第17話 魔法信仰の崩壊。中層の門番をダルマに変える『見えざる糸』と戦国の理
大宮ダンジョン第六階層。
古代の神殿を思わせる巨大な石柱が幾本も立ち並ぶ荘厳な空間に、鼓膜を破るような、そして現代探索者の『常識』を打ち砕くような轟音が木霊した。
ズガァァァァァァァンッ!!!
数トンの質量を持つ凶悪なモンスター、『ルーン・ゴーレム』の必殺の右腕。
Aランクに迫るエリート探索者たちの防衛線を、いとも容易く、まるで紙屑のように粉砕したその一撃が、突如として飛び出してきた狐面の青年の頭上で完全に停止していた。
「……え?」
「な、なにが……起きたんだ……?」
死を覚悟して固く目を閉じていたエリート探索者たちが、呆然と呟く。
彼らが誇る最高火力の爆炎魔法すら、傷一つ、焦げ目一つつけられなかった中層の門番。
その圧倒的な物理的暴力が、魔法陣の光も、呪文の詠唱もなしに、青年の頭上の空間でピタリと止められているのだ。
『ガガガッ……!? エラー、障害物、検知不可……ッ』
ルーン・ゴーレムの重厚な関節から、自身の莫大な運動エネルギーが行き場を失ったことによる、嫌な軋み音が鳴り響く。
太田佑の頭上に空間固定された『塗り壁』は、ゴーレムの巨腕がもたらす破壊の衝撃を完全に反射し、微かなひび割れすら起こすことなく鎮座していた。
「ひぃっ! こ、怖かったぁ……! なんか、急にゴーレムさんが空中で止まってくれて……!」
佑は狐面を手で押さえ、わざとらしく尻餅をついたまま、震え上がったような高い声で叫んだ。
『止まってくれて(物理)』
『出たよ太田ニキの「なんか勝手に」シリーズwww』
『見えない壁キターーー! ルーン・ゴーレムの全力パンチすら防ぐのかよ!』
『エリートたちが魔法連発して絶望してたのに、底辺テイマーが片手間で防いでて草』
『あの狐面、完全に中層を散歩感覚で歩いてるだろ』
『質量八百キロの空間固定シールド。控えめに言ってチートです』
配信のコメント欄は、絶望の淵からの劇的な逆転劇に沸き立っていた。
だが、戦闘はまだ終わっていない。
『排除……対象ヲ、変更……排除……ッ!』
ルーン・ゴーレムは赤く光る無機質な眼球をギョロリと動かし、眼前の小賢しい獲物――佑へとターゲットを完全に変更した。
巨大な両腕が再び高く振り上げられ、表面に刻まれた古代のルーン文字が、不気味な魔力光を脈打つように放ち始める。
「あ、あわわわっ! こっち見ないでぇぇっ!」
佑は悲鳴を上げながら、尻餅をついた状態から泥臭く這いずるようにして逃げ出した。
巨大な石柱の陰へと向かって、無様に逃げ惑うフリをする。
「おい、バカ! そっちは行き止まりだぞ! 逃げ場がない!」
「早くこっちへ来い! ゴーレムの突進を食らったら、今度こそ挽肉になるぞ!」
エリート探索者のリーダーが血相を変えて叫ぶ。
佑が向かったのは、幅が数メートルしかない、二本の巨大な石柱に挟まれた極めて狭い空間だった。
前方に壁があり、背後からは巨体が迫る。現代の戦術セオリーからすれば、それは明らかな『死地』への逃避行動に他ならない。
「(……行き止まり? 逃げ場がない? 無知な輩どもめ。ここが俺の『本陣』だ)」
狐面の下で、佑はタヌキ親父のように酷薄な笑みを深く刻み込んでいた。
「(あの鉄屑の最大の強みは、あらゆる魔法を無効化するルーン装甲だ。エリートどもは、あの分厚い装甲をいかにして魔法の火力で撃ち抜くかしか考えていない。……だが、戦国の世において、重装甲の騎馬武者をどうやって仕留めるか知っているか?)」
佑は石柱の間に身を隠し、足元の影へと静かに意識を向けた。
「(鎧を貫く必要などない。馬の足を絡め取り、自らの重みと勢いで首の骨を折らせればいいのだ。……いざ往け、土蜘蛛。見えざる網で、この狩り場を完全に支配しろ)」
シュルルルルッ……!
佑の影から放たれた第三の手駒、『土蜘蛛(小型)』。
その極細の粘糸が、神殿の微かな光を反射しながら、二本の石柱の間に幾重にも張り巡らされていく。
ドローンのカメラにも、肉眼にもほとんど映らない、絶対的な物理的拘束罠。魔法的なオーラを一切持たないがゆえに、ゴーレムの魔力センサーにも感知されない。
『ガガォォォォォンッ!!』
佑を完全に押し潰そうと、ルーン・ゴーレムが地響きを立てて突進してきた。
数トンの質量が、凄まじいスピードで石柱の間へと殺到する。
エリート探索者たちは思わず目を覆った。
次に聞こえるのは、あの狐面の青年が岩壁ごと肉塊に変わる、おぞましい破砕音だと思ったからだ。
だが、神殿に響き渡ったのは、青年の悲鳴ではなく、硬質な岩と鋼鉄が嫌な音を立てて砕け散る絶叫だった。
『ガ……!? ギギギギギギギッ!?』
ルーン・ゴーレムの巨体が、石柱の間に突入した瞬間。
その脚部が、不自然に空中でピタリと制動させられた。
そして、前のめりに倒れ込もうとするゴーレム自身の圧倒的な『運動エネルギー』が、行き場を失い、ゴーレムの『関節』へと異常な負荷として牙を剥いたのだ。
「(……魔法耐性の装甲だろうが関係ない。動くための関節部には、必ず物理的な『隙間』が存在する)」
土蜘蛛の極細の粘糸が、ゴーレムの膝裏、肘の駆動部、そして足首に何十重にも絡みついている。
突進のエネルギーが強ければ強いほど、強靭な糸は装甲の隙間に深く食い込み、テコの原理で関節を強引に逆方向へとへし折る。
バキバキバキィィィッ!!!
『エラー……姿勢制御、不能……ッ!』
ルーン・ゴーレムの重厚な膝関節が、自らの突進の勢いと糸の拘束力によって完全に砕け散った。
両足を失った数トンの巨体が、バランスを崩して地面へと顔面から激突する。
神殿の床が大きく陥没し、水彩画の筆で叩きつけたかのように、大量の粉塵がドーム状に宙を舞った。
『ええええええええ!?』
『ゴーレムが転んだ!? いや、足がもげてるぞ!?』
『なんだこれ!? また魔法使ってないのに、勝手に自壊したんだが!!』
『スローで見ろ! 石柱の間に極細のワイヤーみたいなのが張ってある!』
『ワイヤーでAランク相当のゴーレムの突進を受け止めたのか!?』
『受け止めたんじゃない、関節に絡ませて自重で自壊するように仕向けたんだ!』
『ヤバすぎる……。魔法が効かないなら、物理で罠にハメればいいってコト!?』
『エリートの魔法より、テイマーの糸一本の方が強いとか、常識壊れるわwww』
配信のコメント欄が、理解を超える戦術の前に爆発的な勢いで流れていく。
エリートたちが必死に魔法を撃ち込んでも無傷だった怪物が、ただの『糸』によって一瞬で両足を奪われ、無様なダルマに変えられたのだ。
「あ、あわわっ! なんか、急にゴーレムさんがすっ転んじゃって……! 今のうちに逃げなきゃ!」
佑は粉塵の中から這い出るようにして姿を現し、ワタワタと両腕を振り回した。
だが、その両足は『逃げる』どころか、完全に無防備となったゴーレムの胸部――分厚い装甲が剥がれ落ち、動力源である高純度の魔石が露出している箇所へと、一直線に向かっていた。
「おい、バカ! 近づくな! まだコアは生きてるぞ!」
エリートのリーダーが制止の声を上げるが、佑の耳には入らない。
彼は怯えた演技を崩さぬまま、足元の瓦礫にわざとらしくつまずいたフリをして、大きく前のめりに倒れ込んだ。
「うわぁっ!?」
デタラメに振り回されたように見える佑の右手。
そこには、安物のポーター用解体ナイフが逆手で握られている。
映画のスローモーションのように、狐面が空を舞う。
倒れ込む勢いと、自重、そして古流剣術の完璧な体重移動が乗ったその一突きは、装甲が剥がれ落ちて剥き出しになったゴーレムの魔力回路の僅かな隙間へと、吸い込まれるようにして突き立てられた。
カキンッ。
澄んだ音が、静まり返った神殿に響く。
それは、ルーン・ゴーレムの生命線であるコアと魔力回路の接続部を、ミリ単位の狂いもなく切断した音だった。
『システム……完全、停止……』
巨大な岩の塊から、不気味な赤い魔力光がスッと消え失せる。
数トンの巨体はただの物言わぬ石のオブジェと化し、やがて光の粒子となってボロボロと崩れ落ち始めた。
「……」
「……ウソ、だろ」
エリート探索者たちは、その場にへたり込んだまま、口をパクパクと開閉させていた。
彼らが総力を挙げて絶望し、死を覚悟した中層の門番。
それを、一人の底辺テイマーが、魔法を一切使わず、ただの糸とナイフ一本で、わずか数十秒の間に『解体』してしまったのだ。
「あ、あいたた……。派手に転んじゃった……。でも、なんとか倒せたみたいです……」
佑はナイフを隠すようにして立ち上がり、狐面についた埃をパンパンと払った。
そして、光の粒子の中からゴトリと転がり落ちた、赤黒く輝く巨大な『中級上位の魔石』を、ちゃっかりとリュックの中に放り込む。
「(……素晴らしい。ルーン・ゴーレムの魔石は極めて質が良い。これならば、手駒たちもさらに強力な陣を敷けるようになるだろう)」
佑は内心でほくそ笑みながら、ドローンに向かってペコペコと頭を下げた。
『転んだ拍子に急所を正確にぶち抜く男www』
『もうその演技誰も信じてねえから!www』
『あんなペティナイフでゴーレムのコア破壊するとか、暗殺術の極致だろ』
『エリートさんたち、完全に魂抜けちゃってるじゃん……』
『そりゃそうだろ。自分たちの魔法信仰を、底辺職に物理でへし折られたんだから』
『太田ニキ、マジで何者なんだよ……。戦の神か何かか?』
同接数はついに十五万人を突破。
日本の配信サイトのサーバーが悲鳴を上げるほどの熱狂が、一つの画面に集中していた。
「あ、あの……皆さん、大丈夫ですか? お怪我はないですか?」
佑は気弱な声で、座り込んでいるエリートパーティに声をかけた。
彼らはビクッと肩を震わせ、まるで得体の知れない怪物を見るような目で、狐面の青年を見上げた。
「お、お前……一体、どうやって……。いや、あの見えない壁と、糸は……魔法じゃないのか……?」
「ぼ、僕、ただのテイマーですから……。魔法なんて使えません。あの、蜘蛛がちょっと、糸を張ってくれただけで……運が良かったです」
佑がオドオドと答えると、エリートたちは絶望的な顔を見合わせた。
彼らが人生を懸けて磨き上げてきた魔法の技術とプライドが、底辺職のテイマーの『ただの蜘蛛の糸』と『運』に劣ると言われたも同然だったからだ。
彼らのエリートとしての自尊心は、ルーン・ゴーレムの装甲と共に完全に粉砕されていた。
「(……さて。魔法信仰の愚者たちよ、己の無知を知るがいい。圧倒的な火力で押し切るだけが戦ではないということをな)」
佑は心の中で冷たく吐き捨て、彼らに背を向けた。
再び、ダンジョンのさらに奥へと歩き出す。
姉の呪いを解くための特級魔石。それを手に入れるためには、まだまだ深淵へと潜らなければならない。
「お姉ちゃんの薬代、もっと稼がなきゃ……。皆さん、もう少しだけ奥に行ってみますね」
ドローンに向かって健気に手を振る佑。
だが、その狐面の下の双眸は、さらに深く、暗く、第六階層の最奥から漂ってくる『異常な瘴気』を正確に捉えていた。
「(……この重苦しい感覚。浅層にイレギュラーで現れた『黒死の騎士』の残滓と、全く同じ匂いがする。……中層のヌシか、それとも深層から漏れ出た本物か)」
佑の足元の影で、管狐、塗り壁、そして土蜘蛛の三匹の妖怪が、主の静かなる闘気に呼応するように、妖しく霊力を脈打たせていた。
エリートたちの心をへし折り、圧倒的な戦術で中層を蹂躙する戦国の亡霊。
その歩みは、いよいよ中層の最奥に潜む、真の闇へと迫ろうとしていた。




