第24話 水脈の地の利。ダンジョンの水路を利用した水攻めの陣
大宮ダンジョン第八階層。
第七階層の禍々しい地下墓所を抜け、いよいよ本格的な『深層エリア』の入り口へと足を踏み入れた太田佑の眼前に広がっていたのは、息を呑むほどに幻想的な光景だった。
巨大な地下峡谷。
見上げるほど高い岩壁の至る所から、青白い燐光を放つ地下水が滝のように流れ落ちている。
水彩画の群青色とエメラルドグリーンを混ぜ合わせたような、透明度の高い巨大な地底湖が広がり、その水面には天井から垂れ下がる巨大な発光結晶が星空のように反射していた。
だが、その圧倒的な美しさに反して、空間を満たす瘴気は肺を刺すように冷たく、濃密だ。
ここは人間が立ち入るべき場所ではないと、本能が警鐘を鳴らす『死の領域』。
「ひ、ひぃぃ……。な、なんか急に景色が変わったけど……足元が水浸しで、すごく滑るよぉ……」
佑は、ギルドから貸与された最新型の配信ドローンに向かって、いつものように身をすくめてみせた。
『第八階層キターーーー!!』
『ついに深層エリア突入かよ……マジで歴史的瞬間だぞ』
『ここは【大水脈】エリア。地形の9割が水場だから、機動力がガタ落ちする最悪の階層だ』
『水の中に何が潜んでるか分からない恐怖……』
『でも太田ニキなら、また謎の「運の良さ」で突破してくれるって信じてる!』
『見えざる守護霊さん、今日も出勤お願いします!』
配信を開始してわずか数分。同接数はすでに二十万人を優に超え、すさまじい勢いでコメントが滝のように流れていく。
昨日の「Aランク二体同時ハメ殺し」の余波は全く冷めておらず、世界中の視聴者がこの狐面の底辺テイマーの次なる一挙手一投足に熱狂していた。
「(……さて、外野は今日も賑やかだな。だが、ここから先は一瞬の油断が命取りになる)」
狐面の下で、佑の双眸は冷徹な戦術家のそれへと切り替わっていた。
チャプ、チャプと浅瀬を歩きながら、彼は周囲の地形――水流の速さ、岩壁の脆さ、そして水門のようにそびえ立つ巨大な天然の結晶柱の位置を、瞬時に脳内マップへと書き込んでいく。
「(戦国において、河川や湖沼は天然の要害であると同時に、最強の『兵器』でもあった。かつて関東の水系を支配し、幾度も大軍を飲み込んだ里見の水軍衆……彼らの戦に比べれば、この程度の水脈など庭の池に等しい)」
佑が足元の影に意識を向けた、その時だった。
ボゴォォォォォンッ!!
突如、佑の数十メートル前方の地底湖の水面が爆発したように盛り上がり、巨大な水柱が上がった。
凄まじい水飛沫の中から姿を現したのは、全身を青黒い鱗で覆われ、手には銛や三叉槍を持った水棲モンスターの群れだった。
『ギシャァァァァァァッ!!』
第八階層の厄介な群生種、『アビス・リザードマン』の一個大隊。
その数は、ざっと見渡しただけでも百を超えている。
さらに、彼らの足元には、体長五メートルを超える凶悪な古代ワニ『キャニオン・アリゲーター』が数十頭、乗り物として付き従っていた。
「あ、あわわわわっ!! ワ、ワニ!? トカゲ!? いっぱい出てきたぁぁっ!!」
佑は大仰に尻餅をつき、狐面を両手で覆って悲鳴を上げた。
『うわああああああ!! モンスターハウスだ!!』
『アビス・リザードマンの軍隊じゃねえか!!』
『しかもキャニオン・アリゲーターの騎兵付き!? こんなのAランクギルドの総力戦レベルだろ!』
『数が多すぎる! いくら太田ニキの罠でも、この物量を全部処理するのは無理だ!』
『水場じゃ向こうのスピードは3倍になるぞ! 逃げろ!!』
視聴者たちがパニックに陥る中、アビス・リザードマンたちは一斉に佑へ向かって突撃を開始した。
水面を滑るように進むアリゲーターの群れが、恐ろしい顎を開いて殺到してくる。
「ひぃぃぃっ! た、助けてぇぇっ!」
佑は這い蹲るようにして立ち上がり、来た道とは違う、水路が狭く入り組んだ『峡谷の奥』へと向かって全速力で逃げ出した。
パニックに陥り、袋小路へと逃げ込んでしまった愚かな獲物。
リザードマンたちはそう判断し、歓喜の咆哮を上げながら、一匹残らず狭い峡谷の水路へと雪崩れ込んでいく。
だが。
「(……馬鹿め。まんまと『キルゾーン』に誘導されたな)」
逃げ惑う佑の狐面の下の口角が、三日月のように凶悪に吊り上がった。
「(水戦の基本は、敵を広く深い場所で戦わせないことだ。狭い水路に誘い込み、密集させた上で……圧倒的な『質量』で押し潰す。いざ往け、我が兵たちよ)」
佑が極小の声で命じると同時に、彼自身の足元――水面下の見えない位置で、影の中から三体の管狐が放たれた。
黄金の燐光を纏った幻影たちは、リザードマンたちの眼球ギリギリを飛び回り、挑発するように激しく明滅する。
『ギシャァァッ!? 邪魔ダッ!!』
目障りな光に気を取られ、リザードマンたちの進軍速度がわずかに乱れる。
その乱れに乗じて、佑は峡谷の最も狭いポイント――両側を高く険しい岩壁に挟まれた『V字谷』の底へと辿り着いた。
「(ここだ。……塗り壁、背後の退路を完全に塞げ)」
ズズンッ……!!
佑の背後、リザードマンたちが雪崩れ込んできた水路の入り口に、巨大な黒い水彩画のインクが滲み出したかと思うと、分厚い『塗り壁』が空間固定された。
これで、彼らの逃げ道は完全に断たれた。前には岩壁、後ろには見えない絶対防壁。
百を超える魔物の軍勢は、狭い峡谷の底に完全に『すし詰め状態』となったのである。
『ギ……? 壁……?』
リザードマンの一体が、背後の見えない壁にぶつかり、困惑の声を上げた。
だが、彼らが罠に気づいた時には、すべてが遅すぎた。
「(……そして、仕上げだ。土蜘蛛、天井の『要石』を引き抜け)」
佑の視線は、峡谷の遥か頭上へと向けられていた。
そこには、莫大な量の地下水をせき止めている、巨大な発光結晶の『天然のダム』がそびえ立っていたのだ。
シュルルルルッ……!
佑の影から射出された土蜘蛛の極細の粘糸が、遥か上空の結晶ダムの根元――構造上、最も負荷がかかっている脆弱な『要石』の部分に幾重にも巻き付く。
「あ、あわわっ! 足が滑ったぁっ!」
佑は、ドローンのカメラに向かって、わざとらしく浅瀬で足を滑らせたフリをして、派手に転倒した。
だが、その倒れ込む『全体重』と『落下のエネルギー』は、土蜘蛛の糸を強烈な力で引っ張るための、完璧なテコの原理として機能した。
メキッ……。
メキメキメキィィィッ!!!
峡谷の頭上で、巨大な結晶が砕け散る轟音が鳴り響いた。
要石を引き抜かれ、限界を迎えていた天然のダムが、完全に崩壊したのだ。
『……ギシャ?』
リザードマンたちが、ポカンとして頭上を見上げる。
次の瞬間。
数万トンという途方もない質量の『水』が、重力に従って、狭い峡谷の底へと真っ逆さまに落下してきた。
ドッゴォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
「(――これが、戦国の水攻めだ。存分に溺れ、砕け散れ)」
凄まじい轟音と共に、エメラルドグリーンの鉄砲水が、リザードマンの軍勢を頭上から完全に呑み込んだ。
それはただの濁流ではない。
何十メートルもの高さから落ちてきた水圧と、逃げ場のない狭い峡谷、そして背後を塞ぐ『塗り壁』という絶対防壁。
この三つの要素が組み合わさることで、峡谷の底は、巨大な『水のプレス機』と化していた。
『ギギャァァァァァァァッ!!?』
『ボゴッ、ガバァッ……!?』
強靭な鱗を持つリザードマンも、巨大なアリゲーターも関係ない。
圧倒的な水の質量と圧力によって、岩壁と塗り壁の間に押し潰され、関節が外れ、内臓が破裂し、骨が砕け散る。
悲鳴すら水の中に掻き消され、百を超える軍勢が、まるでミキサーにかけられたかのように一瞬にして蹂躙されていく。
その地獄絵図のような奔流の少し上の岩棚――あらかじめ計算して陣取っていた安全地帯で、佑は頭を抱えながら震えていた。
「ひぃぃぃっ! な、なんか上から水が降ってきたぁぁっ!」
『………………は?』
『えっ、ちょ、待って』
『ダムが決壊した!? なんでこのタイミングで!?』
『しかもリザードマンたちの背後、なんか見えない壁に阻まれて逃げられなくなってないか!?』
『水圧で……ワニが、ペチャンコになってる……(白目)』
『太田ニキが転んだ瞬間に、上の結晶が崩れたぞ! 絶対なんかやっただろ!!』
『地形ごとハメ殺すとか、規模がデカすぎるわ!!』
『水遁の術の極み。もはや忍者どころか水神様だよ……』
配信のコメント欄は、理解を絶する戦術――純粋な『自然の暴力』を利用した大虐殺を前に、恐怖と熱狂で完全にバグっていた。
エリート探索者たちが魔法陣を展開し、必死に炎や雷で応戦するのを嘲笑うかのような、地形を利用した究極の物理トラップ。
数分後。
鉄砲水が引き、峡谷の底の水位が落ち着くと、そこには魔物の姿は一匹も残っていなかった。
代わりに、川底の小石のように、大量の青黒い『中級魔石』がキラキラと群青色の光を反射して転がっているだけだ。
「あ、あれ……? トカゲさんたち、みんな水に流されちゃった……?」
佑は狐面を傾けながら、岩棚からヒョイと飛び降りた。
そして、まだ水が滴る峡谷の底を歩きながら、大量の魔石をホクホク顔でリュックに詰め込んでいく。
足元の影からは、管狐と土蜘蛛が顔を出し、主の圧倒的な戦果を称えるように、嬉しそうに魔石のエネルギーを貪り喰らっている。
「(……素晴らしい。水圧による圧殺は、魔石を傷つけずに回収できるのが良い。手駒たちの霊格も、さらに強固なものへと仕上がっていくな)」
佑は冷徹に状況を分析しながら、ドローンのカメラに向かってペコペコと頭を下げた。
「あの、皆さん……。なんか運よく水が流れてきて、助かっちゃいました。……これでお姉ちゃんの薬代、たくさん稼げそうです!」
『運よく(天然ダム破壊&退路封鎖の完全コンボ)』
『もうその「運」って言葉、辞書から消した方がいいぞwww』
『サイコパス工場長、今日は「水力発電所」を建設しました』
『百匹以上の大軍が、指一本触れられずに全滅……。他ギルドのエリートたち、これ見て泣いてるだろ』
『マジでこの人、深層の底まで一人で歩いていけるんじゃないか?』
同接数はさらに跳ね上がり、四十万人の大台に迫ろうとしていた。
もはや太田佑の配信は、ただのダンジョン攻略動画ではなく、「今日はどんなエグい方法で敵をすり潰すのか」を見届けるための、狂気的なエンターテインメントへと昇華している。
「(……さて、大掃除は済んだ。だが、本番はこれからだ)」
佑が魔石を拾い終え、峡谷の奥へと視線を向けると、そこには崩壊した岩壁の奥から、さらに地下深くへと続く『巨大な空洞』が口を開けていた。
そこから漂ってくるのは、先ほどのアビス・リザードマンたちとは次元の違う、重く、粘りつくような『濃密な呪いの瘴気』だ。
「(この気配。第八階層の奥、第九階層への関所……中層の『真のヌシ』が待ち構えている領域か)」
佑の足元の影が、主の闘気に呼応するようにドロリと黒く波打つ。
姉を救うための特級魔石が眠る、深層の底。
そこへ至るための最後の壁が、冷たい闇の奥で静かに目を覚まそうとしていた。
「お姉ちゃん、待っててね……。絶対、薬を持って帰るから……!」
震える声の裏側で、戦国の亡霊は最高に獰猛な笑みを浮かべ、さらに深い深淵へとその歩みを進めていく。




