第9話 低層の乱獲。戦国の築城術が叶える「魔石のオートメーション回収」
大宮ダンジョン第三階層。
水彩画のように淡く冷たい青色の光を放つ発光苔が、入り組んだ迷宮の岩肌を照らしている。
ひんやりとした湿った空気が漂う中、定点カメラを搭載したギルド製の最新型ステルスドローンが、一人の青年の背後を静かに追従していた。
「ひ、ひぃっ……! なんか、この辺り、モンスターがいっぱい出そうで怖いなぁ……」
太田佑は、身を縮めながら大仰に震えてみせた。
その顔の上半分は、特別研究室の雨宮結衣が用意したアーティファクト『認識阻害の狐面』によって覆われている。
光学迷彩の技術と魔術が組み合わされたその仮面は、直接見てもカメラ越しに見ても、のっぺりとした白い狐の顔にしか見えず、個人の特定を完全に防ぐ優れものだった。
だが、その特徴的なオドオドとした態度、そして腰に提げた安物の解体ナイフの組み合わせに、配信の視聴者たちが騙されるはずもない。
『完全に太田ニキで草』
『隠す気ゼロやんけwww』
『狐のお面、あの光る狐のスキルと合わせててちょっとオシャレ』
『運営、公式で専用チャンネル用意するとか仕事早すぎだろ』
『で、今日はどんなサイコパスプレイを見せてくれるんだ?』
配信開始からわずか数分で、同時接続数はあっという間に三万人を突破していた。
昨晩の惨劇の記憶が新しい視聴者たちは、画面の向こうの青年が「気弱な底辺テイマー」などではなく、計算し尽くされた殺戮の芸術家であることを熟知している。
彼らは、これから始まるであろう「ショー」に、熱狂と期待のコメントを滝のように流し続けていた。
「(……ふむ。あの牝狐め、手回しが良い。これならば素顔を晒すリスクなく、思う存分に狩りができる)」
佑は狐面の下で、タヌキ親父のような酷薄な笑みを浮かべた。
彼が現在位置しているのは、第三階層の中でも特に道幅が狭く、複雑に折れ曲がった「迷路区画」と呼ばれるエリアだ。
エリート探索者たちは、魔法の範囲攻撃が壁に阻まれるためこの地形を嫌うが、佑にとって狭所とは、己の戦術を最大限に活かせる『最高の陣地』であった。
「……よし。ここを本陣とする」
佑は道幅がわずか二メートルほどに狭まった丁字路の角に立ち止まると、足元の影に向かって短く命じた。
「出番だ。我が盾となり、愚か者どもの進軍を阻め――『塗り壁』」
ズズンッ。
影の沼から、高さ一・五メートル、幅一メートルの重厚な岩の板がせり上がってくる。
佑はそれを丁字路の角、敵が曲がってきた直後の『完全な死角』となる位置に配置した。
表面に生えた苔が、ダンジョンの壁と完全に同化し、薄暗がりではただの行き止まりの岩壁にしか見えない。
「(戦の基本は、敵の選択肢を奪うこと。この一本道、敵は全速力で駆けてくるしかない)」
佑は塗り壁の背後にあるわずかな隙間に身を隠し、ナイフを逆手に構えた。
「往け、管狐。敵兵をここまで釣り出せ」
「チィッ!」
一条の黄金の光が、迷路区画の奥へと弾丸のように飛んでいく。
数分後。
迷宮の奥から、けたたましい足音と怒り狂った咆哮が響き始めた。
『ブゴォォォォッ!!』
『ギガァッ!』
管狐の幻惑と挑発に完全に釣られ、血走った目を剥いた『ケイブ・オーク』や『シャドウ・ゴブリン』の混合群が、土煙を上げて殺到してくる。
その数、およそ二十。
狭い通路にひしめき合い、我先にと光る狐を追って突進してくる様は、まさに暴走する肉の壁だ。
「あ、あわわわっ! き、来ちゃった! どうしよう、どうしよう!?」
佑は狐面を手で押さえ、わざとらしく悲鳴を上げる。
ドローンのカメラは、押し寄せる魔物の群れと、逃げ場を失って壁際に縮こまる佑の姿を、絶望的な構図で映し出していた。
『うわあああああ!』
『数が多すぎる! オークとゴブリンの百鬼夜行じゃねえか!』
『狭い通路でこれは詰みだろ!』
視聴者が息を呑んだ次の瞬間。
先頭を猛スピードで走っていたケイブ・オークが、丁字路の角を曲がった。
オークの視界には、逃げ惑う光る狐しか映っていない。
その直後に待ち構える、空間に完全固定された『絶対防壁』の存在など、微塵も予測していなかった。
ズドォォォォォォォンッ!!!
爆発のような轟音。
数トンの体重を持つオークの巨体が、全速力の運動エネルギーを保ったまま、不可視の塗り壁に激突した。
『ブゲァッ!?』
豚の鼻がひしゃげ、頭蓋骨が砕ける嫌な音が響く。
作用・反作用の法則により、自らの突進の威力を完全に反射されたオークは、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
だが、惨劇はそれだけでは終わらない。
狭い通路ゆえに、後続の魔物たちは急に立ち止まることができないのだ。
『ギギャッ!?』
『ブゴォォッ!』
先頭で倒れたオークの巨体に、後続のゴブリンやオークが次々と玉突き事故を起こして重なっていく。
凄まじい質量が狭所に押し込まれ、自らの仲間の重みで圧死する者や、骨折して身動きが取れなくなる者が続出する。
そこはまさに、魔物自身が自らの肉体で作り上げた「地獄の圧搾機」と化していた。
「あ、あれ……? み、みんな勝手に転んでる……?」
佑は間の抜けた声を出しながら、塗り壁の隙間からひょっこりと顔を出した。
そして、身動きが取れずにもがいている魔物たちの顔面や首筋に、まるで畑の野菜を収穫するような手つきで、次々と解体ナイフを突き立てていく。
ズブッ、プツン。ズブッ、プツン。
淡々と、一切の感情を交えずに急所だけを破壊していく。
血飛沫は最小限。悲鳴を上げる間も与えない。
わずか一分の間に、二十体の魔物の群れは、一匹残らず光の粒子となって霧散していった。
後に残ったのは、コロコロと床に転がる大量の魔石だけだ。
『………………は?』
『えっ、ちょっ、今何が起きた???』
『オークが曲がり角で見えない壁に激突して、後続が全部それに突っ込んで自滅した!?』
『そして身動き取れなくなったところを、太田ニキが順番にトドメ刺した……』
『なんだこれ。タワーディフェンスのゲーム実況見てるのか俺は?』
『完全に『魔石のオートメーション回収工場』じゃねえかwww』
『戦い方が効率的すぎて怖い。これぞ究極のハメ殺し』
『あいつ、絶対「みんな勝手に転んでる」とか思ってねえだろwww』
配信のコメント欄は、戦慄と爆笑が入り交じった異常な熱気に包まれていた。
力と魔法がぶつかり合う派手な戦闘など、そこにはない。
あるのは、物理法則と地形を完全に支配し、敵をベルトコンベアに乗せて処理していくような、圧倒的で冷酷なまでの『作業』だった。
「ひ、拾わなきゃ……! これでお姉ちゃんの薬代が……!」
佑は慌てたふりをして魔石を拾い集める。
その裏側で、管狐がこっそりといくつもの魔石を丸呑みし、力を蓄えている様子を、視聴者は面白半分で見守っていた。
「(……素晴らしい。塗り壁の固定力は完璧だ。管狐の釣り出しとの連携も申し分ない。これならば、第一から第三階層の有象無象など、いくらでもすり潰せる)」
狐面の下で、佑は冷徹な満足感を覚えていた。
戦とは、事前にどれだけ盤面を支配できるかで勝敗が決まる。
この『見えない城壁』を用いた築城術は、かつて小田原の北条軍を何度も退けた、太田資正の兵法そのものだった。
*
一方、その頃。
佑が狩りを行っている迷路区画から、少し離れた第三階層の広間。
「チッ……! あいつ、あの狐面、絶対にあの底辺ポーターの太田だろ!」
シルバーウィングのリーダーである赤い鎧の男が、手元のスマートフォンで配信の映像を見ながら忌々しげに舌打ちをした。
彼らは佑への復讐と、彼が持つであろう「未知のアイテム」を奪い取るため、密かに大宮ダンジョンへと潜入し、配信の位置情報を頼りにここまで追跡してきていたのだ。
「リーダー、見ましたか今の……。見えない壁を使って、オークの群れを一瞬で……。やっぱりあいつ、ヤバいですよ。関わらない方が……」
仲間の魔術師が、青ざめた顔で震え声を出した。
しかし、嫉妬と強欲に脳を焼かれたリーダーの男には、もはやまともな忠告など届かない。
「馬鹿野郎、ビビってんじゃねえ! あいつの戦い方は、あんな狭い通路に敵を誘導したから通用しただけの小賢しい罠だ。……俺たちが用意した『これ』を使えば、あんな見えない壁なんか意味がなくなる」
男は懐から、紫色の禍々しい煙を放つお香――違法薬物である『狂乱の香』を取り出した。
「これを焚けば、階層中のモンスターが凶暴化し、香りの発生源に狂ったように殺到する。……俺たちが、あいつの背後にこれを投げ込んでやればどうなるか、わかるか?」
「なっ……! そんなことをすれば、あいつは前後から挟み撃ちになって……!」
「そうだ。百匹以上の狂ったモンスターに押し潰されて、あの狐面もろとも挽肉になるってわけだ。俺たちは安全な場所から、あいつが死んだ後にアイテムだけ回収すればいい」
男は卑劣な笑みを浮かべ、仲間の制止を振り切って『狂乱の香』に火をつけた。
シューッ、という音とともに、脳を直接揺らすような強烈で甘ったるい悪臭が、ダンジョンの冷たい空気に溶け込んでいく。
「さあ、見せてみろよ太田! てめえのその小賢しい罠が、圧倒的な暴力の前にどこまで通用するかをな!」
男が香を佑のいる迷路区画の入り口へと放り投げた瞬間。
ダンジョンの空気が、物理的な重みを持つほどの強烈な殺意で満たされた。
『ゴガァァァァァァァァァッ!!!』
『ピギャアアアアアアアッ!!!』
狂乱の香の匂いに当てられ、理性を完全に失ったモンスターたちが、第三階層のあらゆる場所から咆哮を上げて集結し始めた。
その数は、数十どころではない。百を超える大群が、床を揺らし、壁を削りながら、佑のいる一本道へと殺到してくる。
それはまさに、人工的に引き起こされた『スタンピード(大暴走)』だった。
*
「……ん?」
魔石を拾い集めていた佑は、地面から伝わる異常な振動と、鼻を突く人工的な悪臭に気づき、動きを止めた。
ドローンのカメラも異変を察知し、高度を上げて周囲の状況を映し出す。
『おいおいおい! なんか異常な数のモンスターが集まってきてないか!?』
『画面の奥、真っ黒だぞ! 全部モンスターだ!』
『第三階層の魔物が全部集まってきたみたいな数だ! これ、イレギュラー発生か!?』
『逃げろ太田ニキ! さすがにその壁一つじゃ防ぎきれないぞ!』
視聴者たちがパニックに陥る中、佑はゆっくりと立ち上がった。
狐面の下の表情は窺えない。だが、その姿勢には微塵の怯えもなかった。
「(……ほう。この臭い、人為的なものか。なるほど、俺の血をすすりに来た小バエどもが、小細工を仕掛けてきたというわけだな)」
戦場において、予期せぬ奇襲など日常茶飯事。
佑の脳髄に眠る太田資正の魂が、圧倒的な不利な状況に直面し、逆に歓喜に打ち震えていた。
「あ、あわわっ! ど、どうしよう、いっぱい来ちゃった……!」
表面上はいつものパニック演技をしながら、佑の冷徹な目は、押し寄せる百の群れと、その後方に隠れてこちらをニヤニヤと見物している、赤い鎧の男の姿を正確に捉えていた。
「(……策に溺れた愚か者め。俺の陣地に、これほどの『素材』を自ら運んできてくれるとはな)」
佑はナイフの柄を強く握り直した。
「(ならば見せてやろう。戦国を生き抜いた俺の兵法が、ただの壁当てゲームではないということを)」
圧倒的な質量が押し寄せる絶体絶命の窮地。
しかし、妖将の真の恐怖は、ここから始まるのであった。




