雑役生
学校案内が終わって寮の食堂に戻るころには薄暗くなっていた。広すぎて全然わからん。食堂に入ろうとしたら前を歩いていた一年生が急に足を止めたので、ぶつかりそうになった。
「うわあ、でかい」
「すごい大人だ……」
隙間から中を覗くと、上の学年の生徒たちがわらわらいた。授業を終えて帰ってきたらしい。
新入生たちは大勢の見上げるほど大きい先輩たちを見て、わかりやすく尻込みしている。
ここに来る前は初等学校に通っていたやつは、大人枠でブイブイいわせてた自分がいきなり小さくなったことにショックを受けるし、ずっと屋敷内で家庭教師から教わっていたやつは、最初から対人耐性が低い。かくいう俺が後者だ、前世がなければ危なかった。
そんな状態で大量の見上げるほど大きい知り合いでもない上級生なんて見てしまうと、あっさりと諸々のゲージが限界値を迎える。
思考がショートした新入生を、先輩方は友好的に笑いながら迎え入れ、歓迎会が始まった。
目の前にはビーフシチュー。付け合わせにマッシュポテト。パンを浸しながら食べる。あとデザートにサマープディングも出てきた。一瞬生肉に見えていつもびっくりするんだよね。色がね。
入寮日だから特別仕様で豪華らしい。てことは普段は相当質素だなこりゃ。
食事が終わると、監督生と名乗る背の高いイケメンが壇上に立った。まだうわついて隙だらけな新一年生の隙だらけな脳みそに寮生活の不思議な常識を刻み込んだ。
「——最後に、我が校の伝統として雑役生制度というのがある。同じ寮の上級生が下級生を指導したり守ったりするものだよ。その代わり君たち下級生は我々に言われた雑用をこなさなければならない。この学校の伝統の一端を担っているという使命感を、各々自覚して全うするように」
同輩の反応を見てみたら、「はえー」とペンギンのように感心している。俺はとりあえず右に倣っておいた。
2年と3年の先輩がしばらく雑役生のやり方を教えてくれるらしい。
担当してくれた3年の先輩と同じ寮の4年生の部屋を掃除する。一人部屋だ、いいなあ。山のように積み重なった紙束を整えると譜面が何枚もある。ん? 楽器も違うな。え、授業でそんながっつりやるのか。俺に音楽の素養はないんだが。父親に召集された若き音楽家の卵たちからはお世辞でしか褒められたことがない。
ベッドメイキングをした後は、出しっぱなしの本を本棚に直し、ゴミを回収する。
「一通り慣らしたら、一人の先輩につくようになるから。その先輩と良い関係を築きたいならやり方を覚えるんだ」
雑用を命じられる下級生を雑役生と呼び、上級生と呼ばれている4年生と5年生にこき使われる宿命を背負う。誰しも一年か二年は雑役生をやることになるらしい。
「部屋掃除の他に何をしなきゃいけないんですか?」
「靴磨きとか…パンや紅茶の用意とか、荷物の配達とかを頼まれることが多いかな」
「なんでぼくたちがボーイのようなことをしなきゃいけないんだ!!」
すごくいいタイミングで隣の部屋から喚き声が聞こえてきた。
ボーイというのは屋敷で働く10代の下級使用人のことだ。屋敷の住人の靴磨きなど、全般的な下働きをこなしてくれている。そこからフットマンとか執事に進化していくらしい。修羅の道である。
俺と先輩は数秒黙って声が聞こえてきた方に顔を向けていた。続きが聞こえてこないので、嫌な沈黙を破ることにする。
「いやあ、びっくりしました」
正直俺の本心が漏れ出てきたかと焦ったんだよね。
「……ああ。まあ最初は人によっちゃ不満も出るんだよ。でも残念だけどここではそういうものなのさ。立派な紳士になるための修行と思って励んでくれ」
「面白い慣習ですね」
これは皮肉である。というかむしろ最初不満に思わない人間がいるだろうか。先輩、初心を思い出せ!念を飛ばすが届いている様子はなかった。
「ワーグナーは手際がいいね」
「弟と妹がいますから」
「へえ」
掃除のスキルとはあまり関係ないと思うけど、先輩はそれで納得したらしい。
正確には年下の兄弟がいるからではなく、前世の記憶があるからだ。掃除をしてきた経験が。これが前世チートというやつである。しょっぺえ。
貴族や金持ちの子供は掃除はともかく、厨房に足を踏み入れることすら良しとされない。なのにまさか金持ち学校でこんな慣習があるなんてびっくりだ。逃れられないさだめならば、せめてやばい先輩に当たりたくない。
歓迎会の顔合わせで知り合い誰もいなかったから神頼みすることにした。
1日の用事が済んで、潜り込んだベッドは慣れない臭いがする。狭いし肌触りが少し荒い。おいおい、貴族の坊ちゃんの繊細な肌が痛んでしまうぞ。もぞもぞと寝やすい体勢に変えながら、祈るために手を組んだ。
うーん……。前世か今世か、どっちの神に祈るべきか……。神さまって世界が違ってもご利益はあるのだろうか。誰かの歯軋りの音を聞きながら、寝落ちするまで考えていた。




