クッキー缶②
エイデンでは朝食を食べた後は、毎日大聖堂でミサが行われている。
その中でも日曜日の礼拝というのはここでも特別なもので、特に力が入っていた。力が入るとどうなるか、長くなる。授業という歯止めが日曜にはないからである。普段はあんなに疎ましく思っていたのに、こういう時は恋しくなる。
人間というのは生来ツンデレな性質を持っているのかもしれない。
あとは、中央にはいつも声楽部の部員が軒を連ねているが、今日は服装が違う。中心部には白と黒のローブを着た20名ほどの生徒がいた。聖歌隊である。声楽部の中でも選りすぐりのエリートだ。
いつもより長い讃美歌を雰囲気で乗り越え、いつもより長い牧師の説教オンステージを眠気を噛み殺して耐える。
う、うおお姿勢は崩してはならぬ。ワーグナー嫡男たるもの。たとえ絶望が忍び寄ってきていたとしても!
そう、俺は今日エイデン校に来て初めて絶望した。日曜日もミサがあるお陰で朝惰眠を貪れる日がないという事実に。
しかし、ミサが終わって寮に帰ったら吉報が待っていた。二年生が普段よりのんびり紅茶を飲んでいて、不思議そうに見つめる我ら一年坊に向けて口を開いた。
「先輩たちは夜まで外出する予定だって。部屋掃除したら自由時間だよ」
「「「!!」」」
俺たちは目に光を取り戻した。
唯一日曜日だけは生徒の外出が許可される。学年によって門限は違い、上級生ともなれば夜遅くまで許可される。例に漏れず第四寮の上級生も深夜までぶらついてくるらしい。
つまり、部屋の掃除を済ませたら半日は雑役生制度とかいう呪いに脅かされることがない。つまり、二度寝ができるということだ。つまり、ビバ日曜日。
黒い制服から黒い外出着に着替え、いそいそ出ていく先輩方の背中を見送って、うきうき掃除をする。
そのまま雪崩れ込むように自分のベッドで寝入ろうとしたが、はた、と正気に帰った。
自分だけの部屋ならいいけれど、残念ながらここは6人部屋なのだ。気にしない奴は気にしないかもしれないが、名門貴族の端くれとして、普段自室でやっているようなだらけ切った姿勢を、誰かが見ている前で取ることはできないのだ。
後々なんかしくったとき、領地民の上前を跳ねて取る二度寝は美味しかったかとか言われかねん。市民革命が起きたときに、槍先に俺の頭部が掲げられる可能性が高まってしまう。庶民から搾取する悪徳貴族には滅びの道が待っているものである。
まずいですよ。隙を見せるな。
俺は理性を総動員してベッドの吸引力に抗った。まさか上級生になって個室が手に入るまで、消灯以降しか気を抜くことができないとはな……。
「ワーグナー何か震えてない?」
「ははは、寒くてね」
「え? 寒いか?」
寒いんだよ! 寝台に両手をついて耐え忍んでいると、隣でごそごそしているニックスが声をかけてきた。
「君はどこかいくのか?」
「クリケット部の活動があるんだ」
「そうか、頑張りたまえ」
「入らないのか? 先輩は待っているぞ」
「ありがたいけど後ろ向きに検討しておくよ」
忙しそうだしなクリケット部。せっかく転生したし青春をやり直すぞ! って俺は意外とならなかった。全体的にあまりモチベーションがない。共学じゃないからかな?
ニックスは着替えらしき荷物を抱えて去っていってしまった。他の奴らもなんか準備したり、あるいは堂々と寝転んだりしている。
ぐっ、くそっ。俺も貴族じゃなければ!
「……おれたち今から乗馬クラブ見に行くんだけど、…わ、ワーグナーはどうかな?」
「ありがとう、でも少ししたいことがあって」
「そ、そうかい」
昨夜きび団子をあげた成果が早速出ている。ニックス以外との会話量が増えた。まだ距離は感じるが。俺も眠気覚ましに部屋を出ることにする。寝転んでいるやつにこのままだと危害を加えかねない自分に気づいて。
もう一つ残ったクッキー缶を抱えて、階段を降りる。ああ、正直食べたい。もう寝転がりながら食い散らかしたい。だが——この袖の下の行き先は寮の管理人の懐である。
玄関ホールのすぐそばにある寮監室をノックした。もともと扉は開いていて、隙間から何人かの話し声が聞こえている。
「はい。何か? ——あら、おぼっちゃんじゃないですか。どうされました?」
寮母の一人が顔を覗かせた。
「これから五年間お世話になるので、きちんとご挨拶をしたくて」
「まあ、最初の日になさったのに」
「それこそ挨拶だけでしたから。よろしければ皆さんで召し上がってください」
持ってきたクッキーを差し出す。他の寮母も近寄ってきた。寮監教師はいなさそうだ。
「まあ、まあ、まあ……」
「クッキーが輝いているわ!」
「こんな貴重なもの本当にいただいてしまっていいんですか」
思ったよりも好評だった。ここの寮母は既婚子持ちしかいない。基本住み込みで他の寮母と交代で定期的に家に帰る仕組みになっているようだ。帰り支度をしていた寮母が家族の分を包んでいた。
「おぼっちゃん、困りごとがあればなんでもおっしゃってくださいね」
「何かわからないことがありますか?」
くくく、よしよし買収成功だ。
俺は何かないか考える素振りをして、前から用意していた頼み事をさも今思い付いたかのように話した。
「困りごとですかー……。うーん、そうですね。何かあったかなあ。……あ、そうだ。火の付け方を教えてもらいたいですね」
やはりプロフェッショナルに頼むのが一番だった。
雑役生なんてやったって所詮家事の真似事である。しんどいし辛いし汚いし義憤を覚えるが、結局のところ、そのような雑事を経験して忍耐を鍛えるのが目的だ。料理も寮全体の掃除も洗濯も担っている本職に敵うわけもなく。
調理場の余っているかまどで丁寧に教えてもらった俺はほくほくしながら彼女たちに別れを告げた。
いやあ、ニックスがこの前、暖炉の前で仁王立ちしていた俺を「こいつマジか」みたいな目で見ていたのでね。だって最初火が安定するのって時間がかかるから、見えなくても育ってるのかなって思ってただけなんですけどね。まさか消えてたとはね。
無知ではない、逆に知識があったからこそ犯した間違いと言ってもいい。賢いからこそ引っかかる落とし穴もある。あんな顔で見なくてもいいのにと思いました。あともっと早めに声をかけてくれたらよかったのにと思いました。
繊細な俺はその視線を受けて以来心理的外傷を抱え込んでいたのだ。




