回想は好ましくない
文学賞狙いの小説において、「回想」は好ましい手法とは言えない。
理由は単純で、回想が挿入された時点で、物語の答えがある程度書かれているからである。
回想とは、過去を安全な場所から語る行為である。
語り手はすでに現在に立っており、その過去を「生き延びた存在」になっている。
つまり、回想が成立している時点で、登場人物は少なくとも致命的な破綻を迎えていないことが確定している。
これは物語の緊張を根本から削ぐ。
読者は無意識のうちに、「この人物はこの先も生きている」「この出来事は乗り越えられる」と理解してしまう。
回想が長ければ長いほど、未来の不確定性は失われる。
文学賞では、「どうなるかわからない状態」が維持されているかが重視される。
ところが回想は、その構造上、すでに結果を知っている視点から語られるため、物語の現在進行形の危険を薄めてしまう。
また、回想は説明に傾きやすい。
人物関係、動機、感情の整理を過去に押し込めることで、現在の場面で描くべき衝突や選択が弱くなる。
その結果、物語は整うが、尖らなくなる。
「分かりやすくするために回想を入れる」という判断は、文学賞においては逆効果である。
分かりやすさは、選考段階では評価対象にならない。
むしろ、「まだ何も決まっていない状態で人物を前に出せているか」が見られる。
回想を使うということは、物語の核心をすでに整理し、答えを用意した上で語るということだ。
文学賞狙いの小説に求められるのは、整理された過去ではなく、崩れるかもしれない現在である。




