第21話 姉の呪いの元凶。垣間見える深層ボス『黒死の騎士』の影
大宮ダンジョン第七階層、地下墓所の最奥たる大祭壇。
二体のAランク級イレギュラーモンスター――『冥府の処刑者』と『インフェルノ・センチピード』が、太田佑の仕掛けた極悪非道な「二虎競食の計」によって共倒れとなり、光の粒子となって霧散した直後のことだった。
佑の胸の奥で、無機質なシステム音声がけたたましく鳴り響いていた。
【警告。対象魔石の吸収により、使役妖怪たちの霊格が限界突破を起こしています。】
【条件達成:大宮ダンジョン深層への『真の門』の鍵が錬成されました。】
【同時に――深層ボス『黒死の騎士』の、あなたに対する『明確な敵対追跡』が確立されました。】
そのアナウンスが終わるか終わらないかのうちに、祭壇の空気が劇的に変質した。
ピキリ、ピキリ……ッ!
水彩画のパレットに、真っ黒なインクの原液を直接ぶちまけたような、悍ましい空間の亀裂。
先ほどまで二体の化け物が発していたプレッシャーなど児戯に思えるほどの、絶対的な『死の瘴気』が、空間の断層からドロドロと溢れ出してきたのだ。
「ひ、ひぃっ……!? な、なにこれ……! 急に息が……っ!」
佑はわざとらしく喉を押さえ、膝から崩れ落ちるような演技を見せた。
だが、実際にその瘴気の濃度は異常だった。後方の通路で様子を窺っていたエリート探索者たちは、その気配に当てられただけで白目を剥いて泡を吹き、次々と気絶していく。
ドローンが捉えた映像を通してすら、視聴者たちに名状しがたい悪寒が伝播する。
『おい……嘘だろ……?』
『モニター越しなのに、鳥肌が止まらないんだが……』
『空間が割れてる……中から何か出てくるぞ!!』
『特務部隊の配信で一度だけ見たことがある……あれは、深層エリアの……!』
黒い亀裂が大きく広がり、そこから身の丈四メートルを超える『巨大な影』が、幻影のように滲み出してきた。
漆黒の西洋甲冑。兜の奥で揺らめく、冷たく残酷な青白い鬼火。
その手には、光すらも吸い込むような巨大な両手剣が握られている。
大宮ダンジョンの深層――第十階層以降に君臨し、絶対的な死をもたらすAランクオーバーの悪夢、『黒死の騎士』の投影体であった。
『……ギルルォォォォォォッ……』
錆びた鉄を擦り合わせるような、空間そのものを震わせる咆哮。
実体を持たない影でありながら、その存在感は、先ほどの二体のボスを足してなお余りあるほどの絶望を孕んでいた。
「(……間違いない。この肺腑を直接焼くような、悍ましい冷気)」
狐面の下で、佑の双眸は極限まで細められ、氷のような冷たい殺意を宿していた。
怯えるふりをして地面に手をつきながらも、その視線は巨大な騎士の影を真っ向から睨み据えている。
「(姉ちゃんの首筋を這い回り、命を削っているあの呪いの痣。……それと全く同じ波長、同じ匂いがする。こいつが、大宮ダンジョンの深層ボス。俺の大切な家族を傷つけた、万死に値する元凶……!)」
佑の脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。
戦国の世。太田資正として生きた前世の最期。
謀略と裏切りに満ちた戦場で、自らの力不足によって多くの兵を失い、冷たい泥の中で血を吐きながら絶命したあの無念。
己の大切なものを守りきれなかったという、魂に刻み込まれた深い後悔。
「(……もう二度と、あんな思いはごめんだ。システムに守られただけの西洋の化け物風情が、俺からすべてを奪えるなどと、思い上がるなよ)」
ドクン、と。
佑の奥底で、戦国武将としての覇気とテイマーとしての執念が完全に融合し、ドス黒い炎となって燃え上がった。
『ギルルォォッ!!』
黒死の騎士の影が、その青白い双眸で佑を正確に捉えた。
自身の配下たる中層のヌシたちを立て続けに葬り去った、不可解な存在。深層の主は、明確な排除対象として佑を認識し、巨大な大剣をゆっくりと振りかぶった。
「あ、あわわわっ! こないでぇぇっ!!」
佑は悲鳴を上げながら、頭を抱えて丸くうずくまる。
『太田ニキィィィィッ!!』
『逃げろ! それは幻影でも即死クラスの呪いを持ってる!』
『ダメだ、空間が重圧で固定されてる! 動けないんだ!』
『あああ……終わった……せっかくAランク二体倒したのに……!』
大剣が、空間の断層ごと叩き斬るような恐ろしい勢いで振り下ろされた。
直撃すれば物理的な肉体はおろか、魂ごと真っ二つに両断されるであろう呪いの一撃。
だが。
「(――いざ受け止めろ、塗り壁。今の貴様は、城門すら凌駕する難攻不落の要塞だ)」
ズガァァァァァァァンッ!!!!!
黒死の騎士の巨大な剣閃が、佑の頭上わずか数十センチの空間で、目に見えない強固な壁に激突し、凄まじい衝撃波を撒き散らした。
祭壇の石畳が爆風で放射状にめくれ上がるが、うずくまる佑の身体には、微風すら届いていない。
『……ギルッ!?』
黒死の騎士の影が、初めて驚愕したように動きを止めた。
「(……ククッ。先ほど喰わせたAランク二体分の魔石。その莫大なエネルギーで霊格を限界突破した妖怪たちを、舐めるなよ)」
佑の足元の影は、もはや深淵よりも深く、濃密な霊力を脈打たせていた。
空間固定された『塗り壁』は、ただの岩の板から、巨大な城の石垣を思わせるほどの絶対的な密度へと進化を遂げ、深層ボスの呪いの一撃すら完全に反射し切っていたのだ。
「ひぃぃぃっ! な、なんか、剣が空中で止まってるぅぅ!?」
佑はわざとらしく驚きの声を上げ、震える足でフラフラと立ち上がった。
そして、まだ剣を振り下ろした姿勢で硬直している騎士の影――その胸元にポッカリと開いている、空間の亀裂の『起点』へと、オドオドとした足取りで歩み寄る。
「(……幻影とはいえ、こちらに干渉してくる以上、必ず魔力を繋ぐ『へその緒』が存在する。……土蜘蛛、管狐。道を作れ)」
佑の視界の中で、管狐の放つ黄金の燐光が、黒死の騎士の胸元にある魔力の結節点を正確に照らし出した。
同時に、土蜘蛛の極細の粘糸が騎士の腕に絡みつき、その動きを数秒だけ強制的にロックする。
「あ、あっちいってよぉぉっ!!」
佑は涙声で叫びながら、半ばヤケクソになったようなデタラメなフォームで、手にした解体ナイフを真っ直ぐに突き出した。
だが、その刺突は、古流剣術の奥義『水月』の如き、一切の殺気を持たない完璧な一撃だった。
スッ……。
ナイフの刃先が、空間の亀裂の起点――黒死の騎士の魔力供給源となっている極小の特異点へと、寸分の狂いもなく吸い込まれる。
パキンッ!!
ガラスが砕け散るような、甲高く澄んだ音が地下墓所に響き渡った。
特異点を物理的に破壊され、魔力供給を断たれた黒死の騎士の影が、ノイズの走ったホログラムのように激しく明滅し始める。
『ギルルルルルルォォォォォォォッ……!!』
深層の主は兜の奥の鬼火を激しく揺らめかせ、目前に立つ狐面の青年に向けて、強烈な呪詛と怒りの咆哮を浴びせかけた。
だが、その姿は水彩画の絵の具が水に溶けていくように、徐々に輪郭を失っていく。
「(……吠えるな、負け犬の影法師が)」
佑は狐面の下で、その怒りに満ちた咆哮を真っ向から受け止め、冷徹極まりない宣告を内心で突きつけた。
「(首を洗って待っていろ。すぐに俺がその深層へ降りて、貴様の本体を切り刻み、特級魔石を抉り出してやる)」
バチュンッ!!
最後のノイズ音と共に、空間の亀裂は完全に閉ざされ、黒死の騎士の影は跡形もなく消え去った。
後に残されたのは、二体のAランクボスを屠り、深層ボスの影すらも退けた、異常なまでの静寂だけだ。
『………………』
『えっ……?』
『今、何が起きたの?』
『深層ボスの攻撃を空中で防いだ上に、ナイフ一突きで幻影を強制解除した……!?』
『いやいやいや、おかしいだろ! あんなの人間業じゃない!』
『太田ニキがデタラメにナイフ突き出した瞬間、空間が割れる音がしたぞ!』
『もはや「運が良かった」とかそういう次元じゃない。あいつ自身が、ダンジョンのバグそのものだろ……』
『見えない守護霊どころか、死神を従える魔王だよこの人……』
同接数はついに三十万人の大台を突破。
日本中のあらゆるサーバーが限界を迎え、悲鳴を上げている。
底辺職として蔑まれていた青年が、深層の絶対的な悪夢すらも(視聴者から見れば)片手間で退けたという事実に、世界中が熱狂の坩堝と化していた。
「あ、あはは……。なんか、すごく怖いお化けでしたけど……勝手に消えちゃいました……」
佑は安堵したように大きく息を吐き、ドローンのカメラに向かってペコペコと頭を下げた。
「でも、お姉ちゃんの薬を買うには、まだこの先に行かないとダメみたいです。……今日はもう、疲れちゃったから……一回帰って、お姉ちゃんに会ってきますね。皆さん、見てくれてありがとうございました……!」
佑は意図的に、震える手で配信の終了ボタンを押した。
プツン、という音と共にドローンの赤いランプが消え、世界中との通信が遮断される。
黒い画面の向こう側で、視聴者たちの熱狂と投げ銭が、さらに爆発的な勢いで加速していくのを、佑は知る由もない。
「(……さて、興行はこれまでだ。必要なデータと、深層への鍵は手に入れた。これ以上の長居は無用だな)」
佑は狐面を外し、冷たく澄んだ空気を肺に吸い込んだ。
足元の影からは、限界突破を果たし、禍々しいほどの霊力を纏い始めた妖怪たちが、主の帰還を待つように静かに蠢いている。
彼は倒れたエリート探索者たちを一瞥すらせず、踵を返して地上への帰還ポータルへと向かった。
*
同時刻。関東探索者ギルド本部の地下、特別研究室。
「あぁぁぁぁっ……!! 最高っ! 最高よ、佑くん!!」
白衣の受付嬢・雨宮結衣は、モニターの前で身をよじらせ、恍惚の表情で絶叫していた。
彼女のタブレットには、先ほどの黒死の騎士との接触データ――佑の『塗り壁』が深層ボスの呪いを完全に弾き返したという、魔法学の常識を根底から覆す記録が、はっきりと刻み込まれている。
「Aランクボス二体の同士討ちに、深層ボスの幻影の強制解除……! ああ、私の見込んだあなたは、どこまで私を狂わせてくれるの!?」
雨宮は血走った瞳でモニターに映る真っ暗な配信画面を見つめ、妖艶な舌で唇を舐めった。
「帰ってきたら、たっぷりご褒美をあげなくちゃね。……そして、次はいよいよ、あの子を蝕む元凶が待つ深層へのダイブ。ギルドの全権限を使って、あなたの『本舞台』を整えてあげるわ……!」
狂気的な研究者の執念と、戦国武将の冷徹な殺意。
二人の異常な共犯関係は、大宮ダンジョンの深淵を完全に支配するための、最終段階へと移行しようとしていた。




