第29話 魔石全投入。戦国の妖将が築き上げる「見えざる絶対防衛線」
大宮ダンジョン第九階層。
第八階層へと続く幅十メートルほどの『細道(関所)』の入り口。
太田佑は、何万という深層モンスターが雪崩れ込んでくる絶望の波を正面に見据えながら、先ほど城塞魔獣から抉り出したばかりの『特大魔級の魔石』を、自身の足元で渦巻く漆黒の影の中へと惜しげもなく放り込んだ。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
特級に近い莫大な魔力エネルギーを喰らった三匹の妖怪たち。
管狐、塗り壁、土蜘蛛。
彼らの霊格が、システムの限界値を完全に破壊し、かつてない『暴走状態』へと突入していく。
【警告。警告。】
【対象妖怪の霊格が限界許容量を突破。】
【一時的な変態フェーズへ移行します。】
脳内に響くシステム音を掻き消すように、佑の足元の影が爆発的に膨張した。
それは、水彩画のパレットに真っ黒な墨汁を樽ごとぶちまけたような、圧倒的で禍々しい霊力の奔流。
「チィィィィィィィィィィィィッ!!!」
最初に影から飛び出したのは、管狐だ。
普段は可愛らしい小狐の姿をしている彼らだが、膨大なエネルギーを喰らったことで、その姿は『九尾』を思わせる巨大な光の化身へと変貌していた。
無数の黄金の燐光が尾を引いて空へ舞い上がり、まるで満天の星空のように、関所の頭上を埋め尽くす。
それらは強烈な閃光と疑似魔力波を放ち、上空から殺到してくるヴァンパイア・バットの群れの超音波レーダーを完全に破壊した。
『ギギギギギギッ!?』
方向感覚を失い、同士討ちを始める空中の魔物たち。
だが、真の絶望は地上からやってくる。
地響きを立てて突撃してくる、デュラハンの重装騎馬隊。その質量は、先ほど討伐した城塞魔獣の突進が、何十列も束になって押し寄せてくるに等しい。
「(……受け止めろ、塗り壁。今の貴様は、もはや壁ではない。巨大な要塞の『城門』そのものだ)」
ズズガァァァァァァァァンッ!!!!
佑の眼前、関所を完全に塞ぐようにして、空間そのものが黒く歪んだ。
限界突破した塗り壁。
それは目に見えない強固な防壁という次元を超え、空間の密度を異常なまでに高めた、厚さ数メートルにも及ぶ『絶対的な質量の断層』として顕現したのだ。
『……ォォォォッ!?』
先陣を切っていたデュラハンの騎馬隊が、見えない城門に激突する。
凄まじい破壊音が関所に響き渡った。
重装甲の馬と騎士が、自らの圧倒的な突進力と、塗り壁の完全な反射によって、トマトのようにひしゃげ、光の粒子となって砕け散っていく。
後続の魔物たちも次々と壁に激突し、自らの質量で自滅していくという地獄の玉突き事故が発生した。
『ウソだろ……!?』
『止めた……!? あの何万っていうスタンピードの先頭を、完全に止めやがった!!』
『見えない壁の規模がおかしい!! 関所の端から端まで、完全に塞がってるぞ!!』
『太田ニキの影から、光るキツネの化け物みたいなのが飛び出したのが見えた……!』
『なんだこれ、防衛戦じゃない。一人で「城」を築き上げてるんだ……!』
8Kドローンのカメラは、押し寄せる黒い絶望の波と、それをたった一人(と見えざる妖怪たち)で完璧に堰き止めている狐面の青年の姿を、一枚の絵画のように美しく捉えていた。
*
同時刻。関東探索者ギルド本部の指令室では、白髪のギルドマスターが信じられないものを見るようにメインモニターを見上げていた。
「どうなっている……? 大宮ダンジョン第九階層のボトルネックで、スタンピードの群れが完全に足止めされているぞ!?」
「防衛戦を展開している生体反応は……た、たった『一つ』です! 現在地、第九階層から動いていません!」
指令室が騒然とする中、片隅でタブレットを握りしめていた雨宮結衣は、狂気的な歓喜に打ち震えながら、妖艶な唇を吊り上げた。
「(……あははははっ! やってくれるじゃない、佑くん! 深層の悪夢を相手に、たった一人で籠城戦をやってのけるつもり!?)」
彼女の目には、地上を目指す何万という絶望の群れに対し、一歩も退かずに「見えざる城」を築き上げた共犯者の、あまりにも泥臭く、そして美しい狂気がはっきりと映っていた。
もしあの関所を突破されれば、直上にある探索者専用病院――彼が最も愛する姉がいる場所が蹂躙される。
だからこそ、あの男はここで一匹残らずすり潰す気なのだと、雨宮は理解した。
*
だが、深層の魔物たちは、ただ壁にぶつかって死ぬだけの知能ではない。
実体を持たないレイスの群れが壁をすり抜けようと試み、ヴァンパイア・バットたちが壁の上空を越えて佑の背後へと回り込もうとする。
「(……無駄だ。俺の城には、鼠一匹通す隙間など存在しない)」
佑は、ゆっくりと腰の解体ナイフを抜いた。
「(いざ紡げ、土蜘蛛。この関所全域を、絶対に抜け出せない死の迷宮に変えろ)」
シュララララララララッ……!!!
佑の足元から、限界突破した土蜘蛛の粘糸が、もはや視認できるほどの『銀色の輝き』を伴って空間へ射出された。
それはただの罠ではない。
関所の岩壁、床、そして空中に至るまで、あらゆる空間に何万重にも張り巡らされた、剃刀よりも鋭利で、鋼よりも強靭な『不可視の防空網』。
壁を越えようとしたヴァンパイア・バットたちが、その銀色の糸に触れた瞬間。
ズバァァァァァァッ!!
自らの飛行の勢いによって、羽、胴体、首が、豆腐のようにスッパリと切断された。
空からバラバラになった魔物の残骸が降り注ぎ、光の粒子となって消えていく。
壁をすり抜けようとしたレイスたちも、霊的な干渉力を持つ土蜘蛛の糸に絡め取られ、身動き一つ取れずに浄化の光を上げて霧散していった。
「ひ、ひぃぃぃっ! な、なんか勝手にお化けさんたちが倒れていくよぉっ!」
佑は、空から降り注ぐ光の粒子を浴びながら、頭を抱えて震え上がる演技を続ける。
だが、その声の裏で、彼の身体は極限まで研ぎ澄まされた古流剣術の構えを取っていた。
見えない壁が防ぎきれなかった僅かな衝撃波や、糸の網の目を偶然すり抜けてきた魔物の残党。
それらを、佑は一切の無駄がない『最小の動き』で、次々とナイフで解体していく。
ドズッ! プツンッ!
首なし騎士の鎧の隙間を穿ち、吸血蝙蝠の延髄を断つ。
8Kカメラのスローモーションが、怯えているように見せかけて、実は死地に踏み込みながらミリ単位で急所を連続して貫き続ける『暗殺者の舞』を、克明に世界中へ配信し続けている。
『バケモノだ……太田ニキ、マジのバケモノだよ……』
『一人で、何万という深層の軍勢と互角に渡り合ってる……』
『これが妖将……。死神を統べる、真の戦神……!』
『逃げるどころじゃない。アイツ、一歩も引いてねえ! ここで全部の魔物をすり潰す気だ!!』
『同接100万人突破!!! 伝説だ、今俺たちは神話を目撃してる!!!』
世界中のプラットフォームのサーバーが限界を超え、幾つものサイトがダウンする中。
太田佑の配信画面だけは、異常なまでの安定を保って、その泥臭くも美しい防衛戦を映し出し続けていた。
しかし。
戦国の亡霊による絶対的な陣形をもってしても、深層の暴力の『底』は見えない。
倒しても倒しても、後から後から漆黒の波が押し寄せてくる。
ミシミシッ……!!
数千体ものデュラハンが同時に突撃を繰り返すことで、限界突破した塗り壁の防壁に、ついに微かな亀裂が走り始めたのだ。
土蜘蛛の銀糸も、無数のレイスの怨念を浴び続けることで、徐々にその輝きを失い始めている。
そして、佑自身の体力と集中力も、限界に近づきつつあった。
「(……チッ。やはり、数の暴力というものは厄介極まりないな)」
佑の頬に、ヴァンパイア・バットの爪が掠め、一筋の赤い血が流れる。
だが、彼が痛みを感じるより早く。
ズッッッッドォォォォォォォォォンッ!!!!!
防壁の向こう側で、デュラハンたちの軍勢が、何かの圧倒的な『巨大な力』によって、背後から無惨にも吹き飛ばされた。
同士討ちではない。
深層の門の奥から現れた『何か』が、邪魔な味方の軍勢ごと、関所の防壁を正面から粉砕しにかかってきたのだ。
「(……来るか。大将首が)」
佑は狐面の下で、顔に飛び散った魔物の返り血を拭うこともせず、獰猛な笑みを深く刻み込んだ。
重い、重い足音。
一歩踏み出すごとに、大気の温度が急激に下がり、水彩画の群青色の魔力光が、ドス黒い氷へと変わっていく。
巨大な城門の残骸と、味方のデュラハンたちの死骸を踏み躙りながら姿を現したのは、身の丈四メートルを超える、漆黒の重装甲に身を包んだ恐るべき悪夢。
その兜の奥には、氷のように冷たく、残酷な青白い鬼火が揺らめいている。
『ギルルォォォォォォォォォォォッ……!!!』
大宮ダンジョン深層の主。
最愛の姉の命を削り、このダンジョンブレイクを引き起こしたすべての元凶。
『黒死の騎士』の真の本体が、ついに太田佑の眼前に降臨した。
「……待っていたぞ、西洋の鉄屑」
もはや、怯えたフリなど微塵もない。
戦国の亡霊は、ナイフにこびりついた血を振り払い、深層の主へと真っ直ぐに切っ先を向けた。
世界100万人の視聴者が見守る中、すべてを懸けた最後の死闘の幕が切って落とされようとしていた。




