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3章――②

 楕円形の黒い石を両方の手で包むように持って、蓮翠(れんすい)はその表面を無言で見つめた。

 肌に汗がじわりと浮かび上がるがごとく、石の表面には点々と黒い粒が滲んでは糸がするすると解けるように靄に変わって空気中に漂っていく。ゼラムや真照(しんしょう)が持っていた首飾りのお守りとは大きさも形も違うが、恐らくこれも〝出来損ないの核〟の一つなのだろう。

 蓮翠は祈祷の際にいつも持ち歩いている籠の中から紙の札を取り出し、石の表面にそっと乗せた。札には魔除けの神の名や祈りの言葉ではなく、「負の感情を吸い取れますように」と記してあるのだが、黒い靄は普段と変わらず吸いこまれて消える。

 ――書いてある言葉はあまり関係なくて、あたしが〝悪いものを祓いたい〟って願いながら書いたものならなんでも効力を発揮するんじゃないかって、ゼラムさんは考えてたみたいだけど。

 彼の予想は正しかったらしい。籠の中には文字ではなく絵が描かれた札もあり、あとで効果を試してみるつもりではあるが、いつもと違う文言を記すのはどうにも落ち着かない。次回以降はいつも通りに魔除けの神の名と祈りの言葉を札に書こうと決めた。

「札が黒ずんだということは、その石はやはりチンセーセキだったのですか」

 問う声にはっと我に返り、蓮翠は顔を上げた。いつもの癖で朱祐(しゅゆう)と視線が合うあたりまで首を上げてしまったが、目に飛び込んできたのはギヴィルの頭頂部である。角度を少しだけ下げた流れで、蓮翠は軽くうなずいた。

「黒い靄も漂っていたので間違いありません。ちょっと前にここのご夫婦から『息子の幽鬼を祓ってほしい』と依頼を受けたことがあって、その時にこれを見かけた覚えがあったんですけど、今日もそのまま置いてありました」

 昼食のあと、蓮翠が向かったのはこれまで祈祷を依頼してくれた人々のところだった。

 何件か訪問を終え、現在は女性向けの装飾品を取り扱う老夫婦の(みせ)から出てきたところである。彼らの一人息子が酒肆(しゅし)での乱闘騒ぎで命を落とし、その幽鬼を蓮翠が祓ってから一週間も経っていない。

「あの日は息子さんの幽鬼に集中してましたし、石から黒い靄が出てることなんて気づいてなかったんですけどね。改めてお部屋に入らせてもらったら、幽鬼を祓ったはずなのに靄がまだ漂ってました。持ち主本人が亡くなっても、チンセーセキの効果は続くみたいです」

 蓮翠はその後の経過を確認するという口実で、依頼人のもとを訪ねて回った。老夫婦は特に疑問に思った様子もなく――むしろ蓮翠の対応が丁寧だと感謝しながら――息子の部屋に通してくれた。

 幽鬼がもういないことは理解しているけれど、襲われかけた記憶がよみがえって足が竦み、ただ部屋に入るだけなのに何度もためらった。朱祐がいれば励ましの言葉とともに背中を擦ってくれたかもしれない。想像しながら深呼吸をくり返したおかげか気分は落ち着き、蓮翠はどうにか目当てのものを手に取ったのだ。

「この黒い石がなんなのかご存知かご夫婦に聞いてみたら、息子さんが『これに祈れば憂鬱な気分が軽くなる』と話していたそうで。それってチンセーセキの負の感情を吸い取る効果と同じ、ですよね」

「間違いなく。息子さんがこれをどこで手に入れたのか、ご夫婦は知っているんでしょうか」

「詳しくは聞いてなかったみたいです。ただ『お寺がくれた』とは聞いてたらしくて」

 赤香(せきこう)で寺と言えば、朱聖寺(しゅせいじ)しか思いつかない。というより、朱雀のお膝元ということもあって、他の五聖獣を祀る施設はいずれも小規模で()と称され、寺と呼ばれることはまずないのだ。

「なのでご夫婦は『朱聖寺で貰ったんだな』となんとなく思ってたって」

「なるほど。これまで確認してきた依頼人と似たようなものですね」

 ここへ来るまでに蓮翠は四件ほど訪問してきたが、どこの家にもチンセーセキが置いてあり、故人の身内は「朱聖寺で授かってきたのだろう」と見当をつけていた。朱聖寺から授けられたお守りなら処分するわけにもいかず、そのまま保管していたようだ。

 蓮翠は籠の中に石を収めた。このあとも確認したい依頼人が数人いる。負の感情の煮凝りとも言うべき靄を放つチンセーセキを放置し続ければ、依頼人に悪影響を及ぼす恐れもある。札の効果を試すためにも向かわなければ。

「ふと思ったのですが、これまで回ってきた依頼人の方々は蓮翠さんを怖がっていませんでしたね」

 歩き始めてほどなく、ギヴィルが老夫婦の様子を不思議がった。

 数時間前の食堂でのことを念頭に置いての疑問だとすぐに気づく。朱祐が聞けば「失礼なことを言うな」と怒りそうだ、と思いながら、蓮翠は「多分ですけど」と予想を述べた。

「あたしの目よりも、幽鬼への怖さが勝つんだと思います。幽鬼に憑りつかれれば最悪の場合は死んでしまいますから。幽鬼に憑りつかれた人は死後に麒麟の宮殿に入れないとも言われているので、その恐ろしさに比べればあたしの目を怖がる余裕がないのかも」

 ――あとは、あたしが関わったことで起きた不幸が無いから、とか。

 朱祐の二人の兄や、朱祐の母・礼珠(れいじゅ)が亡くなったのは蓮翠が清杏店に来てからだ。だからこそ朱祐の父を筆頭に、清杏店で働く人々は、彼らが亡くなった原因を蓮翠の目の色に見出して怖がる。

 だが、依頼人のもとに現れる幽鬼が幽鬼となった――命を落とした原因に、蓮翠が関わったことは一度もない。その差も恐怖の天秤がどちらに傾くかに影響しているだろう。

「あの、あたしにはフィアトっていう魔術師の人たちの血が流れてるんですよね」

 蓮翠の問いに、ギヴィルはうなずいてくれた。

「フィアト家の魔術師の方たちの目の色は、あたしと同じ緑色だったんですか? あたしと同じように、幽鬼……というか、神力が塊になったものを視る能力はあったんでしょうか」

「結論から申し上げれば、分かりません。フィアト家の資料が、彼らの処刑の際に燃やされてしまったことは以前お伝えした通りです。その資料の中には肖像画なども含まれていましたので、フィアト家の方々の顔立ちやその特徴など現在では知るすべがほぼ失われています」

〝燃やされた〟という一言で察しはついていたが、約二百年前の魔術師たちは、生きながらか別の方法で息の根を止めてからかの違いはあれど、火刑に処されたそうだ。魔術師の遺体を盗んで死肉を食らい、神力を得ようとした人々がいたことが理由だという。火刑後の遺灰を狙う者までいたというから、魔術師の禁忌を恐れながらも神力(イラ)を得たい憧れはあったのだろう。

 最終的に、遺灰は船を出して海にばらまかれたらしい。

「同じ血を引く魔術師であっても発現する能力には差が出ます。ゼラムくんの神力をにおいとして感じ取る能力もそうです。エアスト家には本家と分家、わたしのように外部から引き入れられた弟子を含めて五十名以上の魔術師が在籍していますが、ゼラムくんと同じ能力を持っているのは、わたしが知る限りゼラムくんの祖父君であるエアスト家の前当主だけです」

 なので、とギヴィルが蓮翠の目を一瞥する。

「フィアト家の魔術師に幽鬼を視る才があったかどうか不明、としかお答えできません。しかしフィアト家は死者に関する仕事を請け負っていたそうなので、あくまでわたし個人の見解ですが、幽鬼を視る者はゼロではなかったのでしょう」

「死者に関する仕事って、ゼラムさんが言ってた弔いとか……」

「フィアト家は魔術師の一家系として名を馳せるまで葬儀屋を営んでいたと、フィアト家に作成された幻獣が語った調査記録があります。一般人よりはずっと死が身近な環境であったようですし、そう考えれば、幽鬼を視る才があったと考えてもおかしくないはずです。しかしこれも得手不得手の一種。魔術師の家系に生まれ、神力を宿していたとしても、なかにはなんの能力も発現しないまま一生を終える者もいるほどですので」

 ひと通り話を聞いて、蓮翠はギヴィルに礼を伝えた。

 結局のところ目の色も、幽鬼を視て、祓う力も、フィアト家由来のものとは断言できない。蓮翠の母にそういった力があったかどうかも、今では知りようがない。

 ――お姉ちゃんはどうだったのかな。

 母と蓮翠と一緒に故郷を出たのち、水を汲んでくると言いおいて戻らなかった姉。

 蓮翠が最後に見たのは川の方向へ去る後ろ姿だ。それが強く印象に残っているせいか、故郷の村での様子がどんなだったか、記憶に霧がかったように曖昧だ。同じ両親から生まれているのだから神力を宿していたかもしれないが、姉が奇妙な術を使っていた覚えもない。ギヴィルの言う〝なんの能力も発現しないまま〟の一人だったのだろうか。

 ――ああ、でも。

 同世代の子どもから石を投げられ、それが頭に当たったのだかで、蓮翠が泣きじゃくって帰宅した日があった。両親は畑を耕しに行っていて不在だったから、家の掃除をしていた姉が慰めてくれたのだ。

 蓮翠の目は怪物の証なんかじゃない。この世にたった一つしかない綺麗な宝石と同じなの、と語りながら頬を包みこむ手は温かでやわらかかった。あの時に感じた安らぎは、今にして思えば朱祐が耳を包んでくれた際のものに似ている。

 ――あれは神力の作用だったのかな。それともただお姉ちゃんが慰めてくれたっていう嬉しさ?

 父親似の蓮翠と違い、姉は顔だちも声も母に似ていた。目の色も母と同じ月のない夜に似た黒色で、蓮翠の目を覗きこんでは何度か「蓮翠は目の色が綺麗で羨ましい」とも呟いていたような。

 かすかに思い出した記憶は懐かしさだけでなく、姉が戻らなかった喪失感まで掘り起こす。姉も一緒に赤香にたどり着いていたなら、母が亡くなったとしても、姉妹二人で支え合って生きていけたかもしれないのに。

「……朱祐……」

 ぽつりと名を呼んで、蓮翠は籠をきゅうっと抱きかかえた。

 いつも隣にいる存在を感じられないことが、今は無性に心細くて寂しい。

 ――お姉ちゃんのことを思い出したのもあるのかな。早く朱祐に会いたい。

「どうされました?」

 無意識のうちに歩みが遅れた。数歩先を進んでいたギヴィルが足を止めて待ってくれている。蓮翠は軽く駆けて追いつき、すみません、と頭を下げた。

「朱祐たちの方は大丈夫かなって、ちょっと考えてました」

 会いたいと思っていたことを正直に教えるのは伏せた。伝えるべき相手は他にいる。

「確か朱祐さんはご友人のところへ向かわれたのですよね。蓮翠さんもてっきりご一緒するものだと思っていたのですが」

「真照さんの薬屋と、あたしが回りたい依頼人がたのお宅は少し距離があるんです。お昼からその全てを回るのはちょっと厳しいかなって。夜には厨房のお手伝いに戻らないといけないし」

「効率を重視したわけですか。時間短縮がご希望でしたら天馬(ペガサス)をお貸ししましたのに」

「天馬さんでの移動は速くて爽快なんですけど、あれに慣れちゃうと普段の移動が物足りなくなりそうで」

 一方で朱祐は天馬での移動が好きになったようで、真照の薬屋の近くまで使うと言っていた。近くまでに留めるのは、真照が天馬に興味を持って質問攻めに時間を取られたら面倒くさいからだとも。

「でも朱祐、ゼラムさんと仲良く出来てるかな……」

 別行動が決まった際、蓮翠に同行するのはゼラムの予定だったのだ。だが朱祐が「こいつが蓮翠の新しい相棒だって勘違いされたら困る」と猛反対し、今の組み分けになった。

「朱祐さんがどう感じているかは分かりませんが、少なくともゼラムくんは彼を気に入っているようですし、大丈夫ではないでしょうか」

「気に入ってる、ですか。朱祐にかなり雑に扱われてる気がするのに」

「そういうところも含めて面白が……失礼、楽しんでいるんです。調査で異国に赴くたび、現地の友人を作るのが好きなんです、ゼラムくんは」

 ゼラムとギヴィルはこれまでに十ヵ国以上を巡ってきたそうだが、どの土地でもゼラムはあんな感じなのだという。距離感の縮め方の速さが功を奏すこともあれば、その逆ももちろん経験済みだと。

 次の目的地まではまだ少しかかる。歩みが遅くならないよう気をつけながら、蓮翠はギヴィルに問いかけた。

「幻獣の調査や記録って、どんなことをするんですか」

「人間の生活にどんな影響を与えているかとか、いつどこで誰の手で作られたのかなどですね。幻獣の中には神として崇められ恩恵を与える種もいますし、反対に戦闘目的で作られる種もいます。制作年も、二百年より以前に作られたもの、そうでないものとありますので、エアスト家はそれを正確に記録することが求められます。幻獣関連で問題が起こった際に取るべき対策など講じやすくなりますから」

 魔術師の多くが処刑され、幻獣作成が禁じられて以降も密かに作る者はあとを絶たない。エアスト家の使命は記録に無い幻獣が発見されれば綿密に調査し、害が無ければ定期的な見回りを、害を為すと判断した場合は幻獣の破壊という判断を正確に下すことだと、ギヴィルはどこか熱っぽく語った。

 未知の分野について知るのは面白く興味が尽きない。語り手が楽しそうであればなおさらだ。興奮で頬が熱くなるのを感じながら、蓮翠は質問を重ねる。

「でもいつどこで、誰の手で作られたのかなんて、どうやって調べるんです?」

「単純ですよ。幻獣から直接聞き出す。それだけです」

「聞き出す……幻獣ってどの子も人と同じ言葉を話せるんですね」

「いいえ。人型であれば人語を解す確率は高いですが、動物型・植物型の多くは鳴き声を上げこそすれ人語は操れないことがほとんどです」

 それでは聞き出しようがないではないか。蓮翠が眉を寄せたのを見てとってか、ギヴィルは自身の胸に手を当てて淡く微笑む。

「わたしはゼラムくんのように神力のにおいを感じられませんし、蓮翠さんのように黒い靄として捉えることも出来ません。ですが、ゼラムくんが肉体の一時的な強化を得意とするように、わたしにも得意分野があります。通訳です」

「通訳?」

「耳に術をかけることで、幻獣の鳴き声や異国の言語を聞き取れるようにするんです。今もそうですよ。わたしは母国の言語で話していますが、蓮翠さんは巴瑛(はえい)語として聞き取っているでしょう?」

 まったく気がつかなかった。異国から来たのに巴瑛語が流暢だな、としか感じていなかったのだ。蓮翠が驚いて何度も自分の耳に触れるのを見て、ギヴィルはいたずらが成功した子どものように一瞬だけニッと口の端を吊り上げる。

「こんな風に、自分だけでなく他人の耳にも術をかけられるんです。この能力のおかげで聞き取り調査の効率が飛躍的に上がったとお褒めいただくこともしばしばです。ただ効果は永続的ではないので、だいたい一日おきにかけ直す必要がありますが」

「……神力って、本当になんでも出来るんですね」

「ええ。便利だからこそ、使い方に気を付けなければいけない力でもあります」

 ギヴィルの視線が、蓮翠が抱える籠の中に落ちる。

 神力を使って出来損ないの核を作成し、チンセーセキと称して授ける誰かが確実にいる。その誰かは本気でお守りの効果があると信じているのか、あるいは負の感情を増幅させると分かった上で授けているのだろうか。

 ――分かった上だとしたら、その目的はなに?

 蓮翠は南へ目を向けた。道のはるか先に朱聖寺の雄大な屋根が見える。

 あそこを取り囲む赤い塀の中で、朱雀の異変をはじめ確実になにかが起きている。足元から這い上がってくる不安を散らすように、「行きましょう」と蓮翠は速度を上げた。

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