入寮
俺には前世の記憶がある。といっても、自分自身についての詳しい記憶はぼやっとしていて、どちらかというと前世の常識や世俗がへばりついているような感じだった。
だから、この世界での入学日は9月と聞いて変な感じがした。前世住んでた国だと4月だったから。
夏の暑さは弱まってきたが、涼しいとはまだ言い難い。歩道の街路樹は青々としげり、昼下がりの光の中、虫食いのように木陰を生んでいる。
車道は大量の馬車で詰まっていて、しばらくは動きそうにない。一方歩道には、ぽつぽつと黒い燕尾服を着た子供の姿がまばらにある。服を着ていると言うより着られている。どこからどう見ても俺と同じ新入生だな。
入学するエイデン校は全寮制で、首都郊外に広く建てられている。
学生が寝起きする寮も全てキャンバス内にあり、外出には制限があるらしい。外壁沿いのこの道は景色がいいし、天気もよかったから、この機会に歩かないのはもったいない。そんなエモさで徒歩を選択してみたものの、想像以上に門まで距離があった。
「……はぁ」
そのおかげで問題が起こっていた。
トランクおっも。なんで片手で持ったんだ俺は。かっこよかったから? これって片手で持つもんじゃなかったかもしれん。心配性な母親の愛情が詰まっている気がしてたけど、それにしても重い。周囲をキョロキョロ見たら、俺のはでかい気がする。真鍮の金具もごちゃごちゃついているし、これトランク自体が重いんじゃ……?
一旦地面に置いて、血流の悪くなった手をぶらぶらさせた後、両手で持ちたいが、周りのあるかもしれない目が気になってしまう。
エイデン校の生徒は上流階級と金銭に余裕のある中流階級の子息たち、そして少数の奨学生で構成されている。それを狙って、人脈作りと箔付けのため余裕のあるご家庭の親はこぞって息子を入れたがる。
そして俺も何を隠そう由緒正しき侯爵家の長子だ。そんなやつに生まれ変わってしまった。
今重いからとよたよた荷物を地面に置いて、それが俺だと後に知れ渡ったら……。
「あ、あいつワーグナー家のやつだったんだ。侯爵の。入学するとき見たけどだらしねーことしてたぞ。あれが現代貴族の姿ですか。名声どころか恥も失ったようですね」とか陰口が広まってそれが社交界の話の種にでもなって、うちの家門に傷がついたら……。そうでなくても両親の耳にでも入ったら……。
考えすぎかもしれないが、躊躇わざるをえない。上流階級は監視社会的な側面があるからな。このピンとした背筋を意地でも変えるわけにはいかんし。
「こんなことなら渋滞でも馬車に乗っとけばよかった」
なんだよエモいって前世でも使ったことあったのかよ。
純粋に五年間全寮制男子校とか地獄だから最後の足掻きって開き直っときゃよかった。最後にちょっと娑婆の空気を吸おうとした少し前の出来心が憎い。
あーあ、何が楽しくてこんな陸の孤島に行かなきゃいけないんだ? 人脈形成? 模範的な紳士になるため? 貴族という精神性? 節制? 忍耐? 俺にノーブルな精神性は備わっていないのだ。カ○キラーで半日待っても落ちない庶民性がへばりついているのみである。
それでも俺自身のために、掲げなければならない目標はある。
この五年間、悪い噂が立たないように品行方正に過ごし、面倒ごとに絡まれないために目立つことのないよう立ち振る舞い、かつ、親の要求を満たす学生生活を送る。
そう、全ては俺が将来、平穏無事に侯爵になるために。
高い志を胸に、開かれた門をくぐった。
正門から入ってすぐの事務室で、本人確認のあと、襟を正して写真を撮られる。広大な敷地を歩いて自分の寮へ着いたころには犠牲になり続けた腕がなんかダメな張り方をしていた。
レトロモダンな赤煉瓦の屋敷。
門のアーチには第四寮のプレートがかかっていた。第四寮、ここが俺のしばらくの住処だ。寮ごとにだいたいひと学年12人程度で、一年生は二つの大部屋に振り分けられて収容される。
蝶番の軋む扉を開けると、細長い部屋の両方の壁沿いにベッドが3台ずつ並んでいる。横に小さなチェストと勉強机。コートはドア横の共有クローゼットにかけるようだ。俺の寝室よりも狭いな。……大抵の新入生も思っているだろうが。
自分の寝台に大きなトランクをようやく置いて、肩を片方ずつ控えめに回した。端だったのは嬉しい。隣にちょうど人がいたので、挨拶をしておくことにする。席替えがなければ一年はお隣さんだ。
はー、ちょっと緊張する。友達を作るなんて、今世では初めてだな。
「ニール・ワーグナーだよ。よろしくどうぞ」
「……ジョン・ニックスだ」
ジョン・ニックス。母から暗記させられた貴族名鑑には載ってなかったな。紳士っぽい感じで握手を交わす。
13歳にしては大きい方だろう、多少鍛えているのかシュッとした顔立ちに黒い短髪。うーむ、士官の息子とかかな。
「たぶん歯軋りはしないよ。いびきもない。寝言は時々いう程度。君の睡眠は左からは妨害されないことを約束するよ」
「おお?」
「出典が必要かな? 家族と使用人からの評価だけど、アンケートは匿名でとったから信憑性は低くはないはずなんだ」
「そういうわけじゃないが…。俺も大丈夫だと思う……多分」
「よかったよ」
お隣は安全圏らしい。もう一度握手しておいた。とはいえ部屋にあと4人いるわけだから、どうなるだろうな。
持ってきたトランクの他に、ベッドの脇には事前に運び込まれていた荷物の入った木箱が積まれている。
とりあえず一番上を開けてみるとすごくギラギラしたクッキー缶が入っていた。なんだこれ。
一旦置いておいて他のものに着手する。制服の替えや寝巻き、地味な色合いのガウン、絹の靴下、ハンカチ。便箋セット、母の言っていた湯たんぽ。旅行のときでも思うけど、荷物の半分は衣類だよなあ。
ニックスと軽く言葉を交わしながら、荷物の整理しているうちに、寮監教師と寮母が部屋に入ってきた。
気付かぬうちに新入生が全員揃っていた。人口密度高いな、本当にこれで寝るのか。フェリーで雑魚寝を思い出した。あれよりはずっとマシだけども。頼む、いびきがうるさいやつはいないでくれ。




