第16話 中層への挑戦。西洋魔法の通じない装甲獣と、愚かなる魔法信仰
大宮ダンジョン第五階層。紫色の魔力光を放つ巨大なアメジストが群生し、至る所から地下水が流れ落ちる美しくも冷酷な水脈エリア。
その浅瀬に立ち、太田佑は狐面を手で押さえながら、大仰に悲鳴を上げて後退っていた。
彼の眼前には、水流の刃と紫色の雷撃を纏った五体の『サハギン・エリート』が、今まさに必殺の魔法を放とうと陣形を組んでいる。
「あ、あわわわっ! 魔法だ! 雷の魔法が飛んでくるぅぅっ!」
佑の悲鳴が地下空間に響き渡る。
ドローンのカメラは、紫色の電光がバチバチと弾ける絶望的な光景を、世界中の視聴者へと配信していた。
水場での雷属性魔法。それは、回避不能の全体攻撃に等しい。エリート探索者ですら、この状況に陥れば転移結晶で逃げ出すしかない必死の盤面だ。
『終わった! 水の中で雷撃はヤバい!』
『太田ニキ、早く水から上がれ!!』
『ダメだ、囲まれてる! 間に合わない!』
だが。狐面の下の佑の双眸は、雷光に照らされながらも、氷のように冷たく澄み切っていた。
水攻めや泥濘の陣を熟知した戦国武将の魂は、この『水場』という地形の恐ろしさを、誰よりも深く理解している。
「(……魔法に頼り切った獣は、己の足元すら見えていない。水は雷を伝導するが、それは『自分自身』にも等しく牙を剥くということだ)」
サハギン・エリートたちが、両手に収束させた雷撃を放とうと踏み込んだ、その瞬間。
水面下で静かに待機していた第三の手駒、『土蜘蛛(小型)』の極細の粘糸が、彼らの足首を強烈な力で反対方向へと引いた。
『ギョェッ!?』
滑りやすい水底で、突如として足場を奪われたサハギンたち。
彼らは魔法を放つ直前の、最も魔力が不安定な状態で無様に体勢を崩し、前のめりに冷たい水の中へと転倒した。
そして、手の中で暴発寸前だった雷撃魔法が、そのまま彼ら自身が浸かっている水脈へと直接叩き込まれたのだ。
バチバチバチバチィィィッ!!!
閃光が弾け、アメジストの洞窟が真昼のように白く染まった。
水彩画に強烈な紫の絵の具をぶちまけたような、美しくも無慈悲な放電現象。
「ひぃっ!? まぶしっ!」
佑は、水底から突き出した絶縁性の高い岩盤の上――あらかじめ計算して陣取っていた安全地帯の上で、わざとらしく目を覆ってしゃがみ込んだ。
数秒後、光が収まった水面には、自らの魔法で黒焦げになり、完全に感電して白目を剥いて浮かび上がった五体のサハギンたちの姿があった。
『……は?』
『えっ、自爆した……?』
『雷撃放つ瞬間に滑って転んで、水に魔法撃ち込んじゃったのか!?』
『いや違う! スローで見ろ! 転ぶ瞬間、足元になんか光る糸みたいなのが巻き付いてたぞ!』
『また太田ニキの罠かよ!! 水中に見えない糸張って、自爆するように仕向けたのか!?』
『雷魔法を使う敵を、水場ごと利用してハメ殺すとか……悪魔の所業すぎるwww』
『相手の最強魔法を、相手自身に向けさせるとか、完全に戦術の次元が違う』
コメント欄が、ドン引きとカタルシスが入り交じった狂乱の渦に包まれる。
魔法という圧倒的な火力を持たない底辺職が、敵の力と地形を利用して一瞬で盤面をひっくり返す。
これこそが、太田佑の『ハメ殺し』の真骨頂であった。
「あ、あれ……? みんな、勝手に痺れて浮いちゃった……」
佑は狐面を傾けながら、感電して微かに痙攣しているサハギンたちの元へ、チャプチャプと浅瀬を歩いて近づく。
そして、呼吸をするように極めて自然な動作で、彼らの首筋の柔らかいエラの部分へ、逆手に持った解体用ナイフをプスリ、プスリと突き立てていった。
血すらほとんど流れない、精密なトドメの作業。
光の粒子となって消えていくサハギンたちが残した、高品質な中級魔石。それを影から現れた管狐と土蜘蛛が、嬉しそうに喰らっていく。
「(……ふむ。土蜘蛛の水中での隠密性も申し分ない。これならば、この第五階層の水脈エリアも、俺の庭も同然だな)」
佑は満足げに頷き、ドローンに向かって「運が良かったです……!」と愛想笑いを振りまきながら、さらにダンジョンの奥へと歩みを進めた。
*
アメジストの水脈を抜け、第六階層へと至ると、ダンジョンの風景は一変した。
水気は消え失せ、代わりに古代の遺跡を思わせる、巨大な石柱と分厚い岩壁で構成された荘厳な空間が広がっていた。
ドズゥゥゥン……ッ!
バチィィッ!!
突如、迷宮の奥から、腹の底を揺らすような重低音と、派手な魔法の爆発音が響いてきた。
「ひっ!? な、なんか奥で戦ってる音がします……!」
佑は身を縮めながら、巨大な石柱の陰へとコソコソと隠れた。
ドローンが静かに高度を上げ、広大な神殿跡のようなエリアで繰り広げられている激戦を映し出す。
そこにいたのは、豪華なミスリル装備に身を包んだ、六人編成のエリートパーティだった。
彼らの胸元には、Aランクに片足を突っ込んでいる一流の証である、金色のギルドバッジが輝いている。
だが、その一流の探索者たちが、今まさに絶望の淵に立たされていた。
『ガガガ……目標、排除……』
彼らが相対しているのは、体長五メートルを超える巨大な岩の塊――中層の門番とも呼ばれる凶悪なゴーレム型モンスター、『ルーン・ゴーレム』だった。
その全身は鋼鉄よりも硬い岩盤で覆われ、表面には魔力を弾く古代のルーン文字がびっしりと刻まれている。
「クソッ! 魔法が全く通じねえぞ!」
「前衛、押し返せ! なんとしても足を止めろ!」
前衛の重戦士が大盾を構えてゴーレムの突進を受け止めるが、圧倒的な質量差の前に、紙屑のように吹き飛ばされる。
後衛の魔術師たちが、必死に最高火力の魔法の詠唱を完了させた。
「食らえ化け物! 『エクスプロージョン・フレア』ッ!!」
轟音と共に、巨大な火球がルーン・ゴーレムの巨体に直撃した。
紅蓮の炎が渦を巻き、周囲の石柱をドロドロに溶かすほどの超高熱が空間を包み込む。
エリートたちから「やったか!?」という声が上がる。
だが、炎の煙が晴れた後。
そこには、表面がわずかに黒焦げになっただけで、ミリ単位のダメージすら受けていないルーン・ゴーレムが、無傷で立っていた。
『ウソだろ……あのルーン装甲、Aランクの火炎魔法まで完全に相殺しやがる……!』
『物理も魔法も通じないじゃん! あんなのどうやって倒すんだよ!』
『あれが中層の洗礼か……。トッププロでもあんなに苦戦するのかよ』
配信のコメント欄にも、エリートたちの絶望が伝染し、重苦しい空気が漂う。
強固な装甲と、魔法を無効化する絶対防壁。
現代の探索者たちが最も苦手とする「純粋な暴力の塊」に対し、彼らはただ魔力を消費し、ジリ貧の死を待つしかなかった。
「……」
石柱の陰からその光景を見下ろしていた佑は、狐面の下で、ひどく冷ややかな、そして呆れたようなため息を吐いた。
「(……愚かな。装甲の最も分厚い部分に向かって、大仰な魔法をぶつけるだけ。あれでは、城の最も堅牢な城門に、正面から石を投げているのと同じだ)」
戦国武将としての太田資正の目は、ルーン・ゴーレムの『真の弱点』をとうの昔に見抜いていた。
どんなに堅牢な鎧であろうと、動くためには必ず『関節の隙間』が存在する。
魔法耐性が高いのであれば、魔法を使わずにその隙間に物理的なクサビを打ち込めばいい。それだけの単純な理屈だ。
「(力押ししか能のない現代の兵どもめ。魔法というおもちゃを与えられたことで、戦の基本たる『観察』を忘れてしまっている)」
佑は、ルーン・ゴーレムの胸の奥で赤く脈打っている、極めて純度の高い魔石を見つめた。
「(……あの装甲獣の魔石は、我が兵の良き糧になりそうだ。それに、姉ちゃんを救うための中層攻略。ここらで一つ、派手に『挨拶』を済ませておくのも悪くない)」
ドスゥゥゥンッ!
ルーン・ゴーレムの巨大な拳が振り下ろされ、ついにエリートパーティの防衛線が完全に崩壊した。
重戦士は血を吐いて倒れ、魔術師たちは魔力切れで腰を抜かしている。
赤い眼光を光らせたゴーレムが、無慈悲なトドメを刺そうと、その巨大な腕を振り上げた。
「もうダメだ……!」
「誰か、助けてくれ……っ!」
エリート探索者たちが絶望の涙を流し、死を覚悟して目を閉じた、その時。
「あ、あわわっ! あ、危ないですよぉぉっ!」
間の抜けた、ひどく場違いな悲鳴と共に。
のっぺりとした狐面を被った、薄汚れたポーター姿の青年が、石柱の陰から転びそうになりながら飛び出してきた。
そして、絶望するエリートたちと、振り下ろされるルーン・ゴーレムの巨腕の間へと、スライディングするように滑り込んだのだ。
「な、なんだお前は!?」
「逃げろ! 死ぬぞ!!」
エリートたちが叫ぶ。
配信のコメント欄も、『太田ニキ!? 何やってんだ!』とパニックに陥る。
いくらこれまでのトラップが凄まじかったとはいえ、あんな規格外の質量の暴力を前に、正面から飛び出すなど自殺行為に他ならない。
だが、狐面の下の佑の瞳は、これまでにないほど冷酷な『妖将』の光を放っていた。
「(――いざ受け止めろ、塗り壁。城門の堅牢さというものを、あの鉄屑に教えてやれ)」
ズガンッ!!!!!
爆発的な轟音。
ルーン・ゴーレムの数トンにも及ぶ必殺の拳が、佑の頭上の空間で、完全にピタリと停止した。
まるで、見えない鋼鉄の天井に叩きつけられたかのように。
「……え?」
「な、なにが起きた……?」
腰を抜かしたエリートたちが、信じられないものを見るように目を丸くする。
佑の頭上には、いつの間にか『塗り壁』が空間固定され、ゴーレムの圧倒的な運動エネルギーをミリ単位のブレもなく完全に反射し切っていたのだ。
『ガガッ……!?』
自身の全力が突然の『絶対停止』を食らったことで、ルーン・ゴーレムの関節から、ギリギリと嫌なきしみ音が鳴り響く。
「ひぃっ、こ、怖かったぁ……!」
佑は狐面を手で押さえながら、わざとらしく尻餅をついたまま、震える手で腰の安物の解体ナイフを抜いた。
「(……さて、魔法信仰の愚者たちよ。見せてやろう)」
佑は立ち上がり、巨大なゴーレムを見上げる。
その背中は、もはや気弱な青年などではなく、戦場を支配する覇王のそれであった。
「(底辺のテイマーが、いかにして難攻不落の城を落とすかをな)」
圧倒的な質量と魔法耐性を誇る装甲獣を前に、物理トラップと一本のナイフだけで挑む太田佑。
中層の常識を根底から覆す、戦国の亡霊による真のハメ殺しが、今、幕を開けようとしていた。




