テニス部
本を借りた。
権謀術数に何も掠らない、”初心者のための聖典読解”。学校という荒波を乗り越える、これが俺の処世術。
基本から見直しておこうと思う。テューダーの機嫌を損なうと、ニール・ワーグナーという素敵な名前がきたなまろられる危険性を孕んでる。せめて無難な答えを揃えておかなければ。
俺は加点式ではなく減点式の世界で生きるのだ。なんとか無事に無傷無謬で侯爵になりたい。ので、休んだ授業の教師の研究室に行って課題をもらうことにした。
「慣れない環境で体調を崩したと? 最近の学生は軟弱だな。俺の若い頃は、」
「おっしゃるとおりでございます」
最近の若者はダメダメだからね。
渡された課題を抱えて帰路を辿る。廊下ですれ違った集団が何かしらわいわいやっていて、校庭からもわいわい聞こえてきた。ああそうだ部活を決めなきゃならないんだ。今は空腹で気分が乗らないんだけど。
きゃーとわーの合間のような、ここじゃ聞き慣れない歓声が唐突に耳に入った。
思わず立ち止まって視線を向けると、テニスコートの方向から聞こえてきたようだ。前も思ったけど、オーディエンスというか一部賑やかし要員が……なんか独特なんだよな。
下級生かな。声変わり前の高さの歓声を上げている。
それに運動部らしからぬ格好をしている。糊が効いてそうなシャツは襟が立ってるし、ベストまでピシッと着用している。ラフさを許容しない着こなし。制服よりも気合入ってないだろうか。
息苦しそうっていうか、そもそも運動に向いてないだろ。ん? あの先輩、今手鏡見て前髪直してたぞ。この学校には男しかいないから、反動力的に女子力みたいなものが発生してるってこと? 確かに、かっこいいプレイしたときに野太い歓声だけじゃ物足りないもんな。
でも、クリケット部にはこんなノリなかったけど。
何か目的でもあるのか? 興味ないこともないが自主的に探るほどじゃない。
通り過ぎようとしたとき、ボールがこちらに転がってきた。さすがにゴミじゃないからええやろの精神で拾うと、近くにいたベスト先輩が俺の手からむしり取っていった。そして持ち主に返しに行った。
「オルグレンせんぱーい」
声をかけられテニスボールを受け取ったのは、オルグレン先輩だった。柔らかそうな生地のシャツを着て、腕まくりしている。テニス部だったのか。なんかしっくりくるな。
まじまじ見ていると目が合った。手を軽く上げられた。なんか仕草が妙にキザっぽいのは、姿勢が無駄にいいからだろうか。俺と同じ苦しみを味わっているのかも知れない。
「おや、ワーグナーじゃないか」
「こんにちは」
「なにして……。ああ、一年だから部活巡りしてるのか? こっちに来たまえよ」
行ったら俺もピシピシ小僧にさせられるのか?
ビビったが無視するわけにはいかない。あいつ今ラケット持ってるしな、リーチの差で負ける。周囲の視線に刺されつつ、先輩のそばまできた。
——ぎゅるるる
そして俺の腹が鳴った。ぐぬぬ、普段はもっと高貴な音が出るんやが。
「……」
「……なんで君、基本的に飢えてるんだ?」
「飢えですか?」
入学以来、飢えたことなんて今回が初めてなんだけど。
「だって来る度に、いっぱい食べてるだろ? どこに栄養がいってるんだと思ってたんだが。学食が合わないのか?」
「……そういうことではないんですが」
待てよ、閃いた。俺が勉強会で食いまくっているうまい理由を思いついた。……いや、食いまくっているというのはそもそも誤解ではあるんだけど。
「友達が食事が足りなくて苦しんでいるので。僕は勉強会のサロンに行けば食べられるし……」
これだ! いける、いけるぞ! うおお完璧な理由すぎる。待ってろテューダー!
「ふむ、なるほど、感心なことだ。優雅さには欠けるが、一年生はそれぐらいの方が健気でいいね」
後半の品評がちょっと気になるが、後ろめたそうに少し俯きながら話す俺の姿が哀れに見えたのか、オルグレン先輩は追撃はしてこなかった。
先輩はベンチに置かれた小さなバスケットから、りんごを取り出して俺にくれた。
「ありがとうございます」
促されて隣に座って齧る。ちょっとまだ熟しきってないですね。
「テニス部に興味はないかい? クリケットとかボートとかと全然違って緩いところだよ。気軽に来たいときに来る感じさ。学対の交流戦はうまい生徒だけしか出ないし」
魅力的だ。だが見過ごせない点がある。
「素晴らしいですが、服装の規定が厳しかったりしませんか?」
「ん?」
「先輩方のプレイに盛り上がったり、玉拾いしている人たちの服がピシッとしていてですね」
「ああー、まあ君なら似合いそうだけど」
「僕、そういうのあまり好みではなくて」
「どうして?」
「だってきついと苦しくなるじゃないですか」
ズボンも結構絞ってるよなあれ。スキニーじゃないんだから。
幼少期は女装をし、それが終われば半パンで過ごし、ようやく長ズボンを手に入れたと思いきや、気を抜いたらピチピチズボンの落とし穴がある。
俺の精神はアダルティーでシャイなので、転生して幼い頃は辛かった。羞恥プレイを数年続けたメンタルはもうボロボロや。療養させてください。服に多様性が欲しい。
「きついと苦しい……? あっ君、おとなしそうな顔してまさか…」
オルグレン先輩は何か察したのか、俺の下腹部を凝視した。
「先輩は本物の象をご覧になったことがありますか?」
「ぞ、象!?」
「ところで第一寮に乗り込んだとき、殿下に会うことはできたのですが、好きな食べ物を聞くことができませんでした。距離を取られているようで。申し訳ありません」
「……。……君にもか、ふむ。だが、同じ学年なんだし、顔を合わせる機会も多いだろう。継続して頼むよ」
「精一杯努力します」
全くもって気は進みませんがね。でも、殿下とプラス寄りの関係は五年のうちに築いておきたいではある。俺はりんごを食べながら、オルグレン先輩のプレーを眺めた。なかなか上手いな。




