学内新聞
演劇部の部室を無事に脱出したものの、さりとて悩みは尽きない。
その場凌ぎでやりくりしていたら、いつの間にか余計な負債を抱えているものだ。
たとえばこの鞭。
「……」
スコーンを食べていたときも、絶えず傍らにあったこれ。
マジでどうしよう。とりあえず植えとこうかな。持ち手埋めて上だけ出しといたら雑草っぽく見えるだろ。草木が茂っているところについてから致命的な問題に気づく。掘る道具とかないな。手でいくしかないか……。
「む? ワーグナー。そのような場所で何をしている?」
「先生の教鞭が落ちているのに気づきまして。拾う選択肢しかありませんでした」
あ、あぶな! びっくりしたー。
後ろ振り返ったら件の教師がいるんだもん。ホラーだろこれ。
「感心だな。確かに無くしていたんだ。しかしなぜそんなところに…」
「おそらくですが、鳥の悪戯でしょう」
「だろうな。君の暗唱は素晴らしかった。文学や詩歌に興味はあるのかね?」
「はい。スピアマンやネルソンを……。でもまだ浅学で」
「読みたいものがあれば研究室に来なさい。これからも励みたまえ」
「ありがとうございます」
国語教師は洗剤の匂いの残る教鞭に、首を傾げながら去っていった。あと1秒でも声かけが遅かったら、色々怪しまれていたかも。俺は元気すぎる心臓を押さえた。
我ながらちょっと不安になった。子供のときから嘘ばっかついてるやつは、大人になったらどうなっちゃうんだ。俺の将来大丈夫かな……。
誠実で嘘つき、このジレンマが俺を苦しめる……。
迫り来る時間に急かされながら、午後の授業の教室に向かっていると、いつもより空気がざわめいているような。なんか視線をすごく感じる気がする。
なんか、あの二人組、今俺を見て何か言わなかったか? あそこの集団絶対俺見てただろ。
「な…なんだ…?」
まさか俺があの教師の鞭をパクってたのがバレてたとか。それが広まってこそこそ言われてるのか。それぐらいでとも思うが、それ意外思い当たることがないし…。いや、見られていると感じているのが自意識過剰だったりして。
ひえー、こえー、だってなにもやらかしてないもん。ただの気のせいだよな。俺の認知機能が度重なるストレスによって、誤作動を生じてるだけだよな。
とはいえ不安の種は消えない。気持ち駆け足で進んでいると、俺の入る教室の扉の近くで、ニックスと同室どもが屯っていた。こんなこと今までなかったのに。
目を擦って見直したが、幻覚ではない。やっぱ俺なんかしでかしたのか。
このまま退学? 謹慎? 勘当? 島流し——?
いや待て、まだ慌てる時間じゃない。一旦影から様子見しよう。後ずさった瞬間、ニックスが視線をこちらに向けた。気づかれた。
「ワーグナー!」
「!!」
呼ばれてるー!
本気で気が遠くなりかけた。倒れ込まないよう、咄嗟に窓枠にしがみついた。その間にぞろぞろやって来て囲まれた。万事休すか。
「な、なに……? 僕は誓って何もしてないよ。勘違いだよ」
「勘違いじゃない。これを見てみろ」
なんだと。
目の前のニックスが手に持っていたものを渡してきた。
冷静なフリをして受け取る。
学内新聞って書いてある。あるとは聞いていたが初めて手に取ったな。結構クオリティが高い。だがそれがどうした? 視線を上げても促されるので、とりあえず紙面に目を通す。
まるっとでかいネタの特集らしい。
”今年度のセレクトと勉強会の会員特集”
ほー、大層だな、いちいち特集を組むなんて。
セレクトは上級生で色々目立つやつを集めたリア充集団だ。前世でいう生徒会の業務を担っている組織らしいけど詳しくは知らない。
へー、ニックスのとこのクリケット先輩もそうなのか。
とりあえずぱらぱらめくっていくと、今は亡きヴィクトルの写影が出てきた。おお、これが最新バージョンか。それからオルグレン、パシー先輩とかあまり知らない輩が色々出てきて、殿下が出てきて……。
「ああ! 今日が情報解禁日だったのか」
ちょっと前にそんなこと聞いてたな。色々あってすっかり忘れてたけど。ああー、それで見られてただけか。よかった。
俺はほっと胸を撫で下ろしたが、目の前のニックス含む同室の目つきは穏やかではない。
「お前マジであの時、どの立場からジューンベリーのこと聞いてたんだよ……」
「……えーと」
「ウィルソンのときだって言えばよかったじゃないか」
安心できたと思ったら今度は友情が危うくなってた。この年頃のガキはよくわからんナイーブさを持ってて扱いに困る。
「ニックス。僕はあの時、大したことじゃないからってちゃんと言ったはずだけど」
「大したことじゃない? あの時とは話が変わってくるだろ。まさかジューンベリーに呼ばれるような貴族だなんて思わなかった」
「なにがだ? 何も変わってないだろ」
「お前、真面目に答えてくれよ」
「いや、そっちこそ考えてみてくれ。確かに僕の家系はちょっとばかし大層なのかもしれない。だが今、ここにいる僕になんの力があるんだ? 君たちとなんら遜色ない一年だよ。
先輩には首を絞められ、ウィルソンには席を奪われ、今度の日曜、外出日なのに一銭も持ってない」
「……」
「かわいそう……」
「そこまでではない」
「え、ウィルソンにそんなことされてんの?」
ニックスは未だ難しい表情をして黙っているが、そんなに真面目じゃないレニングたちは早々に俺に同情し出した。
俺は手に持ったままの新聞をクルクル巻いて控えめに掲げた。周囲の目が恥ずかしいので。
「僕たちは、上級生に虐げられている非力な下級生という立場に違いはないじゃないか」
万国の雑役生よ団結せよ! 上級生の横暴を許すな! 何人たりとも俺に敵意を向けるな!
同室からの賛同する声を浴びながら、内心ほくそ笑んだ。単純なやつらめ。
とんだアクシデントだったがうまく乗り越えられたようだ。ひとまず身近な相手から危害を加えられることはないだろう。寝てる間に天誅とかされたら敵わんからな。
「もしかしてパシー先輩とうまくいかなかったのか?」
「寮替え?」
「なんで? ばっちりだよ。ちょっとしたすれ違いがあっただけさ」
ニックスはまだ13歳のくせにこめかみを抑えながら呟いた。
「その流れで出てくる発言じゃないからだろ……」
そうかな?
さて、新聞の続きをちょっと見てみるか。俺の欄には、こいつらがちゃちい菓子一個でゲロった情報が載ってるわけだよな。ご本人直々に確認してやりましょうかね。
「まさか未来の侯爵さまがひっつき虫に負けてたとはなあ」
「……」
「ニックス、どうしたんださっきから。ワーグナーのマークスバラ侯爵ってのはそんなにすごいのか?」
「…レニング、この国の西部で一番でかい港は?」
「スターリングポート」
「そこの領主だよ」
「…………マジかよ」




