第3話 惨劇の生配信。計算された『偶然』と、騙される世界
大宮ダンジョン第三階層から第二階層へと続く、なだらかな上り坂の通路。
発光苔が放つ水彩画のような淡い青の光は徐々に数を減らし、代わりに地上からの微かな外気が、地下特有の淀んだ空気を薄め始めていた。
「あ、あわわわ……っ! よ、よかったぁ……! み、皆さん、見てますか……!? 僕、生きてます……!」
太田佑は、自身を追従して飛ぶ小型ドローンのカメラに向かって、涙目になりながらへたり込んでみせた。
折れた肋骨の痛みで声が震えているのは事実だが、その表情に浮かぶ「極限状態から生還した弱々しい青年」の怯えは、完全に計算し尽くされた演技だった。
前世の武将としての記憶を取り戻した今、佑の精神は鋼のように冷徹に研ぎ澄まされている。
だが、自身の持つ異質な力が世間に露見した以上、ここで突然「歴戦の猛者」のように振る舞えば、不要な警戒や面倒な詮索を招く。
ゆえに彼は、あくまで「奇跡的に助かっただけの無力な底辺テイマー」という保護色を纏う道を選んだのだ。
しかし、そんな佑の思惑とは裏腹に、配信のコメント欄はかつてないほどの熱狂と混乱の渦に巻き込まれていた。
『いやいやいやいやwwwww』
『今更気弱ぶっても遅せぇよwwwwww』
『さっきのサイコパススマイルどこ行ったんだよwww』
『完全に猫被ってるだろコイツ!!!』
『でも待てよ? あんなに震えてるし、本当にパニックになって偶然倒せただけじゃね?』
『偶然でBランクのライカンとゴブリンの群れ全滅させられるわけないだろ!』
『でも魔法陣もオーラも出てなかったぞ。あの光る狐みたいなのがヤバいスキルだっただけ説』
視聴者たちの間でも、佑の強さが本物なのか、それとも未知の強力なスキルが暴発しただけの「ラッキーパンチ」なのか、意見が真っ二つに割れていた。
同時接続数はすでに五万人を突破。深夜のダンジョン配信としては、異例中の異例である。
(……よきかな。人は理解できぬ事象に出会うと、勝手に理由をつけて納得しようとする生き物だ。ならば、その『偶然』という幻想に、もう少し付き合ってやろう)
佑は怯えたような表情の裏側で、老獪な将の如き思考を巡らせていた。
視聴者の疑念を「偶然」へと誘導しつつ、このまま安全地帯である第一階層まで撤退する。それが現在の最優先事項だ。
しかし、戦場がそう容易く休息を許すはずがない。
「ひっ……!?」
佑がわざとらしく短い悲鳴を上げ、後ずさった。
ドローンのカメラが、佑の視線の先――第二階層への入り口となる広間を映し出す。
そこには、三メートル近い巨体を持つ豚頭の怪物、『ケイブ・オーク』が五体、円陣を組むようにして居座っていた。
彼らの足元には、無残に引き裂かれた探索者の防具や、血に染まったバックパックが散乱している。どうやら、運悪く遭遇した他のパーティの遺品を漁っている最中らしい。
『うわあああ! ケイブ・オークの群れだ!』
『しかも武装個体じゃん! Cランクパーティでも苦戦するレベルだぞ!』
『詰んだ……。退路はさっきのゴブリンの死体で血の匂いが充満してるし、進むしかないのに』
『オワタ。流石に偶然じゃどうにもならない相手だ』
『太田ニキ、逃げろ! 一目散に逃げろ!』
オークたちは、背後から近づいてきた佑の気配と、ドローンの微かなモーター音に気づき、一斉に振り返った。
腐肉と獣脂が混ざったような強烈な悪臭が、広間を満たしている。
『ブゴォォォッ!!』
威嚇の咆哮と共に、丸太のような太さの腕で錆びた大斧が振り上げられた。
五体のオークが、一斉に佑へ向かって突進を開始する。地鳴りのような足音がダンジョンを揺らした。
「い、いやあああああっ!! こないで、こないでぇぇっ!!」
佑は半狂乱の声を上げながら、背を向けて走り出した。
ドローンも慌てて主の後を追う。視聴者たちは、画面越しに伝わる圧倒的な死の恐怖に息を呑んだ。
だが、背を向けて走る佑の瞳は、一切の恐怖を感じていない。
ただ氷のように冷たく、広間の地形と、追ってくるオーク五体の歩幅、速度、そして自らの折れた肋骨の痛みを、一つの数式のように処理していた。
(五体の巨兵による突撃。まともに受ければ挽肉だが、図体がデカい分、制動は利かぬ。……あの鍾乳石が並ぶ岩場に誘い込む)
佑は、パニックに陥って逃げ惑うフリをしながら、広間の端にある複雑な岩場へと向かってジグザグに走った。
足がもつれ、何度も転びそうになる。その度に視聴者は悲鳴を上げたが、それすらも「速度調整」のための意図的な動作だった。
「ひっ、ああっ!?」
岩場に飛び込んだ瞬間、佑はわざとらしく派手にすっ転び、地面を転がった。
それと同時に、懐に隠していた小さな竹筒の蓋を、親指で弾き飛ばす。
「(……いけ、管狐)」
極小の声と共に、黄金の燐光が地を這うように奔った。
ドローンのカメラには、佑が転倒した土煙に紛れて、その光は映らない。
管狐は岩場の奥深くへと潜り込み、天井を支えるように突き出していた巨大な鍾乳石の根本――長年の風化で脆くなっていた岩盤の亀裂へと、その霊力を一点集中させて叩き込んだ。
ピキッ……! ドゴォォォォンッ!!
「うわあああっ!? 落石だぁぁっ!?」
佑が頭を抱えて悲鳴を上げた直後、天井から数トンはある巨大な鍾乳石が、追ってきたオークたちの頭上へと寸分の狂いもなく崩れ落ちた。
凄まじい轟音と土煙が広間を包み込む。
『ブギャアアアアッ!?』
落石の直撃を受けた二体のオークが、原型を留めないほどにひしゃげ、即死する。
残る三体も、突然の崩落と巻き上がる粉塵によって完全に視界を奪われ、混乱状態に陥った。
『ええええええええ!?』
『落石トラップ!? ダンジョンの崩落ギミックが偶然作動したのか!?』
『なんだこの悪運の強さ!!』
『太田ニキ、生きとるか!?』
土煙で何も見えない画面に向かって、コメントが滝のように流れる。
そして、その白濁した視界の中で、佑は音もなく立ち上がっていた。
「(……さて、残敵掃討といくか。気配は三。粉塵で視界ゼロ。互いに条件は同じだが――)」
佑の右手に、血塗れの解体用ナイフが逆手で握られる。
「(俺の目は、戦場の泥濘に慣れすぎている)」
シネマティックなスローモーションのように、佑は粉塵の中を滑るように駆け抜けた。
視界が利かない中、わずかな空気の流れと、オークの荒い呼吸音だけを頼りに位置を特定する。
一体目。混乱して大斧を振り回すオークの足元へスライディングで潜り込み、アキレス腱を深々と斬り裂く。
巨体が崩れ落ちる隙に、その太い首の頸動脈へナイフを突き立て、そのまま引き抜いて血を噴出させる。
二体目。仲間の倒れる音に反応して振り返ったオーク。佑はその装甲の薄い脇腹を蹴り上げ、強引に体勢を崩させた。
前のめりに倒れてきた巨体の、眼球から脳髄へと一直線に刃を突き刺し、即座に離脱。
ここまでの行動、わずか数秒。
一切の無駄な動きも、無駄な音も発しない、純粋な殺意の結晶。
そして最後の一体。
土煙が徐々に晴れ始め、周囲の状況をようやく理解したオークが、怒り狂って佑へと突進してくる。
だが、その巨体が佑に届く直前。
「あ、ああああっ! こ、くるなぁぁぁっ!!」
佑は再び涙目になりながら、両手をデタラメに振り回すフリをした。
そのデタラメな動きの中で、逆手に持ったナイフが、まるで導かれたかのようにオークの振り下ろした腕の関節の隙間を滑り、手首の腱を正確に切断。
武器を取り落としたオークの自重が前のめりにかかった瞬間、佑は怯えて後ずさるフリをして、自身の膝を絶妙な角度で相手の鳩尾へと叩き込んだ。
『グ、ゲァッ……!?』
呼吸を完全に封じられ、白目を剥いて前のめりに倒れ込むオーク。
その頭が地面に激突する直前、佑は「偶然」突き出していたナイフを、オークの延髄へと吸い込ませた。
ズチュッ、という鈍い音が響き、広間は再び静寂に包まれた。
完全に土煙が晴れた時、ドローンのカメラが捉えたのは、五体の巨大なオークの死体の中心で、ナイフを落としてガクガクと震えている佑の姿だった。
「は、はぁっ、はぁっ……! た、倒した……? 僕、生きてる……!?」
信じられない、といった様子で自分の手を見つめ、大粒の涙をこぼす佑。
その光景は、誰がどう見ても「パニックになって暴れたら、偶然天井が崩れ、偶然急所にナイフが刺さって助かった奇跡の素人」にしか見えなかった。
しかし。
配信のコメント欄は、数秒の完全な沈黙の後、爆発的な勢いで流れ始めた。
『………………』
『嘘、だろ……?』
『誰か今の、録画してるやついるか!? 0.25倍速で再生してみてくれ!!』
『見た!! やばい、こいつ、転んだ瞬間に何か岩の隙間に投げ込んでるぞ!!』
『落石、偶然じゃねぇ!! 意図的に岩盤を破壊して崩落させてる!!』
『最後の一体もおかしい!! デタラメに腕振ってるように見えて、完全に相手の攻撃軌道を逸らして腱を切ってる!!』
『膝蹴りの角度も完璧すぎる。あれ、古武術の歩法だろ……』
『演技だ!! こいつ、パニックになってるフリをして、全部計算して殺してやがる!!』
『なんだこの化け物!? サイコパスなんて生ぬるい、生粋の『殺し屋』じゃねーか!!』
視聴者たちは、佑の演じる「偶然」に騙されるどころか、その奥底に潜む深淵のような戦術の狂気に気づき、恐怖とカタルシスに打ち震えていた。
表面上は気弱な青年が、水面下で圧倒的な暴力を支配している。その強烈なギャップが、世界中のネットワークをかつてない熱量で焼き尽くそうとしていた。
同時刻、関東探索者ギルド本部の情報管理室。
壁一面のモニターの前に座るマッドサイエンティスト気質の受付嬢は、自身の白衣の袖を強く握りしめ、震える吐息を漏らしていた。
「……あぁ、なんて美しいの」
彼女の目の前のモニターには、佑の戦闘シーンがコマ送りで再生され、無数の解析データが弾き出されている。
魔法的エネルギーの波長は、あの崩落の瞬間に見せた極小の反応のみ。あとは全て、純粋な物理演算と、生体力学に基づく完璧な破壊工作。
「西洋の魔法陣に頼り切った今の探索者たちには、到底理解できない境地……。あの少年、いえ、あの『怪物』は、一体何を視て戦っているの?」
彼女はキーボードを叩き、佑のギルド登録情報を画面に映し出す。
【太田佑・職業テイマー・ランクF】。
その文字を指先でなぞりながら、彼女の顔に妖艶で狂気的な笑みが浮かんだ。
「太田佑くん。……絶対逃がさないわ。あなたのその異常な力、私が一番特等席で解剖してあげる」
彼女が直属の特務部隊へ招集のサインを送ったその時。
ダンジョン第一階層、安全地帯のポータル付近。
そこまで辿り着いた佑の背後で、限界まで稼働を続けていたドローンのバッテリーが、ついに尽きた。
プツン、という音と共に赤いランプが消え、全世界へ流れていた配信が強制終了する。
その瞬間。
カメラの死角となった薄暗がりの中で、佑の顔から「怯えた青年の涙」が、まるで水彩画の絵の具を洗い流すように、一瞬にして消え去った。
「……ふむ。やはり戦国の世に比べれば、魔物というものは素直で御しやすい。だが、少々『見世物』としては派手にやりすぎたか」
冷徹で底知れぬ猛禽の瞳に戻った佑は、自身の折れた肋骨を抑えながら、ポータルの光へと向かって静かに歩き出す。
「まあよい。利用できるものは、熱狂する世論であれ何であれ、全て利用するまで。――次は、姉ちゃんの病院だな」
誰一人いない静寂のダンジョンに、老獪な将の静かな独り言が溶けていった。
底辺テイマーの無自覚な配信が、社会現象という名の巨大な渦となり、世界を呑み込み始めていることも知らずに。




