テニス部④
オルグレンだ。
どうしたもんか。あいさつをしに行くべきか迷うな。まだ向こうも気づいてないしいいか。好感度は高い方がいいけど、物理的にはそこそこの距離感でいたい。損得勘定で考えるに。
そう判断して足を止めた。俺は裏方になるのだ。
「どうしたの?」
「ボールボーイの数は足りてそうだし、人手の少ないところを探してみるよ」
「じゃあぼくもっ」
「君はいつも通りのことをしといた方がいい。先輩にもし知られたら大変だろ」
「は、はわ……。優しい……」
一度この危険物とはクールダウンするまで離れておかねば。
食堂から氷をもらって部室——部屋じゃなくて建物だが——に運ぶ。置かれていたアイスボックスに氷を詰めて、最後に飲料水の瓶を入れておく。主に上級生に献上されるらしい。俺も今欲しい。
何往復かして作業を終えると、見苦しく思われない程度に額の汗を拭った。ひー、肉体労働は疲れるぜ。
と思っている最中に、厨房に回される。
えっ、次はお湯を沸かすんですか?
まあ温かいものと冷たいものをバランスよく取ることは、東洋医学的にもいいことではある。サウナ的にも。整うって言うし。
部室に厨房があるとはな。先に入っていた二人の一年がかまどの前で火を育てていた。
面白味もへったくれない小さな木片。なんと無味乾燥な人生だ。この場に松ぼっくりひとつでもあれば彩りが生まれていただろうに。
「君、ワーグナーだろ」
「オルグレン先輩と親しいんじゃないの? なんでこっちにいるんだ?」
もろもろすでに手遅れっぽいけど、とりあえず足掻いておこう。
「僕の先輩が仲良いだけだよ。それで気にかけてもらっただけ。君たちは?」
「ほっといてくれよ」と一人はトゲトゲしているが、「先輩に目をつけられちゃって。無理やりここに」もう片方があっさりゲロった。
まさかここ、島流し先だった?
「ふうん、ボールを追いかけるのも大変だと思うけど」
俺は自認が人間だからな。犬じゃないから楽しめないと思う。とはいえ、この場でしている雑用も全然楽しくない。
大量の水が入った大きめのやかんを五徳に載せる。おかしいな、テニス部に入ったのにまだラケットを持ててない。なぜここでもお湯を沸かすのか。
湯を沸かすことがテニスに何かしら深い関係があるのか…。うーむ。いや、寧ろ湯を沸かすことが人類の普遍的な行動の一つなんだから、そちらを主体にしてテニスというスポーツがどう繋がっているのかを考えるのが正しいのでは。
「ははは、そうだよね。大変だったんだ…。近くにあったのに全然見つけられなくてすごく怒られて……」
「おれなんか順序の守り方から学べって言われてさ……。叩かれて覚えろってことかよ」
なんか勝手にしんみりしてる。他人の失敗談は成功譚よりしばしば必要だ。みんな苦しんでるって知ると、慰められることってあるよね。
「……ワーグナーはこういう悩みなさそうだよな」
「えっ?」
「わかる」
他のやつから見ての俺の印象が最近ちょっと気になってきた。自由意志の部分に受信機を埋め込まれたただのラジコンなんだけど。
お湯が沸いて喜んでたら外にいた部員が一斉に入ってきて、俺たちは厨房の端っこに追いやられた。ポットや小さめのケトルに分けられていく。
人口密度の急激な増加にうんざりして、隙をついて脱出した。さすがに暑いって。
厨房から出ても、忙しそうに行き来しているやつばかりだ。紅茶用のカップや水の入った瓶やタオルだったりを、ここにはいない上級生へ運んでいるんだろう。
邪魔にならないよう壁と同化しながらエントランスに向かっていると、服とか顔に泥をつけたロドニーがいた。もうそろそろ落ち着いたと信じて近づいてみる。
「あっまだシャワールームが混んでて…」
恥ずかしそうにしてる場合じゃないぞお前。
「他に洗える場所はないの? 固まったら落ちづらくなるよね」
裏手の水汲み場で上半身だけでも綺麗にすることにした。
外に出るともう夕方だった。テニス部やめたい。濡れたら不味そうなロドニーの荷物を持ち直しながら周囲を確認する。誰もいなくてよかった。
ロドニーは桶に水を溜めたあと、躊躇いなく上衣を脱いだ。
「……へえ」
ちょっと意外だな。
ロドニーが使用したリネンを片付けに行っている間に、建物の敷地内を歩いてみる。
土地に余裕があるな。建物も、厨房とかしかまだ入ってないが結構広そうだった。2階もあるし。道との境目になる部分には背の低い木やフェンスがしっかり建てられている。
よし、敵情視察完了。そろそろ戻るか。
「ワーグナー……?」
強い視線を察知して、俺はばっと振り向いた。
「こんなところで何をしてるんだ!?」
「ぱ、パシー先輩!?」
フェンスの向こう側に、驚愕した表情でこちらを見ているパシー先輩がいた。び、びっくりした。予期せぬ遭遇って心臓に悪い。
「な、なぜこんなところに……」
「こっちの台詞だよ! なんでそんなところに……、なんでそんなところにいるんだい……?」
先輩は妙におろおろしている。
「テニス部に入ったからですね」
「テニス部!? なんで!?」
「……おや、パシーなんでこんなところに。あれ? 君も?」
後ろからオルグレンの声ががっつり聞こえてきた。振り返ったら、制服に着替えた姿で立っていた。なんでこんなところに。
「お前!! どうしてワーグナーをテニス部なんかに!」
「? うちに入ってたの? えっいたの、どこに? いつから?」
「白々しい真似をするなよ!」
「いや本当に気づかなかったんだって! いつからいたんだ?」
面倒な展開になってないかこれ。
「………いや、その、今日から……」
「なんで!? 普通演劇部一択だろ!?」
それは知らんわ。
「…最近君は、僕に都合のいいことばっかりするなって思ってたんだ……。道理で……! 僕にいい顔しつつその裏でこいつと!!」
「はえっ? 違います!」
「何が違うって? 後ろめたくないなら僕の目を見て言ってみろ!」
オルグレンは明らかに様子のおかしいパシー先輩と俺を見て、段々にやつき始めた。まずそう。
「待ちたまえよ、何事も無理やりはよくないだろう。人間には自由意志というものがあるからね。それは最大限尊ばれるべきだ。今更君にこのようなことを説教したくはないんだが……」
「はあ!?」
「パシー先輩! 聞かないでください!」
「まあ、つまりだ。一言弁解させてもらえるなら……こういうことをはっきり言うのは無粋だと思っていることはわかって欲しいんだが……。ワーグナーは退屈な君のいる退屈な演劇部より、刺激的なテニス部の方がよかったってことさ」
「!!」
「先輩! 僕、そんなこと思ってないですから! こ、これには事情があって」
なんで俺はさっきから浮気したやつみたいな物言いをしてるんだ。物理的な柵があるせいで妙にパシーが遠い。くそ! 肩組まれた! やばい!
「悪いなアルフレド、君の後輩くんはこれから毎日俺と楽しくラリーしちゃいます」
パシー先輩はネタみたいに勢いよく地面に崩れ落ちた。




