第7話 密室のヒアリング。牝狐との交渉術と、結ばれる共犯関係
無機質な銀色の壁に囲まれた、関東探索者ギルド本部の特別研究室。
分厚い防音扉が完全にロックされ、外部への通信を遮断するジャミング装置の低い駆動音だけが、密室となった空間に微かに響き続けている。
テーブル越しに、狂気的な熱視線を向けてくる白衣の女、雨宮結衣。
彼女の「もう豚のフリはやめにしない?」という鋭い問いかけに対し、太田佑は数秒間、沈黙を保った。
やがて、佑の口から、ひどく冷たく、そして酷薄なため息が漏れた。
「……ふむ。どうやら、本当に俺の底を視透かしているようだな」
その言葉と共に、佑の全身から「怯えた青年」の気配が、まるで水彩画の絵の具が水に溶けて消え去るように、完全に抜け落ちた。
丸めていた背筋が、音もなくスッと伸びる。
オドオドと泳いでいた視線はピタリと止まり、獲物の急所を正確に見定める猛禽のような、底知れぬ暗い光を宿した。
無意識のうちに作られていた、古流武術の絶対的な防御と攻撃を兼ね備えた『自然体』の構え。
ただ姿勢を変え、声のトーンを落としただけだというのに。
部屋の空気が一瞬にして凍りつき、圧倒的なプレッシャーが雨宮の全身にのしかかった。
それは、平和な現代日本で育った若者が出せるはずのない、幾千もの屍を乗り越えてきた歴戦の将だけが放つ、本物の『死』の匂い。
「っ……あぁ……っ!」
その劇的な変化を目の当たりにした雨宮は、恐怖するどころか、両手で自身の頬を包み込み、恍惚とした熱い吐息を漏らした。
目の下に深いクマを作った彼女の瞳孔は極限まで拡大し、青白い頬は興奮で微かに紅潮している。
「素晴らしいわ……! 画面越しなんかじゃない、本物の、純度百パーセントの殺意……! あなた、一体どれだけの死線をくぐり抜けてきたの? その若さで、その年齢で……あり得ない。理論上、絶対にあり得ないわ!」
「詮索は無用だ、ギルドの牝狐殿。俺はただの荷物持ち(ポーター)であり、名もなき底辺テイマーに過ぎんよ」
佑は金属製の椅子に深く背中を預け、腕を組みながら冷ややかに笑った。
その態度は、目の前にいるギルドの高官を完全に「対等」か、あるいは「自身の手駒」として値踏みしている者のそれだった。
「それで? 俺の皮を剥いで、一体何を企んでいる。特務まで動かして俺を囲い込んだ意図を聞こうか」
佑の静かで威圧的な問いかけに、雨宮は身震いし、テーブルの上に身を乗り出した。
白衣の胸元がはだけるのも構わず、彼女は狂気に満ちたオタク特有の早口で捲し立て始める。
「私はね、絶望していたのよ。現代の探索者たちに。そして、この世界の『魔法』というシステムそのものにね」
「ほう?」
「今のエリート探索者たちは、高ランクの魔石や装備に頼り切り、ただ膨大な魔力をぶっ放すだけの猿よ。魔力波長がどうの、属性相性がどうの……そんなものは、システムに与えられたおもちゃで遊んでいるに過ぎない。美しくないのよ、全く」
雨宮は忌々しげに舌打ちをし、自身のタブレット端末を佑の前に滑らせた。
そこには、昨晩の佑の戦闘データが、おびただしい数の数式やグラフと共に表示されている。
「でも、あなたは違った。魔力の放出は、あの未知の光る狐を出した時のほんの僅かな数値のみ。それ以外は全て、純粋な物理法則と、生体力学、そして敵の心理を誘導する完璧な『戦術』で構成されていた。……システムに依存しない、人間が到達し得る究極の殺戮芸術よ」
「……」
「私は、あなたのその『力』のすべてを知りたい。解析したい。解剖したい。ギルドの上層部にも、他国の機関にも、誰にも渡さない。私だけの専用の研究対象になってちょうだい!」
血走った目で迫る雨宮。
その要求の裏にあるのは、純粋で病的とも言える知への渇望だった。
金や権力で動く輩よりも、こうした狂信者の方が、利害さえ一致すれば圧倒的に御しやすい。佑は前世の経験から、それを熟知していた。
「なるほど。お前の異常な執着は理解した。……だが、戦というものは等価交換だ。俺が情報を提供するとして、お前は俺に何を差し出せる?」
佑の冷徹な交渉術が始まる。
タヌキ親父の如き狡猾な光を瞳に宿し、佑は三つの指を立てた。
「一つ。俺の身の安全と、外界からの完全な隔離だ。昨日の配信のせいで、外には俺の首を狙うハエどもが大量に湧いているだろう。あの馬鹿げた喧騒から俺を隠し、自由に動ける環境を用意しろ」
「ええ、お安い御用よ。私の権限を使えば、あなたの戸籍ごと最高機密にぶち込んで、誰の手も出せないようにしてあげる」
「二つ。俺の使役する妖怪……お前の言う『未知のエネルギー体』の育成には、大量の魔石が必要だ。ギルドの資金で、俺に無尽蔵の魔石を供給しろ」
雨宮は一瞬目を見開いたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべて頷いた。
「いいわ。研究費の不正流用なんて、特別研究室じゃ日常茶飯事よ。あなたのデータを取るためなら、いくらでも予算を溶かしてあげる」
「……そして三つ目。これが最も重要だ」
佑は立てていた指を折り、組んだ両手の上に顎を乗せた。
その瞳の奥に、これまでの冷徹さとは違う、ドロリとした激しい怒りと執念の炎が揺らめく。
「大宮ダンジョン『深層』。そこの最奥にいるというボスモンスターについての、すべての機密情報をよこせ」
その言葉に、雨宮の表情から初めて余裕が消えた。
彼女は息を呑み、信じられないものを見る目で佑を見つめ返す。
「……正気? 大宮の深層は、国が指定したA級の封鎖エリアよ。未知の西洋の呪いが蔓延していて、Sランクのトップパーティですら生還率が五割を切る地獄。いくらあなたの戦闘技術が完璧でも、あそこの瘴気と暴力の前では……」
「俺の姉が、そこの呪いに蝕まれている」
短い、しかし絶対的な決意を込めた一言が、密室の空気を震わせた。
「特級の魔石。深層ボスの核がなければ、姉ちゃんの呪いは解けない。俺はそのためだけに、このくだらないダンジョンという泥濘を歩き続けると決めた。……用意できるか、牝狐」
数秒の、重苦しい沈黙。
雨宮は佑の目をジッと見つめていたが、やがてフッと肩の力を抜き、狂気的な笑い声を上げた。
「……あははっ! 最高。自分の命すらチップにして、大宮の深層を単独で攻略しようっていうのね。ええ、いいわ。その狂気、私が全力でバックアップしてあげる。情報も、魔石も、権力も、すべてあなたに提供するわ」
彼女は白衣のポケットから、黒い金属製のカードキーを取り出し、テーブルの上に置いた。
それは、ギルドのデータベースの最深部へのアクセス権限を示す、特級パス。
「これで契約成立よ、太田佑くん。今日から私たちは、世界の常識をひっくり返す、共犯者ね」
差し出された雨宮の手を、佑は迷うことなく強く握り返した。
冷たい女の手と、魔物の血の匂いが染み付いた男の手。
戦国武将の魂と、マッドサイエンティストの狂気が、ここで完全に結びついたのだ。
「……頼もしいことだ。では、前金として、早速魔石をいただこうか。俺の『手駒』が、次の進化を求めて腹を空かせている」
「ええ、待っていたわ。見せてちょうだい、あなたのその未知の力を」
雨宮はデスクの下から、あらかじめ用意していたらしい銀色のアタッシュケースを取り出し、テーブルの上で開いた。
中には、淡い紫色の光を放つ、高純度のBランク魔石が数十個も敷き詰められていた。一般の市場に出せば、これだけで数千万の価値がある代物だ。
「出番だ、管狐」
佑が短く命じると、彼の足元の影が水彩画のインクのように滲み、そこから一条の黄金色の光が飛び出した。
竹筒に収まるほど小さな、しかし神々しい霊力を纏った狐の妖怪。
「チィッ!」
管狐は嬉しそうに鳴きながら、アタッシュケースの中のBランク魔石に飛びつき、自身の体の数倍はあるはずの硬い鉱石を、バリバリと音を立てて丸呑みにし始めた。
「ああっ……! なんて美しいマナの変換効率……! 魔石のエネルギーが、物理法則を無視して完全に霊的質量に変換されているわ……!」
雨宮がよだれを垂らさんばかりの勢いでタブレットを掲げ、管狐のデータを狂ったようにスキャンし続ける。
佑はその様子を冷ややかに見つめながら、自身の視界の端に浮かび上がる、半透明のシステムウィンドウを凝視していた。
【対象妖怪:管狐】
【魔石エネルギーを規定値まで吸収しました。】
【霊格が上昇。新たな分体生成、およびスキルの拡張が可能です。】
【未解放の使役獣スロットの制限が解除されました。】
【条件達成:新たな妖怪『塗り壁(小型)』の召喚ロックを解除します。】
無機質なシステム音声と共に、佑の脳内に新たな「手駒」の使い方が流れ込んでくる。
索敵と目眩ましに特化した管狐に続き、今度は物理的な防御と足止め、そしてトラップ構築に特化した妖怪。
戦術の幅が、これで何倍にも広がる。
「……ふむ。どうやら、良い兵が育ちそうだな」
佑の口角が、凶悪な三日月型に吊り上がる。
特級魔石を手に入れるためには、まだまだ圧倒的に「力」が足りない。この狂気の受付嬢から絞り取れるだけの魔石を絞り取り、最強の妖怪軍団を作り上げる。
その青写真が、佑の脳内で完璧に組み上がっていく。
「ねえ、佑くん。次のテストはいつにする? 大宮ダンジョンの第二階層? それとも、他の配信者たちの度肝を抜くために、いきなり中層のエリアに行ってみる?」
「焦るな。戦の基本は、陣地の構築と兵站だ。……まずは、この新しい手駒の性能実験から始めるとしよう」
佑は虚空を見つめたまま、冷酷な笑みを深めた。
外の世界では、彼を「フェイク動画の詐欺師」と嘲笑うエリートたちや、彼の不可解な強さを暴こうとする他ギルドの連中が、血眼になって太田佑の行方を探し回っている頃だろう。
(群がりたければ群がるがいい、有象無象どもよ。俺の戦術の前に、お前たちを最高の『囮』として使い潰してやろう)
防音の密室の中で、底辺テイマーの皮を被った戦国の亡霊は、次なる惨劇のシナリオを静かに書き始めていた。




