入学前の馬車
我が国の誇る名門寄宿学校、その一つであるエイデン校へ向かう馬車の中で、俺は母と向かい合っていた。
「あなたの従兄弟の、4歳上のヴィクトル。覚えているでしょう?
あなたが幼い頃にベイルヒルのカントリーハウスに来てくれたのよ。近くの川で一緒に遊んでいたでしょう。あの子がこの休みも家に帰ってこなかったそうなのよ。手紙を送っても謝罪だけ。今までこんなことなかったのにって、お義姉さまがとても心配していらしたわ。
お願いね、ニール。様子を見に行ってちょうだいね」
「わかりましたお母さま」
すまん母さん、全然覚えてない。ヴィクトルって誰。覚えてないが、面倒ごとを頼まれたのはわかる。
「ブラウン先生がいないから、健康にはいつも以上に注意するのよ。
学校のお医者さまはどのような方かしら。腕の確かなお医者さまならいいのだけど。用意した薬箱はきちんと鞄に入れたかしら。風邪には気をつけて。体を冷やさないように。変なものも食べてはいけないわ」
「わかりましたお母さま」
薬箱に入っている度数の高い酒はこっそり飲んでみてもいいだろうか。あと酢の入った瓶もあったけど何に使うんだ。
「それから毎週手紙を書いてちょうだいね。あなたが規律正しく真面目に過ごしているのか、私には知る権利がありますからね。
長期休みしか会えなくなるなんて、フィンとロッティが寂しがっていたでしょう。弟たちにもよろしくね。サボってはだめよ。あと、忘れてはだめよ、リリアン嬢へも心のこもった手紙を送りなさい」
「わかりましたお母さま」
なんてことだ。母親と年下の兄弟二人と幼馴染女子への手紙も義務付けられた。父上には……まあ書かなくていいか。
俺は嫌だなあと思いながらもしっかりと手を膝の上に乗せ、殊勝な面持ちで母の言葉を聞いていた。
「ああ、ああ、どうしましょう。寄宿学校なんてすごく閉鎖的って言うじゃない。あなたが酷い目に遭わされたりしたらどうしましょう。寮監の先生が悪い人だったら……。
なんでも手紙で言ってちょうだいね。便箋は入れてあるわよね。必要なものと足りないものはすぐに伝えて。もう少し寒くなったら厚手の靴下とカーディガンは何着か送る予定なのだけれど、他に何が必要かしら。湯たんぽは寮に送ってあるわよね」
母は線の細い美貌に手を当てて、おろおろと心配そうに言い募った。
「ありがたいですが一年生は大部屋って書いてありました。自分の荷物はあまり置けなさそうです」
「まあ! なぜそんな不便なところに入学しなければいけないの?」
「オルストン先生は、立派な紳士になるためには節制と忍耐が必要だとおっしゃってました。それに父上と同じ寮に入るのは誇らしいです」
「……まあ」
急に馬車が止まった。窓の外を見ても、背の高い塀がずっと続いている。まだ門は見えていない。
「何かあったのかしら?」
母は小首をかしげた。
今日は新入生の入寮日だ。エイデン校は貴族や金持ちの御用達の教育機関である。自分のように馬車で乗り入れてくる子供が多いのだろう。雰囲気は校門前で渋滞を引き起こしているロールスロイスやベンツやBMWみたいなもんじゃないだろうか。
「正門で新入生を下ろす馬車がたくさんいるようですね」
俺は御者に合図を送って、扉を開けさせた。
座席の横に置かれたトランクを両手で抱えて立ち上がる。
「ニール? どうしたの」
「せっかくですし、門まで少し歩いてみます。お母さまは渋滞に巻き込まれる前にお帰りください。フィンにはロッティに優しくするように伝えてください。お見送りありがとうございました」




