手紙②
食事の前のお祈りが終わっても、夕食のときの私語は非推奨だ。声を潜めて喋らなければならない。
「お前、本当にいらないのか?」
「ああ、食べてくれ」
「本当か! お腹空いてたんだ。…ところで体調悪いのか?」
「ありがとうワーグナー! …先生に話した方がいいんじゃない?」
こいつら食欲が理性に優ってるな。隅っこで寮監の先生がわざとらしく咳払いをしている。声がでかいってさ。
食欲といい勝負してるのはニックスだけだ。
「どうしたんだ? 前もこんなことあっただろ」
「胃がしんどくて」
まっさらなマトンのパイとソーセージは近くの椅子に座っている同室たちに早速分けられ、俺は皿に残されたじゃがいもの切れ端を塩分を求めるように齧った。薄塩極太ポテト。
いやはや、いやしかし、エクレアはずるいだろ。たくさん食べちゃうだろ。エクレアじゃなかったら耐えれたんだけど、エクレアだから耐えられなかった。上にかけるのはチョコだけじゃないという気づきを得ました。
「心労が胃に来たのか…」
「ニックスお前もいらないのかー?」
何か思案げなニックスは、隙をつかれてソーセージを奪われていた。しかしなんか乳製品を一気に取りすぎたせいかも、気持ちも悪くなってきた。
「ちょっと先に部屋に戻っとくよ……」
皿を空にした俺は、胃のあたりをさすりながら立ち上がった。うっ今度は立ちくらみが……。
「おいワーグナー」
俺は心配そうなニックスの声に返事せずにひらひらと手を振った。
階段を登りながらため息を吐いた。
寝不足がここにきて効いてくるとはな。入学する前は9時間睡眠してたから、でかい落差に体がまだ慣れていないんだろう。
寮生活だってのもあるが、下級生は雑用をこなすために早起きをしなきゃいけないし、夜頼まれる用事によって、ベッドに入るのが遅れることもある。簡単でも慣れてなかったら沼るしなあ。
珍しく誰もいない寮室で自分のベッドに倒れ込んだ。
「うああーああああ」
人目を気にせず枕に頭を突っ込み唸る。
眠い。寝たいが、まだ用事がある。それが終わって布団に入ったら逆に寝付けなかったりもする。女心と秋の空と睡魔は気まぐれだ。
同室のガキが民衆蜂起が起こっても俺の二度寝をチクらないと確信を得られるまで、のんきに惰眠も貪れないし。
俺の心は絶えず常在戦場だ。ノミの心臓に柔らかいブランケットと冷たい水と愛をください。いっそどこかに秘密基地を作るべきなのか。入学したてのぺーぺーにそんなものが作れるのだろうか。
のろのろと起き上がる。
面倒なことがいくつもあるが、処理できる面倒ごとから手をつけよう。
そう、母への手紙だ。この前送ったものにはまだ返信は届いてないが、早め早めに送った方が真面目さが伝わるだろ。
ヴィクトルは会いに行ったら幽霊がどうとか世迷いごとを言ってた。幽霊に呪われたから引きこもったらしい。改めて考えても俺の理解の外にいる。
ここは階級社会。「幽霊なんかいるかオラァ」といって侯爵家の息子が公爵家の息子を引き摺り出すわけにもいかんのだ。「今時幽霊とか信じてるんすか笑」と煽るわけにもいかない。
めちゃくちゃ仲が良かったらできるかもしれないけどね。残念ながら、さっき写真で顔を確認した程度の仲です。
「打つ手なしってことでいいよな」
打つ手なしってことは、もうヴィクトルのことからは手を引いてもいいってことじゃん。ようやく俺は俺の学校生活を生きるぜ。
便箋を広げ、”会いに行ったところ、ヴィクトル兄さんは幽霊を怖がっており”と書き出して、ペンを止めた。
これは……、
「これはまずいのでは」
これって相当繊細でセンシティブなネタなんじゃないのか? 俺にとって。
馬鹿正直に”幽霊にビビってこいつ引きこもってます”と書いてみろ。どうなる? 伯母伯父まで伝わったら、ヴィクトルに対して不利益な印象を与えてしまう。
一人息子なのでよほどのことがない限り、後継には違いないだろうが、「自分の息子…精神的に軟弱…」という思いを捨て切ることは難しいだろう。
思っていることは態度に出るものだ。そこから公爵一家の絆にヒビが入り、ヴィクトルもいつしか陽キャスマイルを忘れ陰の道を歩き始める。
そして、父親か母親の死に際。枕元に立った公爵家当主ヴィクトルが長年の謎の答えを尋ねるのだ。
どうして己を冷遇したのか。
父親か母親が乾き切った唇から途切れ途切れに真実を話す。「今になってわかった。あの手紙は気高き我が公爵家を破滅させるための醜い奸計だったのだ」そう言って、後悔の涙を流すのだ。
家庭崩壊の原因となった手紙を書いた人物に対して、怒りの矛先が向くのは想像に難くない。
そう、俺である。
「だめだ!」
正直者がバカを見る世界だくそったれ!
『麗しいお母さまへ、あなたの可愛い善良な天使ニールです。
ヴィクトル兄さんと扉越しですがお話ししてきました。
思春期に現れる大きな壁に苦しんでいるようでした。
兄さんは本当に素晴らしい人です。時間が必要なだけです。必ずや壁を乗り越えてくださるはずです。
心配はいらないと伯母様にお伝えください。
本当に誠に無念ですが、僕にできることは何もなさそうです。とても残念ですが。
ただ、今は、みんなで彼を信じて待つことが一番大切だと思います。
P.S. 最近、家で食べているハムの味が落ちたと思いませんか?』




