第13話 遭遇、因縁のパーティ『シルバーウィング』。彼らの浅ましい策謀
大宮ダンジョン、第四階層。
通称『中層』と呼ばれるこのエリアに足を踏み入れた瞬間、肌にまとわりつく空気の質が劇的に変化した。
これまで浅層を照らしていた水彩画のような淡い青色の発光苔は姿を消し、代わりに岩肌から突き出した琥珀色の魔力結晶が、薄暗い通路を不気味なオレンジ色に染め上げている。
肺に吸い込む空気は鉛のように重く、濃密な瘴気が微かな耳鳴りを引き起こす。
ここから先は、生半可な魔法や装備が一切通用しない、本物の『死線』だ。
「ひ、ひぃぃっ……! なんか、急に空気が重くなりました……。お姉ちゃんのためとはいえ、やっぱり中層は僕には早かったかも……」
太田佑は、ギルドから支給された『認識阻害の狐面』を被ったまま、両腕を抱えてガタガタと震えてみせた。
彼の周囲を、ステルスドローンが静かに旋回しながら、その怯える姿を高画質で世界中へと配信している。
『太田ニキ、ついに中層入りキターーー!』
『相変わらずのガクブル演技www もう誰も騙されないぞ!』
『でも実際、第四階層からは『装甲獣』が出るからな。物理も魔法も半減されるヤバいエリアだぞ』
『サイコパス工場長の新しい狩り場がここか』
『今日はどんなエグいトラップ見せてくれるんだ? ワクワクが止まんねえぜ!』
同時接続数は、配信開始からわずか十分で十万人を突破していた。
エリート探索者たちが何人も連携してようやく突破する中層エリアに、底辺職であるテイマーが単独で挑む。
その事実だけで、視聴者たちの熱狂は天井知らずに跳ね上がっていた。
「(……ふむ。外野は相変わらず騒々しいな。だが、この重苦しい瘴気……戦場の泥濘を思い出して、血が滾るというものだ)」
狐面の下で、佑の双眸は猛禽のように鋭く周囲の地形を舐め回していた。
怯えたようにフラフラと歩きながら、彼は自身の『影』から、静かに、そして誰にも気づかれないように『新しい手駒』を解き放っていた。
「(往け、『土蜘蛛(小型)』。この通路一帯を、我が陣地へと作り変えろ)」
シュルルッ……。
ドローンのカメラにも、そして肉眼にもほとんど映らない極細の粘糸が、琥珀色の結晶の光を乱反射させながら、通路の壁から壁へと幾重にも張り巡らされていく。
第三の妖怪、『土蜘蛛』。
昨晩の乱獲で得た大量の魔石を注ぎ込み、影の奥底で孵化させた新たな手駒だ。
魔法的なオーラを一切持たない純粋な物理的粘糸は、魔力探知には引っかからず、獲物が気づいた時にはすでに関節を完全にロックされているという、極めて陰湿で強力なトラップ兵器であった。
「(魔法耐性を持つ装甲獣が出ようが関係ない。関節の駆動部に物理的な糸を絡ませれば、いかなる巨体も自重で崩れ落ちる。……戦の基本は、相手の土俵に立たないことだ)」
佑が土蜘蛛の糸を巧みに操り、通路一帯を完全に支配下へ置いた、その時だった。
バチィィッ!!
突如、佑の足元の岩盤が赤黒く発光し、強力な魔力波が通路を駆け抜けた。
見えない壁に阻まれたように、空気の密度がさらに数倍にも跳ね上がり、佑を閉じ込めるような巨大な『結界』が展開される。
「あ、あれ……!? な、なんですかこれ!? 閉じ込められちゃった……!?」
佑がわざとらしく狐面を押さえて周囲を見回した直後。
通路の奥の暗がりから、下品な嘲笑と共に数人の足音が近づいてきた。
「ギャハハハハ! かかったな、このクソ底辺ポーターが!!」
現れたのは、燃えるような赤い鎧を着込んだ剣士の男と、ローブを着た魔術師たち。
かつて大宮ダンジョンの第三階層で、佑を囮として見捨てて逃亡した因縁のパーティ、『シルバーウィング』の面々だった。
だが、その姿は以前のエリート然としたものとは程遠かった。
鎧は薄汚れ、目の下には濃いクマができ、頬はゲッソリとこけている。
何より、その瞳には、嫉妬と逆恨みによって完全に歪んだ、醜悪な狂気が宿っていた。
『は!? シルバーウィングじゃん!!』
『おま、こいつら数日前の配信で、香炉使って自爆した連中だろ!?』
『ギルドからライセンス剥奪されたってニュースで見たぞ! なんでダンジョンにいるんだよ!』
『違法侵入じゃねえか!!』
『うわぁ……見るからにヤバいクスリやってそうな顔してる……』
配信のコメント欄が、怒りと驚きで一気に沸騰する。
「ひっ!? リ、リーダーさん……!? どうしてここに……っ!」
佑は悲鳴を上げ、後ずさりして結界の壁に背中を押し当てた。
そのひどく怯えた様子を見て、赤い鎧のリーダーは、自身の惨めな境遇も忘れたかのように、腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。
「どうしてここにだと? てめぇが俺たちの人生をぶち壊したからに決まってんだろうが!!」
男は血走った目で佑を睨みつけ、大剣の切っ先を突きつけた。
「てめぇのあのふざけた配信のせいで、俺たちはギルドを追放され、世間からはゴミ扱いだ! だがな、俺は気づいたんだよ。てめぇみたいな無能なテイマーが、あんなバケモノみたいに強いわけがねえ。……てめぇ、その狐面の下に、国宝級の違法アーティファクトでも隠し持ってんだろ!?」
「そ、そんなもの……持ってないですよぉっ!」
「嘘をつけ!!」
男の怒声が、アンバーの光に照らされた通路に反響する。
彼らは、自分たちが佑を見捨てたことなど棚に上げ、すべての不幸を佑の『不正な力』のせいにすることで、辛うじて自我を保っていたのだ。
「前回は小賢しい罠で俺たちをハメやがったが、今回はそうはいかねえぞ。……見ろ、この結界を!」
男は誇らしげに、周囲を囲む赤黒い光の壁を指差した。
「全財産を叩いて闇ギルドから買った、『絶対魔力封じの結界』だ! この中じゃ、いかなる魔法スキルもアイテムも発動できねえ! つまり、てめぇのあの見えない壁も、光る狐も、もう二度と出せねえってことだ!!」
「あ、あわわわっ……! そ、そんな……! じゃあ僕、どうやって戦えば……!」
佑は両膝をガクガクと震わせ、その場にへたり込んでみせた。
絶望に染まったようなその声に、リーダーの男と仲間たちは、勝利を確信したように卑劣な笑みを浮かべる。
「ギャハハハ! 最高だぜ! その無様な姿を、配信で世界中に晒してやるよ! ……おい、お前ら。準備はいいな?」
「へへっ、もちろんですぜリーダー」
仲間の魔術師が、懐から不気味な黒い水晶玉を取り出した。
「それは『魔獣寄せの香石』だ。この結界は、中からの魔法は封じるが、外のモンスターは素通りさせる仕様になっててな。……今、この中層をうろついてる強力な『装甲獣』どもが、この匂いに釣られて全速力でこっちに向かってきてるはずだ」
男は残酷な宣告を、楽しげに歌うように告げた。
「俺たちは、結界の解除キーを持ったまま、安全な高台から見物させてもらう。……てめぇはここで、自慢のアーティファクトも使えねえまま、装甲獣の群れに生きたまま食い殺されろ。残ったアイテムは、俺たちが有難く回収してやるからよぉ!!」
己の手を汚さず、モンスターに佑を殺させ、アイテムだけを奪う。
あまりにも浅ましく、そして前回と全く同じ轍を踏む、愚かな策謀。
『クズすぎる……! マジで吐き気がする!』
『てか、魔力封じの結界ってヤバくね!? 太田ニキの妖怪、本当に使えなくなってるんじゃないか!?』
『装甲獣の大群が来たら、ナイフ一本じゃ絶対に無理だぞ!』
『誰か! 早くギルドに通報して助けを呼んでくれ!』
視聴者たちがパニックに陥り、配信画面には悲鳴のようなコメントが殺到する。
ズシンッ……ズシンッ……!
男の言葉を証明するかのように、通路の奥から、中層特有の強力なモンスター『アイアン・ボア』や『ロック・リザード』といった装甲獣たちの重い足音が響き始めた。
魔法すら弾き返す強固な外殻を持った怪物たちが、魔獣寄せの匂いに狂い、結界の中へと雪崩れ込んでこようとしている。
「あ、あああ……! こ、こないで……! 助けて、リーダーさん……!」
佑は涙声で懇願しながら、地面を這うようにして後ずさった。
その悲惨な姿を見て、シルバーウィングの面々は「ざまぁみろ!」と腹を抱えて嘲笑し、結界の外の安全な高台へと移動しようと背を向ける。
――だが。
「(……ククッ。魔力封じの結界、だと?)」
狐面の下。
地面を這い蹲っていた佑の口角が、耳まで裂けんばかりの、凶悪な三日月型に吊り上がった。
「(俺の妖怪は、システムに依存した魔法ではない。魔石のエネルギーで顕現し、純粋な『物理法則』としてそこに存在するバグだ。……そんな安物の結界で、俺の兵法が封じられるとでも思ったか、知恵遅れの猿どもめ)」
佑は俯いたまま、音もなく立ち上がった。
その姿勢には、先ほどまでの怯えなど微塵もない。
あるのはただ、眼前の愚者たちをいかにして最も残酷にすり潰すかという、戦国の将の冷徹な演算だけ。
「(……さて、土蜘蛛よ。すでに張り巡らせた見えざる網で、あのネズミどもを捕らえよ)」
佑が極小の声で命じた、次の瞬間。
「よーし、俺たちはあそこの岩の上に登って……って、あ?」
高台へと向かおうとした赤い鎧のリーダーが、突如として足を止めた。
いや、止まったのではない。
彼がどれだけ力を込めても、右足が地面から一ミリも動かなくなっていたのだ。
「な、なんだこれ!? 足が……何かに引っかかって……見えない糸か!?」
「リ、リーダー! 俺もです! 腕が……岩壁に張り付いて、動かねえ!」
仲間の魔術師たちも、パニックに陥って声を上げた。
琥珀色の光に照らされた空間。彼らの手足は、いつの間にか通路中に張り巡らされていた土蜘蛛の『極細の粘糸』に完全に絡め取られていたのである。
強靭なワイヤーよりも硬く、スライムの粘液よりも剥がれない、絶対的な拘束。
もがけばもがくほど糸は食い込み、彼らは結界の外の安全地帯へ逃げるどころか、結界のギリギリ内側で、完全に身動きが取れなくなってしまった。
「な、なんだこの糸は!? クソッ、魔法も使えねえ結界の中で、なんでこんなトラップが作動してんだよ!!」
男が血走った目で喚き散らしたその時。
「――おやおや。せっかく安全圏から見物しようとしていたのに、奇遇ですねぇ」
氷のように冷たく、そして嘲るような声が、男の背後から響いた。
男が恐る恐る振り返ると、そこには、先ほどまで涙を流して這いつくばっていたはずの底辺テイマーが、狐面の下から底知れぬ圧を放ちながら、悠然と見下ろしていた。
「ひっ……! お、お前……! なんで普通に動けて……!」
「戦場において、己が用意した結界の中で身動きが取れなくなる。……これほど滑稽な死に様は、戦国の世でもそうそうお目にかかれませんよ」
佑は腰の解体ナイフをゆっくりと抜き放ち、その刃先で、男の喉元をツンと小突いた。
ズシンッ、ズシンッ、ズシンッ!!
背後からは、結界を素通りしてなだれ込んでくる装甲獣たちの、地鳴りのような足音が迫っている。
魔獣寄せの香石の匂いは、他でもないシルバーウィングの面々の懐から放たれたままだ。
「さあ、幕引きと行こうか。……策に溺れた愚者どもよ、精々良い『囮』になってくれ」




