図書館
人生で一度は言ってみたい名言がある。
「知らない天井だ」
実績を解除できた。ところで、ここはマジでどこだ。
目を開いた先には遊び心のない天井。横たわった全身を包むシーツの感触、鼻先に触る消毒液アルコールの匂い。医務室だな。
「まさか、気を失ったのか…」
貴族仕草として、気を失ったふりをしたことは何度かあるが、ガチ気絶は初めてである。折角だし所感を述べたいが、気を失っている最中は気を失っているので何もわからない。ふりのときの方が面白いことってあるんだな。
よろよろと上体を起こして、額に手を当てる。ふう。妙に頭の中がさっぱりしたような感じもする。
痛い部分はないから、倒れた時に体を打ったり、踏んづけられたりはしなかったようだ。よかったね。
掛け時計を見ると、もう少しで午後の授業が終わる時間だった。サイドテーブルに置かれていた水を全部飲みながら、どうしようかと考える。
今更授業に行ってもなー。
遅刻しすぎって怒られないかな。倒れたっていったら罰則は回避できるのか? さすがに鞭打ちなんて無慈悲なことは……。わからん、俺もそこそここの世界で生きてきたはずなんだけど、前世の感覚だけで物事を判断するのは危ない。
だってこの国、スポーツハンティングも盛んだし、死刑で盛り上がるし、結構ワイルドなところあるんだよな。貴族も権力を盾にやんちゃなことしてたりするし。おかげで俺も鬱憤が爆発した民衆に貴族の一員として、やり返される恐怖に震えているわけで。
「おや、ワーグナーくん。起きたかね」
部屋の扉が開いて、養護教諭が戻ってきた。
「僕はどうやってここに来たんですか」
「友達が意識のない君を運んできたんだ。お見舞いに来た子達みんな心配してたよ。心労が溜まっていたんじゃないかって」
ないわけじゃないけど、ただの睡眠不足だろう。入学以来一番頭がすっきりしてるし。
「そうでしたか。ご迷惑をおかけしました」
秘密基地なんか作らずに、寝たくなったら体調不良のふりして、ここにこればよいのでは?
グッドアイディアだ。いや待て、よく体調不良で保健室に足を運んでるっって両親の耳に入れば「なんと軟弱な。我が家門と領民を任せるには不向きか……。後継は次男に任せよう」となる可能性が生えてくる。次男がいるからな。やめとこう。
身支度を整えて、医務室を脱出することにした。
「顔色もマシにはなったが、歩けのかい?」
「ええ、失礼しました」
ただの寝不足だからね。
医務室の扉を閉めてから気づいた。あっそういえば、助けてくれたやつの名前聞くの忘れたな。ニックスかな。
今日はパシーに本の返却を頼まれていた。寮に戻る最中で、授業の終わりを知らせる鐘が鳴った。サボりじゃないんだけど気まずい気持ちにちょっとなる。
本を返却した後、図書館内を探索してみることにした。今までは受付でUターンしていたから知らなかったけど、思ったよりも2倍は広い。
受付を超えてすぐ、ホテルのラウンジのように開けた空間に、丸いテーブルと椅子が何セットも配置されていた。贅沢な閲覧席だな。
そばの壁には雑誌やニュースペーパーがずらりと並べられている。
残念ながらFUNNYよりもINTERESTINGに激寄りなラインナップである。有名人のスキャンダルやタブーネタを取り上げるようなゴシップ誌や新聞は置かれていない。
隔月で教会が配布している聖人のありがたいお言葉。信心深く毎日を過ごすには。今シーズンの新作オペラ手引き書。王室の華麗なる日常。現代芸術から探る古典芸術の系譜。
既視感がありすぎる。家庭教師どもに渡されていたラインナップとほぼ同じ。一番最後のやつとか、素人目にはそんなにネタないだろってものほど長くシリーズ続いてたりするから不思議だ。
ネッシーとかUMAの表紙を探してみたが、存在しなかった。
やはり厳しい検閲がありそうだな。
エイデン生は出荷時期まで飼育小屋に押し込められているブロイラーなのではないか。俺は1羽の若鶏。いや、まだひよこかもしれない。
でもこういうのっていくら縛ってもなんやかんや抜け道はあったりするし、俗っぽいものから離されすぎると、変に色々拗らせたりしそうじゃないか。性癖とか。
エリート学校の学生たちの将来が心配だ。自由があってこそ健康な精神が育ち、健康な肉体が備わり、健康な国家運営に繋がっていくはずだ。
発達教育を啓蒙する。もしやそのために俺は転生したのか? 神の声は聞こえてきたことがないが、これが神の意志……?
自分の存在に意味はあるはずだと思ってたんだよね。
「どいつもこいつも察して欲しがり屋さんめ」
まあ、また次の機会にだけど。俺には別の用事があるのだ。
本棚へ足を運ぶ際、見渡してみると、テーブル席はすでに半分以上が埋まっていた。いくつかのテーブルの卓上にはチェス盤が用意されていて、何組かが指しあっている。
順番待ちか観戦かわからないが、一際ギャラリーがいて盛り上がっている卓もあった。
ちらっと見えた限りでは、眼鏡をかけた上級生と学校では珍しい浅黒い肌の学生が対局していて、ちょうど勝敗が決したらしい。上級生の顔色がすこぶる悪い。ジャイアントキリングでも起こったのかも。
うーむところで、”処世術”が置いてありそうな棚ってどこら辺だろうか。歴史とか? 裏切りとかなしには語れないところあるし。
背表紙に書かれた題名に目を通していくが、ピンとこない。歴史のところには歴史の本だけがある。面白い切り口のものはあれど、仄暗い手口を紹介してはくれない。
宗教のところ行ってみるか。やっぱり活動範囲を広げていくにはいろいろ手回しとか必要だったろうし。奇跡一本じゃやっていけねえよ。
宗教の棚に移動する。
見覚えのある聖書を見つけて、ふと手に取った。懐かしいな、乳母に読み聞かせられていたやつだ。あの時はちゃんと聞いてなかったな。幼かったからではないはずだ。精神は成熟してたし。
転生とは不便なものである、言い訳が一つ潰れてしまうから。
パラパラとページを適当にめくっていると、ハッと気づいた。
「総合的に見て、今のところデバフなんじゃないか……?」
高位貴族に生まれたというだけでチャラにしていいものか?
そもそも俺が日本食に並々ならぬこだわりを持ってたら、便座が冷たいと憤死するタイプだったら、無宗教を貫きたいタイプだったら……。転生先の環境に合わず儚くなることは安易に想像がつく。そうなると、あまりにも転生そのものがリスキーであると言わざると得ない。
俺が辛い環境でも耐えてしまう健気さを持っているからなんとかなっているだけでは。この献身性、もしかしたら神に感謝するのではなく、される側なのかもしれないな。
「ふん、ふん、ふん」
パタリ、本を閉じる。
あった場所に戻そうとしたが、背表紙に書かれている分類番号が合わない。適当に突っ込まれたらしい。正しい場所に戻そうと視線を上げれば、近くに他の学生がいることに気づいた。
ちょうどあそこら辺だ。
「すみません、これを戻したくて。少しずれてもらってもいいですか?」
敬語はいらなかったな。俺と同じネクタイをしている。その学生は開いていた分厚い本からこちらへ目を向けた。
ん? こいつ、さっきチェスで上級生を打ち負かしていたやつじゃないか。




