第4話 夜襲と奇策。群れを分断するゲリラ戦の妙と、暴かれる狂気
大宮ダンジョン第一階層、安全地帯。
発光苔が放つ水彩画のような淡い青の光は徐々に人工的な魔力灯のオレンジ色へと混ざり合い、地上への出口である転送ポータルが近いことを示していた。
太田佑は、折れた肋骨の痛みを浅い呼吸で散らしながら、重い足取りで通路を進んでいた。
先ほどの第三階層での死闘から生還し、ドローンのバッテリーが切れたことで、忌々しい「配信」の目からは逃れられたはずだった。
だが、歴戦の将の魂は、彼に決して油断を許さない。
『戦場において、常に何者かの目があると思え。壁に耳あり、闇に目あり。それが乱世を生き残る唯一の理だ』
脳裏に響く前世の教えに従い、佑はあえて背中を丸め、いつでも「怯えて逃げ惑う無力な青年」の演技に戻れるよう、微かな怯えの表情を顔に貼り付けたまま歩みを進めていた。
その直感は、恐ろしいほどに正鵠を射ていた。
同時刻、関東探索者ギルド本部。
深夜の静まり返った情報管理室で、マッドサイエンティスト気質の受付嬢は、充血した目でメインモニターを食い入るように見つめていた。
「バッテリー切れ……? 冗談じゃないわ。最高のショーの途中で幕を下ろすなんて、許されるはずがないでしょう」
彼女は凄まじい速度でキーボードを叩き、ギルドがダンジョン各階層に設置している『定点監視用魔力カメラ』のシステムに不正アクセスを実行した。
本来は遭難者の捜索や、モンスターの異常発生を検知するための防犯カメラである。それを彼女は、強制終了してブラックアウトした佑の配信チャンネルへと、強引に直結させたのだ。
『……え? 画面映った?』
『配信復活!? ドローン死んだんじゃなかったのか!?』
『画角が違うぞ。これ、ギルドの定点カメラの映像ハッキングしてねえか!?』
『運営仕事早すぎだろwww』
『太田ニキは!? 生きてるのか!?』
突然復活した配信に、散り散りになりかけていた数万人の視聴者が一斉に雪崩れ込んでくる。
そして、暗視モードに切り替わった白黒のモニターが映し出したのは、第一階層のポータルルームへと続く広間で立ち尽くす、痛々しい青年の姿だった。
だが、視聴者の安堵は一瞬にして凍りつく。
『おい……嘘だろ……』
『なんで、第一階層に『グレイブ・ハウンド』の群れがいるんだよ!?』
『しかも数十頭はいるぞ! 夜行性のモンスターが浅層に上がってくる『夜間発生』だ!』
『ポータルへの道を完全に塞いでやがる……』
『あんなの、Bランクのフルパーティでも真正面から当たったら全滅するぞ!』
画面越しに見える絶望的な光景。
ポータルルームの入り口は、赤黒い瘴気を纏った巨大な猟犬の魔物、グレイブ・ハウンドの巨大な群れによって完全に封鎖されていた。
その数はざっと三十。飢えた獣の眼光が、暗闇の中で無数の赤い点となって蠢いている。
「ひ、ひぃっ……! な、なんで……出口はすぐそこなのにぃっ!」
佑は定点カメラの存在に気づいているのかいないのか、わざとらしく悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。
だが、彼の頭脳は限界まで加速し、広間の地形、岩柱の配置、敵の数と動線を、冷徹なスーパーコンピューターのように弾き出していた。
(三十の軍勢が、密集して陣を敷いている。愚策だな。狭所において数を頼むは、自ら身動きを封じるに等しい)
佑は怯えたふりをして後ずさりながら、懐の中で小さな竹筒を握りしめた。
正面からぶつかれば一瞬で肉塊に変えられる。ならば、群れを分断し、少数ずつ確実に削り取る『ゲリラ戦』に持ち込むまで。
「た、たすけて……! 来ないでぇっ!」
佑は悲鳴を上げながら、ポータルルームとは逆方向――第一階層に広がる、入り組んだ採掘場跡地へと向かって走り出した。
『アォォォォンッ!!』
獲物が逃げ出したのを見たグレイブ・ハウンドの群れが、一斉に咆哮を上げて追撃を開始する。
怒涛の勢いで押し寄せる獣の波。
定点カメラの映像は、ダンジョン内の無数のカメラを自動で切り替えながら、逃げる佑と追う群れをシネマティックな視点で追い続ける。
「(……いけ、管狐。誘い込め)」
走りながら、佑は極小の声で命じた。
彼の影から飛び出した黄金の燐光が、岩陰を縫うようにして高速で駆け抜ける。
管狐の微かな光と気配に気を取られた猟犬たちは、獲物が複数いると錯覚し、入り組んだ採掘場跡の通路で三方向へと自然に『分断』されてしまった。
『ああっ! 群れがバラけた!』
『それでも十頭ずつだぞ! 逃げ場なんてない!』
『太田ニキ、行き止まりの通路に入っちゃったぞ!』
視聴者のコメントが絶望に染まる中、佑は幅がわずか二メートルにも満たない、狭い廃坑道の行き止まりへと駆け込んだ。
背後は固い岩壁。前方からは、牙を剥き出しにした十頭のハウンドが、土煙を上げて殺到してくる。
しかし、その絶望の袋小路こそが、佑の計算し尽くした『処刑場』だった。
「ひ、ひぃぃぃっ! いやだ、死にたくないぃぃっ!」
佑は顔をくしゃくしゃにして涙を流し、パニックに陥ったように壁に背を向けてうずくまった。
先頭を走っていた三頭のハウンドが、無防備な獲物の喉笛を食い破ろうと、一斉に跳躍する。
その瞬間。
佑の右手に逆手で握られたナイフが、水彩画の筆が宙を舞うような、極めて滑らかで美しい軌跡を描いた。
ズバァッ!
「あ、ああああっ! 助けてぇぇっ!」
悲鳴を上げ、腕をデタラメに振り回して暴れる佑。
だが、その『デタラメな腕の振り』は、跳躍してきた三頭のハウンドの眼球から脳髄を、あるいは柔らかい下顎の隙間から頸動脈を、ミリ単位の狂いもなく正確に切断していた。
着地することなく、三頭の魔物が空中で絶命し、ボトボトと血の雨を降らせながら地面に転がる。
『………………え?』
『は? 今、何が……』
『だからおかしいだろ! なんで泣き叫んでパニックになってるのに、ナイフの刃先は急所にしか向かってないんだよ!!』
『動きが洗練されすぎてる……。恐怖で暴れてるフリをして、全部的確に迎撃してやがる……!』
狭い通路ゆえに、後続の七頭は、前衛の三頭の死体が障害物となって急ブレーキをかけざるを得なかった。
機動力を殺された獣など、ただの的でしかない。
「こ、来ないでって言ってるだろぉぉっ!」
佑は涙声で叫びながら、転がった死体を蹴り上げ、後続のハウンドの顔面にぶつける。
視界と体勢を崩された獣の足元へ、地を這うような古流の歩法で滑り込む。
左手で獣の顎を下から跳ね上げ、露わになった喉元へ右手のナイフを一突き。
血飛沫が舞う前に刃を引き抜き、そのままの勢いで身を翻し、隣の獣のアキレス腱を撫で斬る。
機動力を失い倒れ伏した背中を踏み台にして跳躍し、さらに奥の獣の延髄へナイフを突き立てる。
それは、もはや芸術的なまでの『作業』だった。
血の匂いと悲鳴が反響する狭い廃坑道で、佑は一切の魔法を使わず、純粋な身体操作と物理法則の利用だけで、圧倒的な暴力の差を覆していく。
『やばい……やばい、やばい、やばい……!』
『完全にサイコパスだ……。泣き叫んで怯えながら、瞬き一つせずに殺し続けてる……』
『なんだこの矛盾した存在は!? 頭がおかしくなりそうだ!』
『でも……目が離せない……! 美しい……!』
『圧倒的な強者狩りだ。これぞ真の『ざまぁ』じゃねえか……!』
配信のコメント欄は、恐怖と混乱、そして名状しがたいカタルシスによって完全に狂乱状態に陥っていた。
エリート探索者たちが派手な魔法で吹き飛ばすのとは違う。泥臭く、陰湿で、しかし徹底的に洗練された「命の奪い方」。
それは、平和な現代社会に生きる視聴者たちの本能を、麻薬のように刺激したのだ。
「……ふむ。やはり戦に不可欠なのは、地の利よ。開けた平野で大軍とぶつかるなど、愚か者のすることだ」
カメラの死角。最後の一頭の息の根を止めた瞬間、佑の顔から「気弱な青年」の表情がスッと消え失せた。
代わりに浮かんだのは、老獪で底知れぬ、戦国の世を生き抜いた武将の酷薄な笑み。
彼の周囲には、もはや光の粒子となって消えゆく十頭の死体と、大量の魔石だけが残されていた。
管狐が嬉しそうに飛び回り、魔石を次々と平らげていく。その背中には、霊力を過剰に摂取したことで、微かに二本目の尾の幻影が揺らめいていた。
「よし。残りの二十頭も、管狐が別の坑道で上手く足止めしているようだな。……このまま各個撃破といくか」
佑は血振るいを一つし、迷うことなく次の獲物が待つ暗がりへと足を踏み入れた。
その後、約二十分にわたり、ギルドの定点カメラは「大宮ダンジョン第一階層で起きた一方的な惨劇」を全世界に配信し続けた。
罠にかけられ、分断され、同士討ちを誘発され、無残に処理されていくグレイブ・ハウンドたち。
そしてその中心で、怯えた声を上げながら的確に命を刈り取っていく、狂気の底辺テイマー。
同時接続数はついに十万人を突破し、SNSのトレンドは『#太田ニキ』『#泣き虫の処刑人』といったワードで完全に埋め尽くされた。
「あ、あああ……っ! 終わった……! みんないなくなった……!」
最後のハウンドが光の粒子となって消え去った後。
ポータルルームの前に戻ってきた佑は、膝から崩れ落ち、安堵の涙を流して天を仰いだ。
その全身は魔物の返り血で赤黒く染まり、異様なまでの凄みを放っているにも関わらず、表情だけは純朴な青年そのものだった。
『もう騙されねえからなwwww』
『名女優も真っ青の演技力wwww』
『お前が全部殺したんだろ!www』
『でも生きてポータルまで辿り着いて本当によかった……!』
『伝説の夜になったな。お疲れ、太田ニキ!』
画面の向こうの歓声に包まれながら、佑は光の柱が立つ転送ポータルへと足を踏み入れる。
淡い光が彼の身体を包み込み、ゆっくりと地上への転送が開始された。
(……これで、ようやく姉ちゃんの病院へ向かえる。特級の魔石には届かなかったが、呪いの進行を遅らせる程度の霊薬は買えるだろう)
転送の光の中、佑は誰にも気づかれないように、そっと優しげな表情を浮かべた。
戦鬼のような狂気も、老獪な将の計算も、すべてはたった一人の大切な家族を守るため。
シュゥゥゥン……!
ポータルの光が弾け、ダンジョンの中から太田佑の姿が完全に消失する。
主役が去った後の無人のダンジョンを映し出す定点カメラ。しかし、配信の熱狂は一向に冷める気配がなかった。
「……ふふ、あははははっ!」
ギルドの情報管理室。
白衣の受付嬢は、モニターに映る無人のポータルルームを見つめながら、恍惚とした表情で自身の赤い唇を舌で舐め取った。
「完璧よ……。物理法則の極致、精神の異常性、そして未知の使役獣。あなたは、私の停滞した魔法研究を次の次元へと導いてくれる『神』だわ」
彼女はキーボードを叩き、配信の接続を静かに切断した。
そして、傍らに置かれたタブレット端末を手に取り、ギルドの特務部隊へ向けて短いメッセージを送信する。
『対象名:太田佑。地上へ帰還した直後の彼を、何が何でも確保しなさい。他のギルドの連中に指一本触れさせるんじゃないわよ』
底辺職として見捨てられた青年が、無自覚なままに世界を熱狂させ、狂気のオタク受付嬢の執念にロックオンされた夜。
現代のダンジョンに蘇った戦国の亡霊は、静かに、だが確実に、世界の常識を侵食し始めていた。
――そして数時間後。
薄暗い朝焼けの中、血まみれの服を着替えた佑が、静かに眠る姉・凛の病室のドアを叩く時、彼の運命はさらなる急展開を迎えることとなる。




