第15話 ギルドの暗躍。専属契約の成立と、次なる標的・大宮中層へ
関東探索者ギルド本部の最上階。
重厚なマホガニーの扉の奥にある特別会議室は、大宮ダンジョンを管理するギルドの最高幹部たちが集う場所である。
だが現在、その豪奢な部屋の空気は、水彩画の黒い絵の具をぶちまけたような、重苦しい焦燥と混乱に包まれていた。
「……どういうことだ、これは! 我がギルドの探索者が、ダンジョン内で違法アイテムを使用し、あまつさえ他者へのPKを企てただと!?」
「しかもその一部始終が、同接十万人を超える生配信で全世界に垂れ流されていた! スポンサー企業からの問い合わせが鳴り止まないぞ!」
巨大なモニターに映し出されているのは、先ほどまで行われていた太田佑の配信のアーカイブ映像だった。
シルバーウィングの面々が『魔力封じの結界』と『魔獣寄せの香石』を用いて佑を嵌めようとし、逆に自らが装甲獣の群れに蹂躙されていく凄惨な光景。
幹部たちは脂汗を流し、血相を変えて怒鳴り合っている。
「シルバーウィングはすでにライセンスを剥奪したはずだ! なぜ彼らが中層エリアに侵入できた!」
「警備網のザルさが露呈したな。……問題は、この『太田佑』というテイマーだ。世間は彼を悲劇のヒーロー、あるいはダークヒーローとして熱狂的に支持している」
白髪のギルドマスターが、深くため息をつきながらこめかみを揉んだ。
もしこのまま世間の怒りがギルドの管理体制に向かえば、組織の存続に関わる致命的なスキャンダルとなる。
その時。
カツン、カツンと、ヒールを鳴らす音が会議室に響いた。
「――お困りのようですね、幹部の皆様方」
声の主は、白衣を乱雑に羽織った特別研究室の主任、雨宮結衣だった。
目の下に深いクマを作り、血走った瞳を妖しく細めた彼女は、分厚いファイルの束を会議机の中央へと投げ出した。
「雨宮くん。君は特別研究室の人間だろう。口出しは無用だ」
「あら、そうも言ってられないはずですよ? 太田佑くんは現在、私の研究室の『特別保護対象』ですから」
雨宮はふふっと妖艶に笑い、ファイルを開いた。
そこには、太田佑の戦闘データと、彼がもたらした未知の魔力波長の記録がぎっしりと詰め込まれている。
「結論から言いましょう。今回の件、ギルドのダメージを最小限に抑え、かつ最大の利益を生み出す方法が一つだけあります。……太田佑と、ギルドとの間に『完全専属契約』を結ぶことです」
幹部たちがざわめく中、雨宮は言葉を続ける。
「世間にはこう発表するのです。『シルバーウィングの暴走は遺憾だが、ギルドは事前に事態を察知し、極秘裏に太田佑へ防衛用アーティファクトを貸与していた。彼は見事に自己防衛を果たした』と。そして彼を、ギルドが総力を挙げてバックアップする期待のルーキーとして大々的に売り出す」
「馬鹿な! あんな底辺職の若者を、ギルドの顔にするというのか!」
「ええ。今の彼は、Sランク探索者すら凌ぐ『数字』を持っています。他国のギルドや闇組織に彼を引き抜かれれば、それこそ我々の面目は丸潰れですよ?」
雨宮の言葉は、冷徹な事実として幹部たちの胸に突き刺さった。
彼女は狂気的な光を瞳に宿し、さらに一歩踏み込む。
「太田佑の管理と保護は、すべて私の特別研究室が引き受けます。彼にはダンジョン全階層へのフリーパスと、最優先のアイテム鑑定権、そして……特級の身の安全を保証する『ブラックカード』を発行してください」
それは、実質的に太田佑をギルドの法から切り離し、雨宮の完全な私物――共犯者にするという宣言だった。
だが、保身に走る幹部たちに、その要求を跳ね除ける選択肢は残されていなかった。
*
数時間後。
ギルド本部の地下深く、外部の音を一切遮断した特別研究室のVIPルーム。
ふかふかの革張りソファに深く腰を沈めた佑は、目の前に差し出された漆黒のカードを、細めた目で見つめていた。
「……ふむ。これが、ギルドの『ブラックカード』というやつか」
「ええ、そうよ。大宮ダンジョンの深層エリアへの立ち入り許可はもちろん、ギルドが持つあらゆる機密情報へのアクセス権が付与されているわ。……これであなたは、名実ともにギルドのトップVIPってわけ」
向かいのソファに座る雨宮は、シャンパングラスを傾けながら恍惚とした笑みを浮かべている。
彼女の視線の先には、佑が持ち帰った第四階層の大量の中級魔石が、山のように積まれていた。
「見事な交渉術だったようだな、牝狐」
佑は狐面を外し、冷徹な戦国武将の顔に戻ってカードを懐にしまった。
「これで、入り口で煩わしい手続きをする必要も、有象無象の探索者に絡まれることもなくなる。……お前という盾は、存分に機能してくれているようだな」
「フフッ、お褒めに預かり光栄ね。でも、一番の功労者はあの愚かなシルバーウィングの連中よ。彼らが絶好のタイミングで自滅してくれたおかげで、幹部たちを完全に黙らせることができたんだから」
雨宮は立ち上がり、佑の隣に腰を下ろした。
微かに香る消毒液と甘い香水の匂い。彼女は熱を帯びた瞳で、佑の横顔を見つめる。
「ねえ、佑くん。あなたの『土蜘蛛』のデータ、解析させてもらったわ。……あれは魔法陣の構築を一切経由せず、純粋な物理的粘糸として空間に出現している。あんなもの、今の魔法学の常識じゃ絶対に説明がつかないわ」
「戦の道具に理屈など不要だ。……要は、敵の足を止め、首を獲れるかどうか。それだけのこと」
佑は短く切り捨てると、自身の視界の端に浮かぶシステムウィンドウへと意識を向けた。
【対象妖怪:土蜘蛛(小型)】
【レベルアップを確認。粘糸の生成速度および硬度が15%上昇。】
【対象妖怪:管狐】
【霊格の成長を確認。分体(幻影)の同時操作数が『三』へと増加。】
手駒たちは、中層の高品質な魔石を喰らい、着実にその牙を研ぎ澄ませている。
だが、大宮ダンジョンの深層に潜む『黒死の騎士』を屠るには、まだ圧倒的に力が足りない。
「(……姉ちゃんの呪いの進行は早い。時間をかけている暇はないな。一気に中層を駆け抜け、深層の入り口をこじ開ける)」
佑が静かに決意を固めていると、雨宮がタブレットを取り出し、一枚のホログラムマップを空中に投影した。
「佑くん。明日から本格的に第四階層以降の『中層』を攻略するなら、気をつけて。ここからは、これまでのような迷路区画とは訳が違うわ」
空中に浮かび上がったのは、巨大な地下空間の立体図だった。
水路が複雑に入り組み、切り立った崖や、開けた広間が点在している。
「第五階層からは、地形そのものが凶悪な牙を剥くわ。そして現れるモンスターは、装甲獣よりもさらに厄介な『魔法耐性持ちの群体』や『遠距離狙撃型』の魔法獣よ。……いくらあなたの見えない壁でも、全方位からの魔法攻撃を受けきれるわけじゃない」
「……全方位からの魔法、か」
佑はタヌキ親父の如き笑みを深め、ホログラムマップの水路部分を指先でなぞった。
「牝狐よ。戦において、最も恐ろしいのは敵の武器ではない。『地の利』を支配された空間そのものだ」
佑の脳裏には、かつて関東の地で荒れ狂う河川を利用し、水攻めや泥濘の陣で敵の大軍を飲み込んだ戦国の記憶が鮮明に蘇っていた。
現代の魔法など、自然の地形がもたらす圧倒的な物理的暴力に比べれば、小雨のようなものだ。
「……面白い。魔法で武装した獣どもが、どれほど驕っているか見せてやろう。俺の『兵法』が、地形という盤面でどう機能するかをな」
佑から放たれる、底知れぬ自信と殺気。
その圧倒的な覇気に触れ、雨宮はゾクゾクと背筋を震わせ、自らの身体を抱きしめた。
「ああ……最高よ、佑くん。あなたのその狂気、私が一番特等席で記録してあげる。……さあ、世界をもう一度、あなたの残酷なショーで染め上げましょう!」
二人の間に、血と狂気で結ばれたズブズブの共犯関係が、さらに深く、暗く根を張っていく。
*
翌日。
大宮ダンジョン、第五階層。
第四階層のアンバーの光から一転し、そこは巨大なアメジストの結晶が群生する、幻想的で美しい紫色の空間だった。
だが、その美しさとは裏腹に、空間を満たす瘴気は濃密で、肺を刺すような冷たさを帯びている。
天井からは無数の滝が流れ落ち、複雑な水路を形成しながら地下湖へと注ぎ込んでいた。
「ひ、ひぃっ……! な、なんか、すごく水浸しで……足場が悪いよぉ……!」
太田佑は狐面を被り、足元の水たまりに怯えるような大袈裟なステップを踏みながら、ドローンのカメラに向かって震えてみせた。
『太田ニキ、ついに第五階層キター!』
『相変わらずのビビり芸www』
『でもここ、マジでヤバいエリアだぞ。水場が多いから、雷属性とか氷属性の魔法獣が出たら一発で詰む』
『地形自体が完全にデバフじゃねえか』
『流石のサイコパス工場長も、ここでは苦戦するんじゃね?』
配信開始直後から、同接数はあっという間に五万人を超え、凄まじい勢いで伸び続けている。
昨日、シルバーウィングを無慈悲にハメ殺した映像は、すでに各種SNSでミーム化するほどの社会現象となっていた。
「(……外野の言う通り、ここは魔法が飛び交えば水伝いに感電、あるいは凍結する死地。エリートどもはさぞかし苦労するだろうな)」
佑は狐面の下で、冷徹な視線を周囲に走らせた。
だが、水攻めの陣を得意とした太田資正の魂からすれば、これほど『利用価値の高い地形』はない。
「(水は命を奪う刃にもなれば、敵の機動力を奪う泥濘にもなる。……さあ、見せてもらおうか。この階層の主役たちを)」
バシャッ……!
遠くの水面が大きく波打ち、アメジストの光に反射して、複数の巨大なシルエットが姿を現した。
体長二メートルを超える、二足歩行の魚人のような姿。手には水流を圧縮した鋭い水刃を纏わせ、その背ビレからはバチバチと紫色の放電現象が起きている。
第五階層の厄介な群生モンスター、『サハギン・エリート』の部隊だった。
彼らは佑の姿を捉えるや否や、高い知能を示すように陣形を組み、遠距離からの魔法攻撃の構えを取る。
『うわあああ! サハギン・エリートだ!』
『しかも五体!? あいつら、遠距離から水と雷のコンボ撃ってくるから、近づく前に丸焦げにされるぞ!』
『太田ニキの妖怪、物理トラップメインだろ!? 遠距離魔法は防げないんじゃ……!』
視聴者たちが絶望的な予測を立てる中。
「あ、あわわわっ! 魔法だ! 魔法が飛んでくるぅぅっ!」
佑は悲鳴を上げながら、水飛沫を上げて慌てふためくように後退した。
だが、その両足は、水路の中の『特定の水深のポイント』へと、ミリ単位の狂いもなく的確に移動していた。
「(……愚か者どもめ。魔法に頼り切った獣は、足元の変化に鈍感だ)」
サハギン・エリートたちが一斉に雷撃魔法を放とうとした、その瞬間。
佑は狐面の下で、酷薄な笑みを深く刻み込んだ。
「(――いざ水底より絡み取れ、土蜘蛛。泥濘の宴の始まりだ)」
第五階層の冷たい水面下で、無数の見えざる粘糸が、音もなく獲物たちの足首へと忍び寄っていた。




