな」
学食もじゃがいもばっかだからな。俺的には少なくはないし腹に溜まるが、おかわりはできない。胃が大きいやつだと大変そうだ。
「ふーん、あの時見た屈強な先輩方はどうやってあの肉体を保持しているんだろうな」
「外出したときに食べ物を買って、持ち込んでいると言ってたな」
「そういうのって、ご法度じゃなかったか?」
「形だけでも隠しておけば目溢しされるって」
「建前ってことね」
俺は視線を下に落とした。正確にはベッドの下にしまった荷物の中に。
実は豪華なクッキー缶が二つもある。二つて……母上殿は俺をどう思っているのか。食い意地が張っている姿など見せたことはない。食事の所作もエレガンスを気にしていたはずなのだが。
「だけど……一年はまだ外出許可が降りないからなあ」
ニックスは真剣な表情で眉を寄せた。
「まさか、お菓子すら学校内で手に入らないとは。ワーグナーも甘いものが恋しくないか?」
「ま、全くだ」
思い出すのは昼下がりに食べたベリーのアイスクリームである。ちょっと食べすぎたのか、夕食を食べ切るのが辛いぐらいだった。
なぜ俺が良心の呵責に苛まれなければならないのか。出してきた先輩が悪いだろ。
もう一度ニックスの腹の音が鳴った。おいおい、今度は顔が赤くなってないか。
「……」
「……」
赤くなられたところで気まずいだけだな。
「……げほん。ところで話が変わるが、家族がお菓子を送ってくれていてね」
俺はノブレス・オブリージュすることにした。なんたってこっそり貴族なんでね。
「お腹が空いているなら食べなよ」
「ワーグナー……!」
寝台の下から木箱を引き出して、中のクッキー缶を一つベッドの上に置いた。なんか、缶からして異彩を放っている。黄金色にぴっかぴかに輝いて、意匠がすごく細かい。アニバーサリー、プレミアム、リミテッドエディション……選ばれし民しか購入できないような単語がずらずらと並んでいた。
息子へのお菓子としたら大層すぎやしないか? 俺は内心引きながら蓋を開けた。
「……おお」
中身も負けず劣らず華やかな焼き菓子がずらりと並んでいた。
うおお、濃厚なバターの香り。チョコレート、キャラメル、ピール、ナッツ類、杏のジャム、食える花、盛れるものを全て盛り込みながらも上品さを失いたくない匠の技術が見て取れる。が、なんとか最終セットまで繋いだものの、無情な点差で敗れたような悲哀を感じた。
この山吹色のお菓子と同量の金、果たしてどちらが高いのだろうか。
めちゃくちゃ贈答品っぽい。仲間内で駄弁りながらむしゃむしゃ食べる類のものではない。
しかし押し通すしかなかった。
「どうぞ」
「えっ、いや、でもこれ……」
「ガッといけ」
「本当にいいのか?」
ニックスがためらっているので、フィナンシェを一つ手に取った。しゃーない、俺が手本を見せるか。いつの間にか静かになった寮室。なぜかニックスだけじゃなく部屋中の視線を受けて小さく一口を齧る。
「——うん、美味しい」
本音を言うと端っこすぎてあんまり味わからん。俺もチキりました。
ニックスが控えめに手を伸ばす中、ぎゅるるるるーと奥の方から新たな腹の虫が聞こえてきた。
「ぼ、ぼくも……」
「オレも…食べたい!」
「すげえバターの匂い」
「僕もお腹いっぱいになれなくて…」
ほー。
「構わないさ、遠慮せずに食べたまえ」
持ち主が満腹から一個目すら食べきれずにいる中、割とでかいクッキー缶はすぐに空になった。
俺は同室のガキンチョの人心掌握に成功した。畜生にきび団子をやった桃太郎はもしかしたらこんな気分だったのかもしれない。いや、俺は鬼と戦いたくないので桃太郎にはなりたくない。なんで犬猿キジと男一人で鬼の集団に勝ってんだ。凡夫の俺には縁遠い傑物の話だ。
とはいえ、おばあさんになったとしても、珍妙なオノマトペとともに唐突に流れてくる巨大な桃を確保する勇気もないし、おじいさんのように中の赤子に気づいていないにもかかわらず傷一つつけず真っ二つに切る超絶技巧もない。そもそもどんぶらこの”どん”と”こ”の部分って何だ?
世界の謎について考え込んでいたら、俺の手の中でまだ半分残っているフィナンシェっぽい焼き菓子を同室に物欲しそうに見つめられていた。うわっ目があった。
「ワーグナー、ありがとう」
「……ああ」
渡す前に言われてもな。
まあ俺はアイス食べたし……。アイス……うーむ、どっちの方が贅沢だったんだろう。




