三六二 帰還前夜、最後の夕食
温かいスープの甘い匂いと焼いた肉の香ばしい香りが食欲をそそる。
「奉仕者たちの作る飯は美味いなぁ」
誰かがそう言って頬を緩ませると、
「やっぱり、美味しいものを食べてる時が幸せだよなぁ」
誰かがそう応え、その場が明るい空気に包まれる。
宿舎にある広間で、サムイコクの兵士たちが夕食を摂っていた。
リザド・シ・リザドでの最後の夕食は、サムイコク遠征隊とキノコク遠征隊、合同で摂ることも考えられたが、いくら爬神族に合わせて作られた部屋とはいえ、両国の兵士が入れるだけの広間がなく、セダイで祝宴が用意されていることもあって、結局別々に摂ることになった。
広間の床に胡座をかいて座り、兵士たちは奉仕者たちの振る舞う料理に舌鼓を打っている。
サムイコクを発ったとき一万五千人いた兵士のうちリザド・シ・リザドまで辿り着けたのは、たった千人ほどだった。
遠征軍に参加した国の中で最も戦死傷者が多かったのが、先陣を切って戦ったサムイコクだった。
サムイコクは犠牲者を多く出したが、他国の兵士たちから一目置かれることになった。
誰よりも先に爬神軍に向かって突っ込んでいったタケル、アジ、サスケの勇姿がミナカイコク、キノコクの兵士たちの胸を打ち、三人に続いて爬神軍に突っ込んでいったサムイコク遠征隊の勇猛な姿が、両国の兵士たちに勢いを与えたのだった。
そのサムイコク遠征隊の勇姿は後に参戦したカサコク、ガルスコクの兵士たちも目の当たりにすることになり、タケル率いるサムイコク遠征隊はどの国の兵士たちからも尊敬の念を持たれる存在になっていたのである。
タケル、アジ、ケンタ・ナガサの三人は広間の上座に並んで座り、兵士たちの様子を見渡すようにして、他の兵士たちと同じように談笑しながら食事を摂っていた。
「だいぶ減りましたね」
タケルの左に座る北地区隊長のケンタ・ナガサは寂しそうに呟いた。
「激しい戦いでしたから」
タケルの右に座るアジが神妙な面持ちで応えると、
「戦場に散った仲間たちの死を無駄にしないためにも、ここにいる兵士たち、そして東ガルウォで治療中の負傷兵たちと共に、この戦いを生き抜いた我々が、爬神後の新しい世界を平和で豊かなものにするために働かなければならないのです」
タケルはそう決意を語り、広間の兵士たちを見渡すのだった。
「そうですね」
ケンタ・ナガサはしんみりと頷き、肩まで伸びたサラサラの黒髪を掻き上げ、皿に注がれたスープを啜った。
「美味いなぁ・・・ムトウ殿にも味わって欲しかったなぁ・・・」
ケンタ・ナガサは悔しそうにそう呟き、スープの味を噛みしめる。
サムイコク東地区隊長ユズ・ムトウは東ガルウォの戦いで勇敢に戦い、その命を散らしていた。ユズ・ムトウは何ものをも恐れない、まさに戦士といった男でありながら、大らかで気さくな人柄だった。
そのユズ・ムトウの死が、ケンタ・ナガサには残念でならなかった。
タケルとアジもユズ・ムトウの死を惜しんだ。
これから新しい世界を築くというときに、ユズ・ムトウのような人を引っ張る力のあるリーダーが必要だった。
「カカト殿は、どうしているんでしょうね」
ふと、タケルは東ガルウォで治療に専念している、南地区隊長のユタ・カカトのことが気になった。
「カカト殿は大丈夫でしょう。東ガルウォにはミナカイコクとカサコクから提供された良質な薬も十分ありますし、蛮狼族の医術者たちも負傷兵たちの治療を手伝ってくれていますから」
ケンタ・ナガサはそう答え、タケルを安心させるための笑みを浮かべる。
タケルが東ガルウォの住民および蛮狼軍の残兵を一切傷つけないことを告げると、東ガルウォの戦いで負傷した賢兵たちのために宿を提供することと、彼らの治療に協力することを、統治狼神官ラ・ガルウォが申し出たのだった。
ミーヨ・アキサはタケルの首を差し出すことを要求したラ・ガルウォだけは処刑にすべきだと主張したが、
「私怨を晴らすよりも、これからのことを考えましょう。平和な世界を築くには、蛮狼族の協力も必要なのですから」
タケルはそう言ってその主張を受け付けなかったのである。
そしてその言葉で、ラ・ガルウォはタケルに屈服したのだった。
「そうですね。カカト殿は大丈夫ですよね」
タケルはそう自分に言い聞かせるように言って、ケンタ・ナガサに笑顔で頷いた。
「でも、ナガサ殿が無事で本当によかった」
アジが安堵の声を漏らし、タケル越しにケンタ・ナガサを見ると、
「私は無事であることが恥ずかしいのです。ムトウ殿は勇ましく散り、カカト殿も勇敢に戦った結果として左腕を失ってしまいました。大した負傷もしていない私は本当に死力を尽くして戦ったのだろうか・・・そう自問してしまうのです」
ケンタ・ナガサは俯き、その表情を曇らせた。
「命を落とすことが勇ましさではありません。負傷することが勲章なのではありません。ナガサ殿は死力を尽くして戦ったからこそ、無事生き抜くことができたのです。あの戦場において、死力を尽くさずに戦った兵士は一人もいません。いや、死力を尽くさずして神兵に立ち向うことなどできなかったはずです」
タケルは戦闘に参加したすべての兵士たちを想い、そう断言した。
「タケルの言う通りですよ」
アジはそう声をかけ、優しく微笑む。
タケルの強い言葉とアジの優しい眼差しに、ケンタ・ナガサは思わず涙ぐんでしまう。
「ありがとございます・・・」
ケンタ・ナガサはそう言って目に滲む涙を拭った。
「今宵の食事はいかがですか」
一人の奉仕者が焼き魚の料理を運んで来て、タケル、アジ、ケンタ・ナガサの前にそれぞれ置いてから料理の感想を訊いてきた。
タケルは運ばれて来た焼き魚の皿を手に取ると、それを顔に近づけてその匂いを嗅いだ。
「うわっ、この焼き魚は美味そうだ」
タケルはそう言って喜び、
「今宵の食事は最高に美味いぞ」
そう答えて満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。その焼き魚はウオチの味付けで、リモンで香りづけがされています」
奉仕者がそう告げると、
「やっぱりそうか」
タケルは嬉しそうに焼き魚を眺める。
「美味そう」
アジが焼き魚の皿を手に取ると、
「ほぉ、私はウオチの料理を食べた事がないので、これは楽しみだ」
ケンタ・ナガサも焼き魚の皿を手に取り、すぐにその身を手でほぐして口に持っていった。
「これは美味い」
ケンタ・ナガサはその味もさることながら、弾力のある魚肉の柔らかな食感に目を丸くして驚いた。
ケンタ・ナガサに続いてタケルとアジも焼き魚を一口食べると、その柔らかな肉のホクホクとした食感とまろやかな甘み、そこから滲み出る香辛料の香ばしさとリモンの酸味が絶妙に絡み合った見事な味付けに、自然と頬がとろけてしまう。
「美味い」
アジはその美味さに驚き、
「ウオチの味がこんなところで味わえるとは思ってもみなかった」
タケルも素直に感激した。
「ウオチ出身の者たちが焼いた魚です」
奉仕者は嬉しそうにそのことを伝えた。
「なるほど」
アジはそんな相槌を打ちながらもう一口焼き魚を口に運び、その横で、
「あれ?」
タケルはふと思い出した。
「サブじゃないか?」
タケルは奉仕者の顔をまじまじと見て、そう尋ねた。
奉仕者は恥ずかしそうに、
「はい、そうです」
と答え、改めてタケルに深く頭を下げた。
その奉仕者は東ガルウォの戦いで奉仕者部隊を率いていた男で、サスケが「サブ兄ちゃん」と呼んでいた男だった。
「お前は料理もできるのか」
タケルが訊くと、
「いえ、料理を作ることはできませんが、運ぶことはできます」
サブは膝をついた姿勢で恥ずかしそうに答えた。
「上手いこと言うなぁ」
タケルが親しみを込めた口調で感心すると、サブは真顔になり、
「タケル様とアジ様には感謝してもしきれません」
そう言って涙ぐむのだった。




