第2話 妖将の初陣、血の匂い。無自覚に垂れ流される凄惨なハメ殺し配信
本日2話目です。
あと1話投稿します
大宮ダンジョン第三階層。
Bランクモンスターであるブラッド・ライカンが絶命したことで、張り詰めていた死の気配は一旦霧散したかに思えた。
しかし、迷宮という名の生態系は、血の匂いに対してあまりにも敏感だった。
濃厚な鉄の香りが湿った冷気に乗り、薄暗い通路の奥へと広がっていく。
水彩画のように淡く発光する青い苔の光の届かない暗がりから、無数の赤黒い瞳が浮かび上がった。
『ギ、ギギッ……!』
『ギャギャッ!』
現れたのは、第三階層を縄張りとする群れモンスター『シャドウ・ゴブリン』だった。
体長は百五十センチほどだが、その手には錆びた鉈や粗悪な槍が握られている。ゴブリンの上位種であり、闇に紛れて獲物を集団でなぶる残忍な性質を持つ魔物だ。
その数はざっと十体。ライカンの死骸と、血塗れで立ち尽くす一人の人間に向かって、涎を垂らしながらジリジリと距離を詰めてくる。
「……なるほど。血の匂いを嗅ぎつけてきたハイエナ共か。どこの世も、野盗の類は湧き出てくるものだな」
太田佑は、脇腹の痛みに顔をしかめることもなく、極めて冷静に眼前の敵軍を分析した。
折れた肋骨が肺を圧迫しているはずだが、クラスが【妖将】へと強制再構築された際の未知の力によるものか、あるいは前世たる太田資正の強靭な精神力が肉体を凌駕しているのか、不思議と立ち上がることはできた。
(数は十。統率された軍というよりは、烏合の衆。武器のサビ具合から見て、手入れの概念もない獣だ。……与しやすい)
前世の記憶が、瞬時に必勝の戦術を弾き出す。
魔法による広範囲殲滅などできない底辺職の彼にとって、一対多の状況は本来ならば即死を意味する。だが、戦場において「まともに真正面から打ち合う」ことほど愚かな行為はない。
佑は血塗れの口元に、タヌキ親父のような酷薄な笑みを張り付けた。
一方で、彼が全く気付いていない頭上の小型ドローンは、その絶望的な状況を、高画質・低遅延で全世界のネットワークへと垂れ流し続けていた。
『おいおいおい、嘘だろ……シャドウ・ゴブリンの群れじゃねぇか!』
『第三階層のゴブリンは連携してくるからマジで厄介だぞ!』
『ライカン倒して満身創痍なのに、十体は無理ゲーすぎる……』
『逃げろ! 早く逃げてくれ!』
『ダメだ、通路を塞がれてる。退路がないぞ!』
『あの荷物持ち、なんであんなに落ち着いてるんだ……? もしかしてショックで頭が……』
深夜帯にも関わらず、先ほどの「Bランクモンスター瞬殺」のクリップ動画がSNSで拡散された影響で、過疎だった配信の同時接続数は急激に跳ね上がり、数万人規模に膨れ上がっていた。
画面の向こう側の誰もが、名もなき底辺テイマーの凄惨な最期を覚悟し、息を呑んで画面を凝視している。
だが、画面の中の青年は、視聴者の悲鳴のようなコメントなど知る由もなく、静かに動いた。
「おい、管狐。腹ごなしの時間だ」
「チィッ!」
佑の肩に乗っていた黄金色の小さな狐が、主の言葉に応えて嬉しそうに鳴く。
佑は先ほどライカンを仕留めた際に着ていた、自身の血と魔物の血がべったりと染み込んだ上着を無造作に脱ぎ捨てた。
そして、それを通路の中央、発光苔の光が最も強く当たる場所に放り投げる。
「……まずは、敵の視線を誘導する。戦の基本は『釣り出し』だ」
上着から漂う濃厚な血の匂いと、光に照らされた不自然な物体。
知能が低い魔物たちの意識は、一瞬だけ、いや、致命的な数秒間、その「血塗れの上着」へと完全に釘付けになった。
『ギャギャッ!』
先陣を切って飛び出した三体のゴブリンが、獲物だと錯覚して上着へと群がり、錆びた武器を振り下ろす。
その瞬間、佑の姿はすでにそこにはなかった。
「足元がお留守だぞ、雑兵共」
背後の暗がり。発光苔の光が届かない完全な死角に滑り込んでいた佑が、声もなくゴブリンたちの背後に回っていた。
シネマティックなカメラワークのように、ドローンの視点が暗闇から現れる佑の冷徹な横顔を映し出す。
手には、ライカンの血を拭ったばかりの小さな解体ナイフ。
佑は一切の躊躇いなく、上着に気を取られて無防備な背を晒しているゴブリンの「膝裏」の腱を、流れるような動作で撫で斬りにした。
『ギャァァアアッ!?』
致命傷ではない。しかし、腱を絶たれた三体のゴブリンは完全に機動力を失い、その場に折り重なるようにして崩れ落ちた。
「次。目眩ましだ」
「チィーッ!!」
後続の七体が仲間の悲鳴に気づき、佑へと向き直ろうとした瞬間。
頭上の暗がりから、待機していた管狐が急降下し、ゴブリンたちの目の前で網膜を焼き切るような強烈な燐光を放った。
『ギギィッ!? ガァッ!?』
完全な闇に慣れていたゴブリンたちは、閃光弾を至近距離で浴びたも同然だ。
目を抑え、パニックに陥りながらデタラメに武器を振り回し始める。
「同士討ちを誘え。混乱こそが、少数が多数を食い破る最上の刃となる」
佑は深く腰を落とし、まるで水面を滑るかのような古流剣術の歩法で、盲目となって暴れる敵陣の懐へと潜り込んだ。
振り回される錆びた鉈を、紙一重で見切る。
大振りな軌道を躱した直後、ゴブリンの脇の下の隙間を的確に突き、即座に刃を引き抜く。
鮮血が水彩画の飛沫のように宙を舞うが、佑の服には一滴たりともかからない。
彼が狙うのは常に、急所か、あるいは「仲間を巻き込むような死体」を作る部位だった。
絶命したゴブリンの死体を蹴り飛ばし、背後のゴブリンにぶつける。
体勢を崩したところを、頸動脈へ一突き。
倒れた仲間の体に足を取られて転んだ個体の、後頭部の延髄を正確に破壊。
派手な魔法の爆発も、豪快な剣技の輝きもない。
あるのはただ、徹底的に計算され尽くした物理法則と、人間心理(魔物心理)を利用した、極めて泥臭く、そして芸術的なまでの「ハメ殺し」だった。
『………………は?』
『え、ちょっと、情報が処理しきれない』
『何今の動き? 魔法陣もオーラも出てないのに、ゴブリンが勝手に転んで死んでいくんだが!?』
『いや勝手じゃない。アイツ、死体を利用して後続の足場を奪ってるぞ!』
『血塗れの上着で視線を誘導して、閃光で盲目にして、同士討ち誘発……』
『こんなエグい戦い方する探索者、見たことねぇよ……!』
『サイコパスだろ! なんで無表情で淡々と急所を突けるんだよ!』
『動きに無駄が一切ない。完全に殺しに特化した『武術』だ……』
『やばい、なんか見ててゾクゾクしてきた』
コメント欄は、驚愕、ドン引き、そして未知のカタルシスに対する熱狂で埋め尽くされていた。
圧倒的な暴力の前に蹂躙されるのではない。弱者が、知略と容赦のない戦術で、格上の群れを一方的に「処理」していく光景。
それは、力押しが主流の現代ダンジョン配信において、誰も見たことのない劇薬だった。
「……ふぅ。これで十。掃討完了だな」
最後の一体の心臓からナイフを引き抜き、佑は静かに息を吐いた。
周囲には、先陣の三体を含め、十体のゴブリンの死体が転がっている。
戦闘時間はわずか三分。致命傷を負った人間が、ただの解体ナイフ一本で成し遂げたとは信じがたい光景だった。
やがて魔物の死体は光の粒子となって霧散し、後には低級ながらも十個の魔石がコロコロと転がった。
「よくやったぞ、管狐。恩賞だ、存分に喰え」
「チィッ!」
管狐がご機嫌な様子で魔石をバリバリと咀嚼し始める。
その様子を目を細めて見守りながら、佑は己の肉体の状態を再確認した。
(このまま深追いするのは下策だ。兵は疲弊しきっている。……姉ちゃんの病院に向かい、治療を優先せねばな。それと、この異常な『力』の検証も必要だ)
タヌキ親父の冷徹な仮面の下で、佑は今後のロードマップを構築し始める。
まずはダンジョンを出て、再び「底辺の気弱な青年」という保護色を纏うこと。それが、面倒な連中から身を隠し、効率よく姉を救うための魔石を集める最適解だ。
「よし。帰るか……ん?」
振り返ろうとした佑の視界の端に、空中に浮かびながら赤いランプを点滅させている人工物が映った。
シルバーウィングの連中が置き去りにしていった、配信用のドローンだ。
(……チッ。まさか、回っていたのか?)
一瞬、佑の目に鋭い殺意が宿る。自分の本性と戦術が世間に露見したことの重大性を、前世の将の記憶が瞬時に理解したからだ。
だが、ここでドローンを破壊しても手遅れであることは明白だった。
(……いや、待て。これは使えるやもしれんな。毒を喰らわば皿まで、だ。利用できるものは、世論すらも駒として使うまでよ)
佑はすぐに表情を切り替え、ドローンに向かって、いつものオドオドとした「気弱なテイマー」の顔を作った。
「あ、あわわ……! た、助かった……! ドローン、生きてたんだね! よかったぁ……!」
わざとらしく震える声で安堵の表情を浮かべる佑。
だが、その直前まで見せていた氷のように冷たい「殺戮者」の顔とのギャップは、すでに数万人の視聴者の脳裏に深く刻み込まれた後だった。
『いやいやいやいやwwwww』
『今更気弱ぶっても遅せぇよwwwwww』
『完全に猫被ってるだろコイツ!!!』
『さっきのサイコパススマイルどこ行ったんだよwww』
『ヤバい、こいつ面白すぎる! 名前なんていうんだ!?』
『シルバーウィングの荷物持ちの「太田佑」って名前らしいぞ!』
『チャンネル登録した! 太田ニキ、最高だわ!!』
『伝説の始まりを見たかもしれない』
画面の向こう側で爆発的なバズが巻き起こっていることなど、佑は正確には把握していない。
ただ、この日を境に、彼の運命が静かなる狂気と共に大きく動き出したことだけは間違いなかった。
同時刻。
関東に拠点を置く探索者ギルド本部の、薄暗い情報管理室。
「……何よ、コレ」
壁一面に並んだモニターの一つを食い入るように見つめる女性がいた。
白衣を乱雑に羽織り、目の下には深いクマ。ボサボサの髪を鉛筆で纏めた、研究肌のマッドサイエンティストを思わせる風貌のギルド受付嬢だ。
彼女の瞳には、西洋魔法の解析に限界を感じていた深い絶望があった。
しかし今、その瞳孔は異常なほどに拡大し、狂気じみた歓喜の光に震えている。
「魔法陣の痕跡ゼロ。魔力波長の乱れゼロ。なのに、未知のエネルギー体を使役して、物理法則と心理学だけで魔物の群れを『処理』した……?」
彼女は爪を噛みながら、モニターに映る「気弱な青年を演じる佑」の姿を、食い殺すような熱視線で見つめた。
「見つけた……。見つけたわ、私の、究極の検体……!」
彼女の赤い唇が、妖しく三日月型に吊り上がった。
タヌキ親父の如き底知れぬ兵法家と、魔法の真理に飢えた狂気のオタク受付嬢。
二人の運命が交差する瞬間は、もうすぐそこまで迫っていた。




