94話 ~襲来4~
グォォオオオ……
魔物が、低い唸り声を空に轟かせる。
重い、骨に響くような低音だ。
両羽をぶわっと広げたコウモリが、男性を地面に放り出し、勢いよく空に飛翔する。
黒光りする羽にギラリと輝く月光と、血液で赤く濁った牙――。
「っ、来る……!!」
杖の先を、向かい来る魔物へ向ける。
全身の力をすべて杖に預けると、ガタガタと激しく震えだした。
全身全霊を込めた魔力を、あれにぶつけるのだ。
そう、あの魔物を、倒す――。
(倒す……殺、す?)
攻撃に向いていた意識が、ふと、揺らいだ。
相手はコウモリの魔物だ。
けれど、生きている。人と同じように。
生き物を、意識あるものをこの手で殺すのか。
いくら、人にあだなすモノ相手だとしても――。
「……ハナ!!」
「あ、っ……!?」
一瞬の逡巡を、魔物は待ってくれなかった。
ナイフよりもとがった大きな牙が眼前で開かれ、そのまま頭に向かって襲い掛かって――、
「あ、れ……?」
グサッ、とそのまま牙が頭に食い込む――か、もしくは爆発四散する、と思ったものの、なにも衝撃はない。
恐る恐る目を開けば、眼前には金色の長い髪が躍った。
「あんたね、無茶するんじゃないの!!」
「あっ、え、エリアスさん……」
剣を持って仁王立つエリアスの向こうに、コウモリの魔物が恨めしそうな視線でこちらを見下ろしている。
どうやら、エリアスの剣撃を食らったらしく、羽の一部から紫色の血がしたたり落ちていた。
「たった一人で、強力な魔物に立ち向かうなんて……! 危ないでしょうが!」
「あ、でも、私その……たぶん、爆発させるから……」
「いくらダメージを負わないって言っても、いつまで続くかわからないじゃない! なにかあったら……!」
「……エリアスさん」
彼の気遣う言葉に、ぐっ、と胸が詰まった。
確かに、攻撃してくるものすべてをはじくこの力が、無限とは限らない。
いつの間にか、真っ黒く光っていた杖の輝きは落ち着いている。触れていても、暴れることもない。
もしかして、私の感情に反応しているのか。
グ……グ、ゲゲェ
魔物が、低い唸り声を上げつつ、両羽を広げた。その瞳はギロリとエリアスをにらみ、奥歯をギリギリ鳴らしている。
「あの男……放っておいたら死んじゃうわ! そっちをお願い!」
「あ……は、はい!」
牙で貫かれ、血を吸われていた男性は、大地の上でまったく身じろぎしない。おそらく瀕死の状態だ。
「エリアスさん……お気をつけて!」
「ええ……!」
剣を構え、エリアスは魔物の眼前に立ちふさがった。
後ろ髪を引かれつつも、全速力で倒れる男の方へ走る。
しかし、
グルルゥゥ……
「待ちなさい! あんたのエサは……いいえ、相手は、このあたしよ!」
魔物の吐息を背後に感じた瞬間、エリアスの声が聞こえて、再び剣戟の音がした。
どうやら、魔物が襲い掛かったのを、彼の剣が弾いてくれたらしい。
ギュギャギャッ
獣の悲鳴交じりの唸り声と共に、金属がぶつかり合う激しい音がする。牙と剣がぶつかりあっているのか。
(エリアスさん……! 早く、さっきの人を助けて、補助しないと!)
今、自分にできることを。
それは、魔物に殺されかけた男性を救うことだ。
背後から聞こえる戦闘音を極力気にしないようにして、転がって動かない男性のそばにしゃがみこんだ。
「うっ……ひ、ひどい」
男性の体は、あちこちズダボロだった。
手足は折れ曲がり、あちこちに裂傷。腹に開いた深い穴から、血がどくどくと流れ出している。
胸はわずかに上下しているものの、それだっていつ止まってもおかしくない。意識はなく、唇は真紫だ。
「……っ……治しますから……絶対、しなないで……!」
共にいたオルディアは、気を失って少し離れたところに倒れている。
テルルが介抱に回っているから、あちらは心配なさそうだ。
とにかく、一刻も早く、この人を。
さっき取り出した杖をいったんひざの上に置き、両手を彼の体に触れさせる。
自分の体に循環する魔力を、目の前の男性に流し込むイメージ。
全身がゆったりと暖かさに覆われて、傷のひとつひとつが消えていくように。痛みが、すべて消え去っていくように――!
「……このまま……!」
暖かい光が、私の全身を覆った。ひざの上の杖が、呼応するようにチカチカと白く光を放つ。
両手を当てた彼の体が、だんだんと私の光をまとい、ぼんやりと輝いていく。
「まだ……死ぬには早いですよ……!!」
フーッと息を吐き出しながら、目をしっかりと見開き、男性の傷ついた部分をひとつひとつ確認していく。
折れた腕が戻り、骨が頑丈になる。内臓の損傷が回復し、皮膚の傷が癒え、しっかりと目を開いて体を起こす。
それを、想像する。
生きている姿を、ハッキリと。
「さあ……目を開けてください……!」
白い光が、彼の全身を覆う。
まぶしく、目を開けていられないほどにまばゆく。
痛みも、苦しみも、すべてが消えて、元通りになる――!
パァァアア……
まばゆい光が一瞬はじけて、収束する。
魔力の流れが安定し、そっと両手を離した。
男性の傷跡はすべて消え、ふる、とまぶたが震える。
「あ……あ、れ……? お、おれ、は……」
男性は、ゆっくりと体を起こし、自らの体を見下ろした。どうやら、痛みや違和感を感じている様子はない。
思わず、わぁっ、と手を叩いた。
「よかった……目が覚めましたね! 体は大丈夫ですか?」
「え……そうだ、おれ、コウモリの魔物に……」
「ええ、ひどい怪我だったんですよ。あまり無理せず、ゆっくり立ち上がってください」
状況が理解できず、うろたえる男性の背中をポンと叩く。
彼は一回、二回とまばたきした後、ポカン、と口を開けた。




