第一寮②
「……あれは私にとって、とても恥ずべき思い出だった」
俺はめちゃくちゃ動揺していた。ヴィクトルの言っていることが耳に入ってこないぐらいに。
「だから——「そんなつもりじゃなかったんです! 母から優秀なヴィクトル兄さんの話をいつもよく聞いていて! 誰にも言えずにいましたが、とても尊敬していたんです! それで、同じ学校に入れてすごく嬉しかったのに、勉強会にも顔を出していないと聞いて! いてもたってもいられなくて、来てしまいました……!」
なんか言いかけたヴィクトルと被ったが俺は己の保身を優先した。この場の保身が未来の保身へとつながるのだ。言い訳は一瞬の恥。勝手に兄呼びもしておこう。
しかし暖簾に腕押しとはこういうことなのか。
「君にそんな言われるようなことはしてない」
「……ぅ」
「尊敬されるほどのことは何もできてないよ。生まれてこの方」
「……うっ」
う、うげえ。暗い。
なんで公爵家のガキなのにこんなにじめじめしてんだよ。王族以外見下しといてくれよ。椎茸だってとことこ逃げ出す湿気具合だろう。
パシー先輩とかオルグレン先輩の話聞いてるとそんなふうには思えなかったんだけど。穏やかな性格でみんなを引っ張っていくカリスマ的な? そんな感じだった気がするような……。こんなにネガティブになるぐらい嫌なことでもあったのか。
今の所とっかかりすら見つからないし、話しすぎてボロが出るのも怖い。俺はヴィクトル宛の手紙を取り出した。
「四年のパシー先輩とオルグレン先輩から手紙を預かってきました。お渡ししてもいいですか?」
「……」
返事がない。扉を開けてくれる気配もなかったので、手紙はドアの下の隙間からねじ込んどいた。返品不可です。
「みんな心配してましたよ。兄さんが姿を見せてくれないので。何かあったんですか?」
「……」
おい、まさか自虐以外のボキャブラリーが消し飛んでるのか。
「教えてください。とても心配しているんです」
あなたの母親が。
俺と俺の母経由の真摯な思いが届いたのだろうか、長い沈黙はヴィクトルが破ってくれた。
「……——ヤコブ館には亡霊がいるんだ。ずっといる。私は呪われて……」
「……ヤコブ館? 亡霊ですか?」
「もう動けないんだ。放っておいてくれ」
それから扉の向こうは静まりかえってしまった。い、言いたいことだけ言ってお前っ!
俺はヴィクトルの扉に縋り付くのをやめ、反対側の壁に背を預けてひとりごちた。
「亡霊ってなんだ。この世界にも学校の怪談みたいなものがあるのか」
妙に抽象的なことを言われましても……。
トイレの花子さん然り、13段目の階段然り、踊り場の鏡然り。この人生で学校にきたのは初めてだから、こんなところで前世と親和性の高いポイントを見つけるとは。みんな自分の日常に怪異が潜んでほしいと深層心理では思っているのかもしれないな。確かに俺も、自室以外だったらウェルカムだ。
「はあ……」
しかし、なんというか……なんだか脱力した。所詮思春期のたわごとじゃないか。ティーンエイジャーの不安定な情緒はどうやら万国共通のようだ。万世界と言うべきかな。
立ち上がって、床につけていた膝部分を払う。やれやれどうしたものかなと大仰に首を振った。
俺にはどうしようもなくないか。幽霊を信じていないけど、立場的に頭ごなしにヴィクトルの妄言を否定するわけにはいかない。だが、俺の持論では幽霊など所詮枯れ尾花である。どうとでも取れるものを信じるほどの純粋さはなく、正体を解明する熱意もないクールガイには次取れる行動はない。
とりあえず、ちゃんと行動しましたよって母にアピールできると前向きに考えておこうかな。
さっさとニックスとロドニーのところに戻らなきゃ。
階段に足をかけようとしたら、死角になっていた暗がりからぬるっと人影が出てきた。
「——……グナー」
「ぅわっ」
あっぶな! 急いで手すりにエレガンスにしがみついてことなきを得た。反射的に声の主に視線を向ける。何奴!? 出合え出合え!
「なっ誰?」
「ワーグナーだろ、お前」
そいつは隠れていた割にはめちゃくちゃ堂々とした立ち姿をしていた。
タイの色は俺と同じ緑。一年か。初めて見る顔だ。ウィルソンよりも品があるが、オルグレン先輩よりも態度が太々しい。同い年のくせになんか威厳を感じさせる。
金色と言えばこんな色だよねってぐらいの金髪の下には、100%何かしらを支配してそうな血筋を感じさせる顔立ち。眉間に皺が寄っているが。
……まさか。
第一寮の一年で、金髪で不機嫌で気の小さいやつ。俺のスパコン並みの脳みそが5秒かけて、真実を導き出した。
「オルネリオン王子殿下、お初にお目にかかります」
すでに高かった俺の心拍数はさらに上がった。
階段の前というリスキーな場所で胸元に手をやり、気持ち深めに頭を下げておく。ぎり疑問符をつけなかった自分に拍手を送りたい。だって取り巻きがいないバージョンはレアじゃないか。難易度爆上がりだろ。
ちらっと顔を上げれば、殿下は先ほどから変わらず俺を睨むように見つめていた。
「……お前、なんで……」
「? な、なんでしょうか?」
ヴィクトルも殿下も、お偉いガキンチョはぼかしていうのがお上品だとでも思っているのか。やっていることは、「あれ」とか「それ」とかだけ言って醤油をとってもらう親父と同義である。醤油取りのアルドリッチはどこにいるんだ。
「……」
「……ああ、雑役生の仕事です。レッドフォード先輩に手紙を届けるように頼まれたので。パシー先輩からです。ご存知でしょうか、勉強会のメンバーなんですが」
「雑役生……? レッドフォード先輩?」
「はい、みんな先輩を心配しているんです」
「なんで」
「レッドフォード先輩は人柄がよく、慕われているのではないでしょうか」
喃語よりは多少マシ程度の殿下のお言葉に俺は第六感で返答していた。開国功臣の血筋だからこそ為せる以心伝心である。
「そうじゃない」
「申し訳ございません」
違うかった。とほほ。
殿下と接点を持つことは貴族にとっていいことだろうが、唐突な1on1は嬉しくない。事前リサーチ、ディレクター、フラッシュモブ、演出係、打ち合わせ、リハーサルとか絶対ほしい。プロの俳優に代役だって頼みたい。
何もない状態の現に今、俺の本心と理性と精神と体と魂と魄は離れたがっていた。たとえ餌が豊富だとしても、海水で淡水魚は生きられないのである。
俺はずらかれる機会を神に祈りつつ、妹の友達に好評な素敵な笑顔を浮かべ続けた。変わらず視線が痛い。殿下は人差し指で階下を指した。
「降りろ」
「はい」
俺の印象もしかして良くない? なんで?
そもそもなんで一年生の殿下も4階にいるのか。ちらっと疑問に思ったが、もう一度忠誠心あるお辞儀をして階段を下った。




