第6話 ギルド本部への連行。エリート探索者たちの嘲笑と、タヌキ親父の観察眼
早朝の冷たい空気を切り裂くように、三台の黒塗りの大型SUVが静かに走り出していた。
行き先は、関東全域のダンジョンと探索者を統括する巨大組織――関東探索者ギルド本部である。
中央のSUVの後部座席。
太田佑は、両隣を筋骨隆々の特務部隊員に挟まれながら、小動物のように肩をすくめて身を縮めていた。
折れた肋骨の痛みを隠すために丸めた背中が、図らずも「怯えきった弱者」という演技に真実味を持たせている。
「ひっ……あ、あの……。僕、本当に何もしてないです……。ただ逃げてただけで……」
佑が震える声で弁明を試みるが、隣に座る白衣の女は全く意に介する様子がない。
彼女――関東探索者ギルド本部、特別研究室主任である雨宮結衣は、手元のタブレット端末に穴が開くほどの熱視線を注いでいた。
画面に映し出されているのは、昨晩の生配信のアーカイブ映像だ。佑がグレイブ・ハウンドの首筋にナイフを突き立てる瞬間が、コマ送りで何度も何度もリピート再生されている。
「美しい……。本当に何度見ても完璧な力学演算ね。関節の可動域、筋繊維の断裂方向、そして何より……獲物の恐怖と混乱を誘発する、この完璧な『怯えの演技』」
雨宮は恍惚とした溜息を吐きながら、時折、舐め回すような視線を佑へ向けてくる。
消毒液と、微かに混ざる甘い香水の匂い。目の下にある深いクマと血走った瞳が、彼女の知の探求に対する異常な執着を物語っていた。
「え、演技なんかじゃ……っ! 本当に死ぬかと……!」
佑は涙声で反論するが、内心では極めて冷静に車内の状況を分析していた。
(……この女、俺の動きが偶然ではなく、計算し尽くされた技術であると完全に見抜いている。ギルドの研究主任という肩書き……魔物やスキルの解析が専門か。厄介な目を持った牝狐だな)
佑の視線は、怯えて泳ぐふりをしながら、両脇の特務部隊員たちへと向けられた。
鍛え上げられた肉体、隙のない座り方。現代の基準では「プロ」の部類に入るのだろう。
だが、戦国の泥濘を生き抜いた将の目から見れば、彼らもまた「平和な時代の兵隊」に過ぎなかった。
(銃器の扱いは長けているかもしれんが、白兵戦の覚悟が足りぬ。左の男は重心がわずかに浮いている。右の男は呼吸が浅い。……本気で殺し合えば、この狭い車内でも三秒で両者の喉笛を掻き切れるな)
もちろん、そんな真似をするつもりはない。
佑の目的は、大宮ダンジョンの深層に関する機密情報にアクセスし、姉の呪いを解く特級魔石を手に入れることだ。
そのためには、目の前の狂気的な白衣の女を利用するのが、最も効率的な『戦術』であった。
(利用できるものは全て使う。この女の狂気も、俺の悪名もな。……存分に騙されてもらうぞ、ギルドの牝狐よ)
車は静かに滑り続け、やがて巨大な城塞のような建造物の地下駐車場へと滑り込んだ。
*
関東探索者ギルド本部の1階、メインエントランスホール。
吹き抜けになった広大な空間は、大理石の床と、水彩画のように淡く光る魔力照明によって、近未来的でありながら重厚な雰囲気を醸し出していた。
早朝にも関わらず、ロビーには数多くの探索者たちがたむろしている。
彼らの多くは、高ランクの証である豪奢な装備に身を包んだ「エリート」たちだった。
ミスリル製の輝く鎧、巨大な宝石が埋め込まれた杖、見るからに重そうな大剣。彼らは自身の強さを誇示するように、それらの装備をこれ見よがしに見せびらかしている。
特務部隊の黒服たちに囲まれ、雨宮の先導でエントランスを歩く佑の姿は、そんなエリートたちの間で瞬く間に注目の的となった。
「おい、見ろよあれ。特務に連行されてるぞ」
「誰だ、あの薄汚いガキ? ポーターか何かの底辺職か?」
「……待て。あいつ、昨日の深夜にバズってた動画のテイマーじゃないか!?」
「あ! 間違いない、あの『泣き虫の処刑人』とか呼ばれてる奴だ!」
ヒソヒソとした囁き声が、次第に大きな波となってロビー全体に広がっていく。
昨晩の配信は、同業者である探索者たちの間でもすでに大きな話題になっていた。しかし、その反応は一般視聴者の熱狂とは異なり、極めて懐疑的、あるいは敵対的なものが多かった。
「おいおい、ギルドも暇だな。あんなフェイク動画を作った詐欺師を、わざわざ特務が出向いて連行するなんてよ」
「だいたい、魔法も使えねぇテイマーが、Bランクのライカンやオークの群れをナイフ一本で倒せるわけねぇだろ。常識で考えろよ」
「どうせ新手の売名行為だろ。高画質のCGか何かを使って、自分を強く見せたかっただけさ。底辺の考えることは浅ましいね」
嘲笑と侮蔑の言葉が、容赦なく佑に投げつけられる。
エリート探索者たちにとって、魔法という「才能」を持たない底辺職が、自分たち以上の成果を上げるなど、プライドが許さないのだ。
未知の事象を否定し、自分たちの理解できる枠組み(フェイク動画という結論)に押し込めることで、彼らは精神的な優位性を保とうとしていた。
「ひぃっ……ご、ごめんなさい……僕、本当に何も……!」
佑は周囲の嘲笑を浴びながら、さらに身を縮め、怯えた表情で頭を下げ続けた。
だが、その前髪に隠された瞳は、エリートたちを一人一人、値踏みするように冷徹に観察していた。
(……やれやれ。どいつもこいつも、派手なだけの鉄屑を着込んで誇らしげな顔をしおって。戦場であんな光り輝く装甲など『私を的として狙ってください』と宣伝しているようなものだ)
佑の視線が、特に声高に嘲笑している一人の剣士に向けられる。
燃え盛るような赤い鎧を着込んだ、Cランクパーティのリーダーらしき男だ。
(あの男、鎧の重量に足腰が負けて、歩くたびに重心がブレている。大剣を背負っているが、抜刀するまでに二秒はかかるな。……俺なら、あいつが剣に手をかけた瞬間に、鎧の隙間である腋窩(わきの下)に刃をねじ込んで終わらせる)
彼らは「モンスターを魔法の火力で吹き飛ばす」ことには長けているかもしれないが、命のやり取りという『殺し合い』の何たるかを全く理解していない。
戦を知らぬ無知な輩の遠吠えなど、佑にとっては路傍の石ころほどの価値もなかった。
「おい、フェイク野郎!」
突如、先ほどの赤い鎧の剣士が、特務の隊列を塞ぐようにして前に進み出てきた。
彼は佑を見下し、ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべる。
「あんな合成動画で世間を騙して、調子に乗ってんじゃねぇぞ。お前みたいな底辺職が、俺たちエリートと同じ空気を吸ってるだけで反吐が出る。ここで俺が、お前の本当の『弱さ』を証明してやろうか?」
男が威嚇するように、背中の大剣の柄に手をかけた。
周囲のエリートたちが、囃し立てるように笑い声を上げる。
「ひっ!? や、やめてください! ごめんなさいぃっ!」
佑は悲鳴を上げ、腰を抜かしたようにその場にへたり込んだ。
怯えきった様子の佑を見て、男はさらに図に乗って嘲笑を深める。
しかし。
へたり込んだ佑の体勢は、古流武術における『地摺りの構え』に酷似していた。
男がこれ以上近づき、わずかでも敵意を物理的な行動に移した瞬間、佑の右足が男の膝蓋骨を完全に砕き割る。その計算は、すでに佑の脳内で完璧に弾き出されていた。
男が一歩、足を踏み出そうとしたその時。
「――そこまでになさい、三流」
氷のように冷たい、絶対零度の声がロビーに響き渡った。
声の主は、佑の隣に立つ白衣の女、雨宮だった。
彼女は血走った瞳を細め、赤い鎧の男をゴミを見るような目で見据えた。
「私の大切な『検体』に、その汚い手を触れようとしないで。あなたみたいな、無駄な魔力放出しかできない粗大ゴミのデータなんて、1バイトの価値もないのよ」
「な、なんだと……!? てめぇ、研究室のヒラが偉そうに……!」
男が顔を真っ赤にして怒鳴り返そうとした瞬間。
雨宮の背後に控えていた特務部隊の黒服たちが、一斉にアサルトライフルの銃口を男へと向けた。
チャキッ、という冷たい金属音が響き、ロビーの空気が一瞬にして凍りつく。
「特務部隊に対する公務執行妨害とみなします。これ以上の敵対行動は、即時の『物理的排除』を許可されていますが、いかがなさいますか?」
雨宮が薄い唇を歪め、サディスティックに微笑む。
その言葉と、自分に向けられた無数の銃口に、男は顔面を蒼白にして後退った。
周囲で囃し立てていたエリートたちも、慌てて視線を逸らし、蜘蛛の子を散らすように道を開ける。
「……賢明な判断ね。さあ、行くわよ、太田佑くん。こんな知性の欠片もない猿山のことは忘れて」
雨宮は優しく佑の腕を掴むと、彼を立たせ、最上階へと続く専用エレベーターへと歩き出した。
佑は「あ、ありがとうございます……」と震える声で礼を言いながら、彼女の後ろをついていく。
(……ほう。ただの研究オタクかと思えば、ギルド内での権力も相当なものらしい。ますます利用価値が高まったな)
エレベーターの扉が閉まり、ロビーの喧騒が完全に遮断された。
*
最上階。
そこは、一般の探索者が決して立ち入ることのできない、ギルドの中枢『特別研究室』のヒアリングルームだった。
無機質な銀色の壁に囲まれた密室。
中央に置かれた金属製のテーブルを挟んで、佑と雨宮が対峙する。
特務部隊は部屋の外で待機しており、完全に二人きりの空間だ。
カチャリ、と。
雨宮が手元のスイッチを押し、部屋の防音とジャミングシステムを作動させる。
これで、この部屋の会話は外部に一切漏れることはない。
静寂が部屋を包み込む中、雨宮はテーブルの上に両肘をつき、顔の前で両手を組んだ。
そして、先ほどまでの庇護者のような態度はどこへやら、蛇が獲物を睨むような、鋭くねっとりとした視線を佑へと突き刺した。
「さて。邪魔者もいなくなったことだし、ここからは二人だけの秘密のお話よ」
彼女の赤い唇が、ゆっくりと弧を描く。
「もう、そんな無能な豚のフリをするのはやめにしない? ――あなたが、あの美しい殺戮劇を『完全に計算して』行っていたことくらい、私の目は誤魔化せないわよ」
逃げ場のない密室で、狂気の受付嬢が隠された本性を暴こうと迫る。
その問いかけに対し、怯えていたはずの佑の表情から、音もなく感情が抜け落ちていく。
垂れた前髪の奥。底知れぬタヌキ親父の瞳が、ついに暗い光を宿して牝狐を睨み返した。




