小道具
同室に不安を煽られ大食堂を出た俺は、校内を彷徨いながらどうすべきか悩んだ。
果たしてこのままパシーの元へ行ったとて……。関係の修復に失敗する可能性はなきにしもあらずなのでは? 昨日と変わらず無視られたら、失敗することは予測できる。
そして、その失敗は許容できるか否か。
ロジカルな俺が重点を置いているのはそこである。
成功するとパシー先輩の雑役生だが、ちょっと本人が面倒臭いことを除いたら、周囲を見る限り当たりの部類だと思う。
対して、失敗するとこれから二年間が暗黒期になる可能性がある。そして失敗した一部始終を第三者に目撃されたりなどすれば、恥の上塗りにもなるだろう。
このような観点から考えると、失敗は到底許されない。
なら、できるだけ成功率をあげてアタックしなければ……。
何かネタとか小道具とか用意しときたい。インパクトって大事だし。
「うーむ、しかしどうやって……」
だが、残念ながらそういうものを仕込めるほどの時間は——。
「ん?」
ふと、廊下に何か落ちているのに気づいた。
近づいて見てみたら鞭だった。拾って確認すると、持ち手の部分に名前が彫られている。なるほど、これは今日午前中ずっと一年を恐怖に陥れた暗記テスト、その主催者である国語教師の持っていたラタンの鞭。
「うげ」
急いで周囲を見渡して国語教師の姿を探すが見当たらない。ええー。あの先生の部屋に持っていかなきゃダメな感じ? こんな生徒の怨念こもってそうなばっちい鞭を? 罰と称してガキの肌を裂いてきた呪物を?
「……罰?」
何か、天から今インスピレーションがびびっときた。
罰、そうだ、罰だ……。
罰を大人しく受け入れること。
反省していると示すのに、これほどわかりやすい態度はないだろう。そして、これほどわかりやすいアイテムもあるまい。あいつらも言ってたじゃないか、叩いたり鞭打ちとかされるんじゃないかって。
すまん先生、ちょっとこの鞭しばらく借ります。
こんなところにタイミングよく落としているのが悪いのだ。鞭だって健気な一年生に使われるのは本望に違いない。
だろ鞭?
持ち上げて眺めてみると、なんか、鞭の衛生面が気になってきた。
もちろん、パシーに鞭打たれるつもりは万に一つもないが、億に一つがないとは言い切れない。だって、すでに異常事態だし。予期せぬ事態が発生する確率は普段より高い。
だからもし正気を失ったままのパシーが何かの拍子にうっかりでも振り回し、不運なことに俺に当たったとしたら……。
「……」
なんか、何故だかすごい衛生面が気になってきたな。なんでだろう。
先っぽが茶色く特に変色してるのはただの経年劣化ってことだよな。皮脂とか汗とか血とかの跡じゃないよな、毎日石鹸で洗ってるよね。ここの教師はちゃんと、親御さんたちの大事な子供を預かってる意識を持って鞭打ちしてるよね……?
寮の手洗い場で俺はしゃがんで、洗った鞭を乾いた布で拭いていた。できるだけ水気を取っておきたい。
清潔感のある匂いをまとった鞭を見る。正直、やってしまったという気持ちではある。そして引き返せないことをした感もある。洗剤の香りする鞭ってなんだよ。
でも仕方ない。世界的な感染症に苦しめられた前世の記憶があるんだもの。こりゃもう発作みたいなもんすわ。今日は特に酷使されてたの知ってるし。
一身上の都合で時間を浪費してしまったが、寮の中にパシー先輩がいないという有益な情報は手に入れた。
じゃあどこだ……?
校舎内を歩き回っても見つからない。他学年の教室っぽいところも色々見たけどどこにもいない。やさぐれてきたころ、校舎の外れにある広い渡り廊下で、柱に背を預けているパシーを見つけた。
俺は思わず学則を破って走ってしまった。
「パシー先輩!」
裏切り者の姿が見えたぞー! 出合え出合え! この勢いで体当たりしたかったが拗れそうなので頑張って耐える。
「ワーグナー!? ……っ」
パシーはしまったって顔をして、すぐに無表情になって黙り込んだ。
「ずっと…っ、ずっと探してたんです……」
「……」
「先輩に、ちゃんとお話ししたいことがあって……」
「……」
めちゃくちゃ視線逸らすな。
おいおい、無視かよ。さっきまでいい感じに黄昏てたくせに。こっちは走り回って探して苦労してんのによ。これが上級生と下級生の差ですか。はあー? 己の人権意識の高まりを感じる。
待て落ち着け、雑念を捨てよ。必要なのはこの場を乗り切る冷静さだ。
差し当たり、さっぱりした匂いのする鞭を取り出して見せた。
「先輩僕が悪かったです! 満足のいくまでしばいてください!」
「は? 何これ! どこから持ってきたんだ!?」
小道具は便利だな。
「どうすればいいのかわからなくなったとき、道に落ちてて……。天啓かなって」
「そんな天啓嫌だろ! というか本当何考えて」
めちゃくちゃ反応するじゃん。俺は口元に手をやって俯いて、いかにも哀れそうな雰囲気を出した。
「でも、どうしたら先輩が僕を見てくれるのか考えたら、もう叩いてもらうことしか…」
「そんなに叩いて欲しいの!? ええー……」
パシー先輩は俺と鞭を見比べて引いている。違うんだ、これはダチョ○倶楽部なんだ。伝わってくれ。いや無理筋すぎる。打たないで。
「監督生でもないのに鞭なんか使えるわけないだろ」
「そっそうなんですか?」
「僕が罰則対象になるだろ」
そうなの? じゃあビビり損だったってこと?
「はあ……君は馬鹿だなぁ。まあ年齢相応なだけか」
「!?」
年齢相応!? パシーはため息をつきながら、片手で髪をガシガシと乱暴に掻き上げた。
「そうだよね。だってあれで全然気づかないなんて普通ありえないよね。君に返すように頼んだ本はいつも演劇関係のやつ入れてたし、勉強会で演劇部の話題一緒にしてただろ」
「……は、はい」
なぜそんなサブリミナル効果みたいなアプローチばっかりしてるんだ。何考えてんだ。
「ローエングリンのトーストだって、君は作ってたじゃないか」
「……そうでしたね」
「助けてあげてお菓子もあげてこんなに世話を焼いてるのに、オルグレンといつの間にか仲良くなってるし、テニス部入ってるし、こんな恩知らず付き合ってられない……」
おかしい、俺が悪いみたいな流れになってる。チェリーピッキングか?
「じゃあ先輩は僕以外を選ぶつもりだったんですか? 今更僕以外の誰を雑役生にするって言うんです?」
そっちの方が裏切りだろ!
「そんな気持ちでいたのになんで勝手なことばかりしてるんだ」
「僕はパシー先輩のことを思ってテニス部に入っただけなんです!」
「……うん? 何を言ってる?」
パシーは目を丸くした。思いも寄らない返事だったらしい。後々のことを考えると、この言い訳は使いたくなかったが。
「意味がわからないな。君の言い訳があまりに幼稚なのはわかったけど」
さっきから絶妙に俺に刺さる暴言やめろ。
「この前僕が第一寮から帰ってきたとき、先輩おっしゃってたじゃないですか。服を盗まれたって」
「ああ、それが?」
「それを聞いて、取り戻さなきゃって思ったんです」
「?」
「大切な物じゃなさそうに言ってましたけど、僕はまだ先輩の言葉が本心なのかわかりません。でも、どうであっても、先輩が盗まれたものを知ったのに、何もしないなんてできなくて……」
「…………ふーん」
パシーは眉を顰めて難しい顔をしている。そして疑わしそうな目で俺を見てきた。
「じゃあ解決したらちゃんとこっちくるつもりだったってこと?」
「はい、もちろんです」
「本当なんだろうな?」
「テニス部に未練は全くないです。使命感で入っただけです!」
「ふむ…」
「僕の尊敬する先輩は、パシー先輩をおいて他にいません!」
「ふむ…。そうだよね」
まだ疑心はありつつも、機嫌は治ってきたらしい。ちょろくて助かった。
「僕的には服帰ってこなくても別にいいんだけど……。うーん、期限でも決めるか…」
だが、この言い訳は本当に使いたくなかった。なぜなら演劇部に入るのがほぼ決定事項になるから。
人間関係悪い部活はちょっとなあ…。
肉を切らせて骨を断つ形になってしまった。まだ逃げれるか?
俺は心の中で後悔と安心と打算をマリアージュしながら、殊勝な感じでパシー先輩を大人しく見上げていた。先輩は懐中時計を取り出して秒針を確認した。
「時間少しあるか。僕ご飯まだなんだ。部室に案内してあげる」




