第8話 秘密の検証実験。絶対防壁『塗り壁』と、戦の基本たる築城術
関東探索者ギルド本部の地下七階。
そこは、一般の探索者はおろか、ギルドの正規職員でさえ立ち入りを制限されている『特別検証施設』だった。
四方を分厚いミスリル合金と、高密度の魔力結界で覆われた広大なドーム状の空間。
天井からは太陽光を模した強烈な魔力照明が降り注ぎ、無機質な白い床を照らし出している。
本来は、新種の強力なモンスターの生態調査や、Aランク以上の高位魔法の威力を測定するために使われる場所だ。
「さあ、見せてちょうだい佑くん。あなたの新しい『手駒』とやらを」
強化ガラスで仕切られた安全なコントロールルームから、マイク越しに雨宮結衣の声が響く。
彼女の目の前には何十ものモニターが並び、ドーム内に立つ太田佑の生体データから空間の魔力波長まで、あらゆる数値をリアルタイムで解析する準備が整っていた。
佑は広大なドームの中央にポツンと立ち、軽く首を鳴らした。
すでに「気弱な青年」の仮面は完全に外し、その表情には、戦国の世で幾つもの城を落としてきた冷徹な将の覇気が宿っている。
「……ふむ。随分と頑丈な堀と城壁だな。これならば、少々派手に動いても外に漏れる心配はあるまい」
佑は周囲のミスリル合金の壁を見渡し、満足げに頷いた。
そして、己の足元に広がる自身の影に向かって、静かに、しかし絶対的な威圧感を込めて命じる。
「いざ参れ。我が盾となりて、敵の進軍を阻め――『塗り壁(小型)』」
ズズンッ……!
佑の足元の影が、まるで水彩画の黒いインクを水に落としたかのように、ぶわりと周囲に滲み広がった。
直後、その影の沼から、重々しい地鳴りとともに『それ』がせり上がってくる。
高さはおよそ一・五メートル、幅は一メートルほど。
一見すると、墓石か、あるいは分厚い長方形の岩の板にしか見えない。
だが、その表面にはひんやりとした湿り気を帯びた苔が生え、微かに水彩の緑色を滲ませており、上部には眠たげな細い二つの目が浮かび上がっていた。
「……ッ! な、何よこれ!?」
コントロールルームの雨宮が、悲鳴に近い歓声を上げた。
彼女の指が狂ったような速度でキーボードを叩き、モニターに表示される異常な数値を弾き出していく。
「質量、およそ八百キログラム! なのに、床にかかる接地圧が完全にゼロ!? 重力制御魔法の波長なんて一切検知されていないのに、空間に『固定』されて浮いているというの!?」
「驚くのはまだ早いぞ、牝狐。こいつの真骨頂は、ただ浮いていることではない」
佑は塗り壁のザラザラとした表面を撫でながら、不敵な笑みを浮かべた。
妖怪『塗り壁』。伝承では夜道で人の歩みを阻むだけの存在だが、佑のバグ職【妖将】のスキルとして顕現したこいつは、純粋な『物理的遮断』に特化した極めて強力な手駒だった。
「口で説明するより、実戦で見せた方が早かろう。……一番硬い動く的を出せ」
「ええ、いいわ! じゃあ、対物理試験用の最高峰、第四世代の『ミスリル・ゴーレム』を起動するわよ!」
雨宮がコンソールを操作すると、ドームの奥にある巨大なハッチが重々しい音を立てて開いた。
中から現れたのは、全身を銀色のミスリル装甲で覆われた、体長三メートルの巨大な人型兵器だった。
Bランクモンスターを軽く凌駕する膂力と、一切の魔法を弾き返す対魔装甲を備えた、ギルドが誇る試験用の怪物。
『ガガ……目標、確認。排除プロセス、移行』
機械的な音声とともに、ゴーレムの赤い眼光が佑を捉えた。
次の瞬間、地響きを鳴らしながら、ゴーレムが猛烈なスピードで突進してくる。
その巨腕が振り下ろされれば、分厚い鉄板すらも紙屑のようにひしゃげるだろう。
だが、佑は一歩も動かない。
ただ、懐で腕を組み、冷徹な目でゴーレムの軌道を計算しているだけだ。
「……潰せ」
佑が短く命じた瞬間。
彼の傍らに浮遊していた塗り壁が、コマ送りのような異常な速度で横にスライドし、突進してくるゴーレムの真正面へと陣取った。
ズドォォォォォォォンッ!!!
ドーム全体が大きく揺れ、爆発したかのような轟音が響き渡る。
ゴーレムのミスリル製の巨腕が、塗り壁の正面にまともに激突したのだ。
「ああっ! 危ないっ!」
雨宮が思わず身を乗り出した。
八百キロの質量があるとはいえ、数トンの運動エネルギーを持つゴーレムの全力の突進だ。まともに受ければ、岩の板ごと佑まで吹き飛ばされるのが物理法則というもの。
しかし。
土煙が晴れた後、コントロールルームの雨宮は、信じられないものを見るように目を見開いた。
「嘘……でしょう……?」
塗り壁は、激突の瞬間の位置から、ミリ単位たりとも後退していなかった。
表面の苔がわずかにパラパラと落ちた程度で、ヒビ一つ入っていない。
対するミスリル・ゴーレムは、自身の圧倒的な運動エネルギーのすべてを『完全に反射』され、右腕の装甲がひどくひしゃげ、関節から火花を散らして機能停止しかけていた。
「……素晴らしい」
佑は塗り壁の背後からゆっくりと歩み出ると、機能不全に陥ってガタガタと震えるゴーレムの膝裏に回り込んだ。
「戦において、最も強固な城壁とは何か。それは『絶対に壊れないこと』ではない。敵の勢いを完全に殺し、こちらの攻撃の起点となる『楔』となることだ」
佑は足元の床を滑るように動き、ゴーレムの装甲の隙間、動力パイプが露出している膝裏の関節部分へと、解体用ナイフを静かに突き立てた。
プツン、という音とともに、巨体の姿勢制御システムが完全に沈黙する。
ドゴォン、と前のめりに倒れ込むミスリル・ゴーレム。
たった一回の激突と、一回の刺突。
ギルドの最高傑作である試験用兵器が、魔法の欠片も使われないまま、完全な鉄屑と化した。
「……運動エネルギーの完全な相殺。いや、違う。あの塗り壁という存在自体が、空間に『座標固定』されているのよ! だからどんな物理的衝撃を受けても、座標がズレない限り絶対に動かない……!」
雨宮はマイクを握りしめ、顔を紅潮させながら叫んだ。
「あり得ないわ! 質量保存の法則も、作用・反作用の法則も完全に無視している! これがあなたの新しい力なのね、佑くん!」
「戦場の泥濘に、学者の理屈など通用せんよ」
佑はナイフの汚れを払いながら、タヌキ親父のように飄々と笑った。
「こいつの恐ろしさは、ただの盾ではないことだ。例えば、細い通路でこいつを敵の足元に突然出現させたらどうなる?」
「……! 不可視の絶対的な障害物……。全速力で走る敵は、自らの運動エネルギーで自壊するトラップになるわ……!」
「ご名答だ。さらに管狐の幻惑を組み合わせれば、敵を俺の望むルートへ強制的に誘導し、最後はこの塗り壁で作った『処刑場』へと叩き込める」
佑の瞳に、戦国の軍師としての冷酷な光が宿る。
「魔法で一網打尽にするなど、魔力の無駄遣いだ。戦とは、敵の選択肢を奪い、自滅するように盤面を整えること。……これであのダンジョンを、完全な『自動狩り(オートメーション)』の狩り場に作り変えることができる」
その言葉に、雨宮は背筋にゾクゾクとした悪寒と、強烈な快感が走るのを感じた。
圧倒的な力を持つモンスターを、魔法の火力ではなく、冷徹なまでの『罠』と『地形操作』でハメ殺す。
この少年は、ダンジョンというシステムそのものをハッキングし、弄ぼうとしているのだ。
「最高よ、佑くん……! あなたのその悪魔みたいな戦術、早く実戦で見せてちょうだい! 次の配信の準備はできてるわよ!」
「焦るなと言っただろう、牝狐。……手駒を完全に機能させるには、まだ連携の練度が足りん。それに、準備すべき小道具もある」
佑は塗り壁を影の中へと帰還させると、鋭い視線をコントロールルームへと向けた。
「あの馬鹿げた配信で俺の顔が売れすぎた。今普通にダンジョンに入れば、蠅どもが群がってきて面倒だ。……ギルドの権限で、俺の顔を隠す『認識阻害の仮面』か何かを用意しろ」
「ええ、もちろんよ。特別研究室の予算で、最高級のアーティファクトを融通してあげる。……フフフ、これで世界はまた、あなたの凄惨なショーに熱狂するのね」
二人の間に、完全に利害が一致した共犯者としての笑みが交わされる。
大宮ダンジョンの深層、そして姉の呪いを解く特級魔石へ至るための、血塗られたロードマップが、今ここに完成したのだ。
*
同じ頃。
大宮の歓楽街の裏通りにある、薄暗く煙草の煙が充満した安酒場。
そこに、昼間から酒をあおり、苛立ちを隠せない男たちの姿があった。
「クソッ……! なんだって俺たちが、こんなコソコソ隠れて酒を飲まなきゃなんねぇんだよ!」
テーブルを乱暴に叩いたのは、燃えるような赤い髪をした剣士の男だった。
彼の属する中堅パーティ『シルバーウィング』。
そう、数日前の夜、大宮ダンジョンの第三階層で、荷物持ちであった太田佑をブラッド・ライカンの前に置き去りにして逃亡した張本人たちである。
「リーダー、声がデカいですって……。今、世間じゃ例の配信のことで持ちきりなんですから……」
仲間の魔術師が、周囲の目を気にしながら宥める。
昨晩の「泣き虫の処刑人」こと太田佑の生配信は、文字通り世界中を熱狂の渦に巻き込んだ。
そして同時に、佑が第三階層で孤立していた理由――『雇い主のパーティに見捨てられた』という事実も、ネット上の特定班によって完全に暴かれてしまっていたのだ。
『シルバーウィングとかいうゴミパーティ』
『底辺職を囮にして自分たちだけ逃げたクズ共』
『太田ニキがあんなに強いのに、なんであいつら逃げたの?w 見る目なさすぎだろw』
SNSや掲示板は、彼らに対する凄まじいバッシングで溢れ返っていた。
ギルドへの抗議も殺到し、彼らは事実上の活動休止状態に追い込まれていたのである。
「ふざけんな! あんな底辺の荷物持ちの分際で、俺たちの顔に泥を塗りやがって……!」
リーダーの男は、自身のスマートフォンに映し出された佑の切り抜き動画を、ギリッと歯ぎしりしながら睨みつけた。
画面の中では、佑が泣き叫びながら、完璧な動作でグレイブ・ハウンドの急所を抉り取っている。
「……だがよ、おかしいと思わねぇか?」
男は目を細め、狡猾な、そしてひどく浅ましい笑みを浮かべた。
「あの無能なポーターが、急にこんなバケモノみたいに強くなるわけがねぇ。……きっとなんかあるんだ。あいつだけが知ってる、超強力なマジックアイテムか、バグ技みたいなもんがな」
「リーダー……まさか」
「あいつは元々、俺たちのパーティの所有物だ。だったら、あいつが得た力も、配信で稼いだ莫大な金も、本来は俺たちのモンであるべきだろうが」
嫉妬と強欲によって完全に歪んだ男の思考は、破滅へ向かう危険な論理を構築し始めていた。
「おい、裏の伝手を使って、あのガキの今の居場所を探れ。ダンジョンに入るタイミングを見計らって……俺たちが直々に、『先輩』として可愛がってやる」
「で、でも……あいつ、あの強さですよ? 返り討ちに……」
「馬鹿野郎、動画をよく見ろ。あいつの戦い方は、罠にハメてからの騙し討ちばっかりだ。真正面からの火力なら、俺たちの方が上だ。それに……」
男はニヤリと笑い、テーブルの上に置かれた『ある物』を指差した。
それは、違法なルートで取引される、魔物を凶暴化させる劇薬『狂乱の香』だった。
「モンスターの群れごと、あいつを挟み撃ちにしてやる。いくら罠が使えようが、物量と俺たちの魔法の前にすり潰されるだけさ。……覚えとけよ、太田佑。底辺は底辺らしく、泥を舐めて這いつくばってろってことを、俺たちが教えてやる」
安酒場に響く、己の身の程を知らぬ愚者たちの嘲笑。
彼らは理解していなかった。
自分たちが牙を剥こうとしている相手が、気弱な青年などではなく、戦国の世で数多の敵を謀略と恐怖でハメ殺してきた、本物の『怪物』であるということを。
そして、その怪物が新たな絶望の罠『塗り壁』を手に入れ、彼らのような無知な輩をすり潰すための処刑場を完成させているということを。
再び血の雨が降るダンジョンの入り口へと、運命の歯車は冷酷に回り始めていた。




