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3章――①

「本当にすまん!」

 快晴の空の下で、なにごとか詫びる大きな声が響く。近くの木の枝に止まっていた小鳥すらも驚いて飛び立つその声量を間近で浴びせられて、朱祐(しゅゆう)の耳がきんきんと痛んだ。その足元では、土がむき出しの地面に真照(しんしょう)が額づいている。

 清杏店から北へ二十分ほど歩いたところには、鍛冶師や大工などといった職人たちが住まいや肆を構える区画がある。鉄やら木を打つ音があちこちから響き、美しさではなく実用性のある品を求めてくる客が歩き回り、飲食店が立ち並ぶ一帯とはまた違った賑やかさがあった。

 昼食を済ませたあと、朱祐が訪ねたのはその片隅にある真照の薬屋である。

 目的は二つある。そのうち一つが、蓮翠が行った祈祷の依頼料の徴収だ。

 朱祐は唇を山形に歪めて腕を組み、店先で人目もはばからず土下座する真照の頭めがけてため息を落とした。

「別れ際に言ったよね? 『今回の報酬は明日にでも持ってこい』って。蓮翠が依頼を受けた日から二日……いや、もう三日経ってるんだけど」

「すまん。忘れてたわけじゃないんだが、薬の調合に必要な材料の採集に行ったり、急ぎで薬を作ってくれって頼まれてそれに時間取られたりしててだな。払うつもりがなかったわけじゃないんだ、信じてくれ!」

「まあお前に『報酬を踏み倒してやろう』って発想があるとは思ってない。そこは信じる」

 幼馴染としての付き合いの長さからも、真照の言い訳に嘘が無いのは分かる。真照はほっとしたように身を起こし、肆の中に消えたかと思うとすぐに祈祷の報酬を手にして戻ってきた。

 金額に間違いがないか朱祐が確認していると、「ところで」と真照が目を瞬く。

「蓮翠ちゃんってこの一日二日の間にこんなにゴツくなったのか?」

「こいつが蓮翠に見えてるなら、お前は働きすぎて疲れてるか、単純に目が腐ってるよ」

 朱祐は自身の傍らに立つ人影を一瞥して、再びため息をついた。

 普段なら蓮翠がいるはずの位置にいるのはゼラムである。見た目も装いもなにもかもが蓮翠とは程遠い。やっぱり蓮翠ちゃんなわけないか、と朗らかに笑う真照に、ゼラムは白い歯を見せつけるようにニッと笑って軽く手を振った。

「あんた確か、この前シュウや嬢ちゃんと一緒にいたよな。あの時はろくに話さなかったから改めて。ゼラムという。シュウの友だちみたいなもんだ、よろしく頼む」

「俺は真照。へー、朱祐って俺以外に友だちいたのか。ちょっと驚きだ」

「別にゼラムは友だちじゃない。旅館の客の一人だ。友だちだって真照以外にもいる!」

 反論してみたものの、自分でも思っていたほどの勢いが出ず不貞腐れたような声音になったのは『真照以外に友だちがいない』に関してはあながち間違っていなかったからだ。認めたくはないけれど。

 ゼラムの外見と〝旅館の客〟という説明で、真照は彼が異国人だと察したようだ。母国はどこか、そこはどんな場所で巴瑛帝国からどれくらい離れているのか、興味津々に問うてはゼラムも嬉々として返答している。会わせる前からなんとなく予想は付いていたが、ゼラムと真照の相性はいいらしい。

 このままでは二人だけで延々と話しこまれる。朱祐は大きくわざとらしい咳払いをして話を遮り、ゼラムの脇腹を肘で小突いた。

 ゼラムも本来の目的を思い出したのか、おお、と手を叩いて己の首に提げていたものを摘まみ上げる。

「シュウから聞いたんだが、シンもこれと同じもの持ってるんだってな」

 例のチンセーセキのお守りだ。記憶が間違っていなければ、真照は取引相手からこれと同じものを薬と引き換えに受け取っていたはずである。

 朱聖寺でチンセーセキを配布している確信を得たい――それが目的二つ目だ。

 会って数分の相手から愛称で呼ばれたことなど気にする様子もなく、真照は軽快にうなずいて首元を指さした。彼のそこではチンセーセキの首飾りが揺れている。

 今度は朱祐がゼラムから小突かれた。そのゼラムも指で鼻の下を軽く擦っている。

 ――『かすかだがにおいを感じる』ね。

 ゼラムには「分かった」の意味を含めて無言で目を伏せ、朱祐は真照の首飾りをじっと見つめた。

 ――熾火から煙が上がるくらいのかすかなものだけど、黒い靄が滲んでるな。

「? なんだ朱祐。いきなり黙りこんで。このお守りがどうかしたのか」

 朱祐が口を噤むこと数分。なにごとにも鷹揚で細かいことは気にしない真照でも、さすがに違和感を覚えたのだろう。怪訝そうに問われたのをきっかけに、朱祐は「実は」といかにも心配そうに眉を寄せた。

「お前が持ってるお守りってかなり出回ってるみたいなんだけど、どうも悪いモノから守ってくれるんじゃなくて、逆に悪いモノを引き寄せてるんじゃないかって問題になってて」

「そうなのか? そんな感じ全然しねえけど」

「蓮翠や僕には幽鬼が視えるのは真照も知ってるでしょ。幽鬼が現れる場所に視える黒い靄と同じものが、そのお守りにもまとわりついてるんだよ」

「え!」と真照が零れ落ちんばかりに目を見開き、視線の高さまで首飾りを持ち上げてしげしげと眺める。「言われてみれば……微妙に黒い、かも……?」

「そのまま持ち続けているとかえって危ない。だからいったん預かって蓮翠が祈祷する。そうすれば今度こそ悪いモノは寄ってこないから」

 この祈祷に関しての報酬はいらない、無償だと告げれば、真照はこれ幸いとばかりに首飾りを外して朱祐に預けてきた。この素直さと聞き分けの良さでよく商売が出来ているものだ。取引相手から騙されることがないのか余計な心配がちらつく。

 ひとまず首飾りを小袋に放り込んで、二つ目の目的の仕上がりにかかる。

「真照はこのお守りを取引先から譲ってもらったんだよね」

〝妻を亡くして独り身で、あばら家に住むじいさん〟と言っていた覚えがある。真照が「うん」と首肯した。

「そのじいさんがお守りをどこで貰ったかは知ってる?」

「いやーそれは知らないな。『これを持っていると気分が楽になる』『数が少なくて貴重なものだ』ってのは聞いた。俺が譲ってもらったのはいわゆる〝お試し用〟みたいなやつで、『これより大きくてもっと効果があるものが欲しければ教えてくれ。儂が一緒に貰いに行ってやる』とも言われたかな」

 ――朱聖寺(しゅせいじ)で配布されてること、真照はまだ知らされてないのか。

 だが真照に首飾りを譲った老人は、恐らく朱聖寺でそれを受け取っている。

 真照いわく「じいさんが持ってるお守りは俺より大きかった」そうだ。そのぶん悪いモノを引き寄せているなら心配だから、薬を届けに行くついでに様子を見に行きたいと真照に頼まれた。朱祐としても老人に直接話を聞きたいと思っていたところだ。道案内役がいるのはありがたい。

 三人で連れ立って歩き始めて間もなく、ゼラムが「そういえば」と真照に訊ねた。

「シンは嬢ちゃんに幽鬼の祈祷を頼んだって聞いたが、怖くないのか?」

「怖い? なにが?」

「嬢ちゃんの目の色。不吉な怪物と同じ色だから近寄らねえほうがいいって、さっきシュウの店で忠告されたんでな」

 数時間前のやり取りを思い出して、朱祐はそっと奥歯を噛みしめた。

 神話の怪物について語った給仕は、朱雀の目の色が緑色だと聞いていくらか動揺したようにそそくさと去っていった。一方で朱祐と蓮翠もまた、ゼラムがもたらした情報を処理出来ずにしばらく硬直したのだが。

 国を守る聖獣――よりによって赤香で崇められている朱雀の目が神話の怪物と同じ緑色だなんて、知らなかったのだ。朱祐は異変が現れる前の朱雀を一度だけ間近で見たことがあるが、物心ついたかつかないかくらいの年頃だったため、目の色なんて覚えていない。というより当時の身長では見上げても朱雀の顔がほぼ見えない。

 ゼラムとギヴィルは赤香に来るまでに、朱雀以外の幻獣――麒麟、玄武、白虎、青龍――を確認したという。その四体の目の色はいずれも宝石のごとく光り輝く黄金色だったらしい。

『光の加減で緑色に見えただけの可能性も捨てきれねえけどな。なにせ対面出来たほかの幻獣……聖獣と違って、朱雀は明り取りの窓越しな上に距離もある。ただ――』

 ゼラムはそこで言葉を切ると、蓮翠をちらと見てから『まあいい』と首を振った。

『俺とギヴィルがここに来たのはそもそも朱雀を調査するためだ。どのみち直接この目で見る必要が出てくる。その時に目の色も含めて確認するさ』

『朱雀の異変とその理由に加えて、出来損ないの核の作成、および配布の疑惑……』

 調査することが増えましたね、と呟いたギヴィルの横顔はあっさりしていたが、口調はどことなく楽しそうだった。

 ただ、出来損ないの核を使った首飾りが手元に二つあるとはいえ、それだけでは朱聖寺に踏みこむ材料としていささか心許ない。そもそもゼラムたちは訪問初日に門の扉を殴り飛ばす騒動を起こしているため、朱聖寺もいっそう警戒しているはずだ。

『なら真照さんに聞いてみるのは?』そう提案したのは蓮翠だった。『真照さんは取引先からお守りを貰ったんだよね。その取引先の人がもし朱聖寺でお守りを貰ったのなら、その人を真照さんに紹介してもらって、その人の伝手で朱聖寺を覗けたりしないかな』

 今のところ取れる手段として望みが繋がりそうなのはそれしかない。ゼラムが蓮翠の提案に乗ったところで、真照から祈祷の報酬を受け取っていないことを思い出したのだ。

 朱祐は蓮翠とともに真照を訪ねるつもりだったのだが、蓮翠に「あたしもちょっと気になることを調べたい」と断られてしまった。効率を考慮した結果、朱祐とゼラム、蓮翠とギヴィルという組み合わせに分かれたのだ。

 ――でも蓮翠の気になることってなんだろう。

 詳細を聞く前に清杏店を出てきてしまった。ギヴィルと二人きりで行動しているのも、心臓が砂に包まれたようなざらつきを覚えてもやつく。

 それを吹き飛ばすようなからりとした笑い声が隣から聞こえた。真照である。

「怪物の目の色と同じで不吉だとか、そんなこと怖がってるの考え方が古い奴だけだって」

 ゼラムの問いへの返答だ。へえ、と意外そうなゼラムに、真照は頭の後ろで指を組んで続ける。

「赤香は旅人がよく来るところでさ、ゼラムもそうだけど、異国人って俺らとは目の色が違うわけ。俺が会ったことある人だと赤とか紫とか、緑色だっているんだよ。だからいちいち怖がる必要を感じねえというか、目の色ひとつで怖がるの馬鹿らしくねえ? みたいな」

 ひとしきり笑ったあと、真照は一転して真顔に戻った。

「俺自身、蓮翠ちゃんに関わったからって不都合も起きてない。幽鬼を祓ってもらったのも一回や二回じゃないし、あの子が()い子なのは付き合ってるうちに分かる。朱祐の兄貴や母親が死んだのは事実だけどさ、それを『蓮翠ちゃんの目の色が怪物と同じだからだ』っていうのは、不幸の責任を押しつけてるみたいで俺は好きじゃない。朱祐だってそうだろ」

「……そうだね」

 怪物の目の女がうちに来なければ息子たちも妻も生きていたはずなのに、と嘆く父の声が脳裏をよぎる。兄二人と母が死んだのは朱祐にとっても辛く苦しい出来事ではあったが、だからと言ってそれを蓮翠のせいにしたことはない。

 ――僕を慰めてくれたのは、蓮翠だけだったから。

 清杏店に勤める者たちが「怪物の目が災いを引き寄せたに違いない」と噂に夢中になり、父が悲しみのあまりしばらく引きこもって姿を見せない中で、寂しさに暮れる朱祐に寄り添ってくれたのは蓮翠一人だった。

 彼女も肉親を亡くしている。だから朱祐を独りにしておけなかったのかも知れない。

 かなしいね、さびしいね、とくり返しながら背中を撫でてくる手の拙さと温かさを、朱祐が忘れることは無いだろう。堪えていた涙腺が崩壊して、声を上げて泣きじゃくる朱祐をそっと抱きしめてくれたことも。

「付き合ってるうちに、なあ」ゼラムが角ばった顎を撫で、ふむふむと意味深にうなずく。「シンと嬢ちゃんは恋仲だったのか」

「は……は?」

 予想もしていなかった一言に、朱祐は呆けた声を上げた。真照も「うん?」と不思議そうに首を傾げ、ゼラムは「違うのか」ときょとんとしている。

「付き合うって言ったから、交際してるって意味かと」

「ああ! 違う違う。蓮翠ちゃんとはなにもない。ただの友だち付き合い」

 真照は顔の前で手を振って否定しながら、そもそも、と朱祐を見てニヤついてくる。

「蓮翠ちゃんと交際したいなんて言ったら、保護者の朱祐にぶっ飛ばされそうだし」

「……僕は別に、蓮翠の保護者じゃないんだけど」

「『ぶっ飛ばす』の部分は否定しねえんだなー」

「うるさいな。だいいち蓮翠が誰と交際してようが、僕に口を出す権利は無いよ。蓮翠が選んだ相手ならなおさら」

「けどお前、それを黙って見てられるのか?」

 好きな人が出来た、この人と一緒に清杏店を出ていくね、と真照は蓮翠を真似ているつもりか、わざわざ声を高くして言う。蓮翠の可憐で小鳥のような声とは似ても似つかないはずなのに、朱祐の脳はいとも容易くそんな未来を想像させた。

 ――蓮翠が恋仲と一緒に、僕のもとから去っていく。

 例えば今日、ギヴィルと二人でどこかへ行ったように。

 ――それはちょっと……少し……だいぶ嫌、かも。

 考えただけで増したざらつきを宥めるように、朱祐は摩擦熱が起こりそうな勢いで胸を何度も撫でる。

 唇を尖らせていかにも不機嫌なその表情に、ゼラムと真照が目を見合わせてやれやれと言いたげに肩を竦めていたことには気づかなかった。

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