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2章――⑤

 しん、と冷えた竈の前にしゃがんで、蓮翠(れんすい)は両手に握った石同士を打ち合わせていた。

 朱雀の炎の力を含むという〝朱火石(しゅかせき)〟である。見た目も手触りも鳥の卵そのもので、表面に散った赤い模様は芍薬の花弁に似ている。それをかんかんと打つ音が朱雀に届くことで火花を散らすのだ。朱雀の調子が悪くなってからは火が点くまでに十数度も石を打たなければならないそうだが、どういうわけか、蓮翠がやるとあっさり二、三度で点火するうえ、必要以上に空気を送らなくても長時間燃え続ける。

 ――意識したことなかったけど、火がすぐに点くのも、燃え続けるのも、実は神力(イラ)の効果だったりするのかな。

 いくつかある竈すべてで火を熾して、蓮翠は薄っすら汗の浮かんだ額を手で拭いつつ厨房を見渡した。点火の素早さから厨房の竈に火を入れるのは蓮翠に命じられているのだが、蓮翠の目の色を恐れる職人や手伝いたちがまだ来ていないため、昼間は熱気があふれるここも、日が昇るより前の時間はがらんと広く感じられて寒々しい。

 毎日のことで慣れているとはいえ、寂しさと切なさは隙間風のごとく心を撫でる。

 それを打ち払うように、ひょいと厨房の入り口から顔が覗いた。

「おはよう、蓮翠」

 朱祐(しゅゆう)が口許に微笑みを浮かべて手を振る。その仕草と春の陽気に似たまろやかな声音が厨房に(わだかま)っていた寂寥感を拭い去っていくようで、蓮翠は「おはよう」と返しながら、そういえばと自身の耳に指を伸ばした。

 ――前に朱祐があたしの耳を塞いでくれた時も、こんな感覚あったような。

 貧民街近くの幽鬼の声に怯えて竦んでしまい、身動きが取れなくなっていたあの時。朱祐が来て耳を塞ぎ、声をかけてくれたあの瞬間も、影に日光が差しこむように温かな心地がしたものだ。

「朱祐の神力の特性とかなのかな……」

「? どうしたの蓮翠。耳が痛む?」

「ううん、なんでもない。大丈夫」

 心配そうな朱祐に「なんともないから」とくり返して、蓮翠は入り口の傍らにある、簡易的に朱聖寺(しゅせいじ)を模した小さな棚の中に朱火石を戻した。手を合わせて感謝と祈りを捧げれば、点火の役目は終了である。

 次は中庭の掃除でもしようかと歩き出して、蓮翠は隣に並んだ朱祐を見上げた。

「そういえば朱祐、今日は起きるの早いんだね。いつももう少し明るくなってから見かけるのに」

「頭がちゃんと休めてなかったみたいで、目が覚めちゃったんだ。寝る前に色々考えてたせいかも」

「色々考えてた?」

「幽鬼じゃないのに黒い靄に包まれてた男のこととか、光る壁が出たこととか、色々。夜中に騒ぎが起きなかったってことは、あの男、まだ気を失ってるのかな」

 男は昨晩のうちに、蓮翠の部屋からゼラムたちの宿泊部屋に移された。蓮翠の部屋には物置の名残で様々な備品が放置されており、そこにあった適当な麻袋に突っ込まれ、荷物を装って運ばれたのだ。

 一度ゼラムたちの部屋へ様子を見に行こう、と二人の意見が一致して、道すがら蓮翠は気になっていたことを朱祐に訊ねた。

「さっき言ってた光の壁のことなんだけど。あれって朱祐が出してくれたの?」

「多分」と朱祐が右手を何度も握っては開く。「僕自身、あまり実感はないけど。蓮翠を助けなくちゃって必死で、とにかくあいつと蓮翠を隔てられるなにかをって考えたら、いつのまにかあの壁が出てた」

「そうだったんだ。助けてくれてありがとう。本当はあたしも、朱祐がやったみたいに壁を作ろうと思ったんだけど、全然上手くいかなくて」

 あの時確かに神力の感覚があったのに、形になる直前でするりとそれが消えた。あと一歩だったはずの悔しさがまだ手に残っていて、思わず唇を噛んでしまう。

「朱祐が助けてくれなかったら、あたしも女の人も、きっと怪我してた」

「本当だよ。そのことだって僕は文句を言いたいんだからね」

 出来る限り憤りを抑えようとしているのか、朱祐の声音が普段より低く硬い。

「考えなしってわけじゃないと思うけど、武器も無いのに一人で飛び出していっちゃ駄目だよ。もし僕が壁を出せなかったり、魔術師のあいつらも一緒に来てない状況だったら、蓮翠まで痛い思いをしてたかもしれない。ただの怪我で済まなかった可能性だってあるんだよ」

 朱祐の言う通りでなにも反論出来ない。想像の甘さが自身の危機を招いた。

 ごめんなさい、と蓮翠が俯いて肩を縮めると、「でも」と朱祐の硬さが和らいだ。

「困ってる人を放っておけない蓮翠の性格を、僕は知ってるから。偉そうに説教したけど、僕は驚いて固まったまま動けなかったんだ。それに比べたら蓮翠の判断は偉いし、尊敬する」

「そんなに大層なものじゃないよ。でも、ありがとう朱祐」

「どういたしまして。それと光の壁のことなんだけど。ギヴィルの奴が言ってたでしょ、人によって得手不得手があるって。僕の予想だけど、蓮翠はああいう壁みたいに実体があるものを出すのが苦手なんじゃないかな」

「それは……うん、そんな気がする」

 試しに目の前に光の壁を出せないか、二人で挑んでみる。朱祐が数秒ほど出現させられたのに対して、蓮翠は手が発光する以外のなにかが起こることはなかった。

 しょんぼりと肩を落とした蓮翠に、朱祐が励ますように笑顔を見せる。

「蓮翠の神力は幽鬼を視たり、祓うことに特化したんだよ。僕は蓮翠みたいに幽鬼をはっきり視られないし、祓えもしない。ね、こうやって得手不得手がある」

 だから落ち込まないで、と優しく肩を叩かれ、蓮翠の心に差しかけていた影が消える。

 ――温かい。

 蓮翠は肩から離れようとしていた朱祐の手をそっと掴んだ。ゼラムのごつごつした手と違い、朱祐のそこは肉が薄く滑らかだが、蓮翠の手より二回りも広い。どうしたのと問うように首を傾げる朱祐を見上げ、なんでもない、と微笑みかける。

「朱祐がそばにいてくれると心強いなって、改めて思っただけ」

 そう言ってもらえると嬉しいよ、とはにかんだ朱祐の頬は、照れくさそうに赤らんでいた。


「あの黒い靄は神力が、そんでこっちの首飾りの石は〝核〟がそれぞれ変質したものなんだと思う」

 賑わう食堂の一角を陣取って、ゼラムが刻み野菜や貝柱が入った粥を口に運んで唸る。卓の上にはくたくたになるまで煮た豆が入った汁物や、皮面をこんがり焼いて甘辛いたれで味付けした鶏肉、蓮の実の餡をたっぷり詰めた饅頭なども並んでいる。すべてゼラムが注文したもので、巴瑛(はえい)帝国の食事がよほど口に合ったらしい。一口噛むごとに「うまい」と感想を述べている。

 蓮翠と朱祐がゼラムとギヴィルの部屋を訪ねたのは二時間ほど前だ。二人はすでに起床しており、本人が気絶しているのをいいことに、男の衣服や所持品を検めていた。

 結果、男の首にもゼラムが預かっていた首飾りと同じものがあった。妓女が言っていた〝チンセーセキ〟なるお守りだろう。蓮翠の目にはお守りの表面から黒い靄がにじみ出ている(さま)が見え、ゼラムも異臭を感じて眉をしかめていた。

 体をあれこれ触れられたのもあったのか、男がやがて目を覚ますと同時に、昨日ほどの濃さではないものの黒い靄も出現した。ぶつぶつと恨み言を呟いて暴れる兆候も見せ始めたところで、蓮翠がゼラムから頼まれたのが祈祷である。

 普段は幽鬼に対してやっていることを、生身の人間相手に試したのだ。

『俺とギヴィルは残念ながらその技術が()え。昨日寝る前に何回か試したけど全くうまくいかなかった。となれば、ここにいる面子の中でそれが出来るのは嬢ちゃんだけだ』

『でもそんなことして、この男の人は大丈夫なんですか。あたしが紙の札に幽鬼を吸収するのって、亡くなった人の魂を吸収してる感じというか……黒い靄がもしこの人の魂なんだとしたら、それを吸収しちゃうのは危ない気が』

『昨日言っただろ。俺の国では幽鬼は〝死者の無念が神力の塊として留まったもの〟なんだ。嬢ちゃんが吸収してるのは、魂そのものっていうより神力が具現化したもので、魂とはまた別物だと俺は思う。だから生者にやっても問題はない。多分!』

 じゃっかん不安の残る一言を付け加えられたが、やるだけやってみよう、と蓮翠が男に札を押し付けたところ、幽鬼が消えるように、男にまとわりついていた黒い靄が札に吸いこまれていった。蓮翠は「男の人の魂を吸い取ってしまったのでは」と気が気ではなかったのだが、男はほどなく正気を取り戻し、自分が置かれた状況に困惑していた。

 その後、男からひと通り事情を聞いてから送り出し、ひとまず腹ごしらえをしようと食堂に集まって今に至る。

「まずこのチンセーセキだが」ゼラムが取り出したのは、酒肆(しゅし)の店主から押しつけられた首飾りだ。「昨日の夜、俺とギヴィルで調べて出した結論が〝核のまがい物〟あるいは〝核の出来損ない〟だ」

「その〝核〟っていうのはそもそもどうやって作るわけ?」

 朱祐が素揚げされたくるみを摘まみながら問う。

「作り方自体はさして難しくないんです。強度の高い石に神力を注ぎ続ければ――石の大小によって時間は異なりますが――それだけで完成します」

 咀嚼の途中で説明できないゼラムに代わり、ギヴィルが話を継いだ。

「ただ、少しでも集中力が乱れたり、神力を注ぐ量が一定でなかったりすれば純度の低い〝核〟になってしまう。純度の高さはそのまま幻獣の完成度にも影響するので、難しくない割に気の抜けない作業だったようです」

「だったようです……? 君らは〝核〟を作ったことないの」

「作ったことがない、というか、作ってはいけないんです」

「〝核〟を作るってのはそのまま幻獣作成に直結する。つまりエアスト家が存続する条件である『二度と幻獣を作成しない』に引っかかるわけだ」

 ごくん、と音を立ててゼラムが口に入っていたものを飲みこむ。食事や睡眠は神力の回復に欠かせないそうで、それもあってよく食べるのだろう。

〝核〟の作り方を聞き終え、あれ、と蓮翠は首を傾げて卓の上に投げ出されていたチンセーセキを指先で軽くつついた。

「〝核〟を作っちゃいけないのって、今も続いてる魔術師の家系の人たちだけなんですか?」

「いや、神力の保持者なら全員駄目だ。神格化されてる幻獣の〝核〟の補修みたいな特定の条件じゃない限り基本的には禁止されている」

「もしそれを破ったら……?」

「俺の国の法律では、一生を牢の中で過ごす判決が下るだろうな。最悪の場合は――」

 ゼラムが親指を立て、首のあたりで素早く真横に動かす。聞けば前例も何件かあるという。

「とはいえ巴瑛帝国では〝核〟の作成に関する法はまだ無いようなので、取り締まられる可能性は限りなく低いですが。それを承知した上なのか、知らずに作成したがゆえの〝核の出来損ない〟なのか、今のところ判断は付きません」

「さらに厄介なのが、この出来損ない、〝核〟としての完成度を高めるための神力が不足しているのを無理やり補おうとする性質がある」

 こんな風に、とゼラムが右手に首飾りを乗せ、左手からぽんぽんと神力の光を放つ。神力の光は蛍のごとく漂っていたが、首飾り付近に来たところでずるりと引きずり込まれるように石の中へ入っていった。石は一瞬だけ七色に輝いたが、すぐに収まるとまた黒い靄が滲みだした。

「〝核の出来損ない〟は神力を石の中に留める能力にも乏しい。しかも石の中に入って一度出てくる過程で神力が澱むのか、ただの神力とは別物として排出されてやがる」

「いうなれば濾過(ろか)の逆転ですね。泥水が真水になるのではなく、真水が泥水になってしまっている。周囲に神力が足りなければ代替となるもの――主に石の持ち主の感情を吸収し、より濃い泥水としてまた排出しているようです」

「泥水……黒い靄はそのまま石の持ち主の中に沁みこんで、主に怒りや嘆き、恨みや憎しみを増幅させて石と同様に外へ滲みだす効果があるらしい。その結果が昨日の男だ」

 黒い靄は正気を失わせる効果があるようで、男は妓女を追いかけた記憶を朧げにしか覚えていなかった。男には妓女が若い男と逃げた妻に見え、捨てられた怒りと悲しみをぶつけたい衝動に駆られたという。

 妓女から聞いた通り、男は朱聖寺に寄進してチンセーセキを受け取ったそうだ。

 男の話を信じるならば、朱聖寺は普段は閉ざしている門を不定期で開放しており、寄進の礼としてチンセーセキを配布しているという。「負の感情を吸い取ってくれるお守り」であるチンセーセキを求めて来た者は男のほかにも数名おり、寄進額によって石の大きさが違ったそうだ。男が受け取ったものは一番小さいらしい。

 だが、男の話を聞いてから蓮翠には気になっていることがあった。

「朱聖寺がそんなお守りを配布してるなんて話、一度も聞いたことがないんですよね。朱祐は?」

「僕もだ。朱聖寺は何年も門が閉じられたままなんだ。そこへ入れるとなれば、もっと噂になっていてもおかしくないはずなのに」

「ひょっとすると、ごく一部の方にだけ『特別なお話』として情報を制限しているのかも知れませんね。その目的は定かではありませんが……」

「朱聖寺に行って聞き出すしかねえな。この出来損ないの核を配布してるってんなら、中には作ってる奴が確実にいるはずだ。コレを持っていけば少なくとも門前払いを食らうことはないんじゃねえか」

 確信というより希望を込めたような声音で呟いて、ゼラムが最後の饅頭を平らげる。蓮の実の餡の甘さが気に入ったのか、ゼラムは通りかかった給仕に追加で三個頼んでいた。

 食堂の賑わいはいや増し、蓮翠もそろそろ厨房の手伝いに戻ったほうが良さそうだ。ゼラムたちとはまたあとで話すと約束をつけて席を立とうとしたところで、給仕が追加の饅頭を持ってきた。

 ふと給仕の顔を見れば、先日、厨房で蓮翠から小走りで去っていった少女だった。彼女は蓮翠と目が合うと、明らかに表情を硬くしてさっと視線を逸らす。

 ごゆっくり、と饅頭を卓の上に置く仕草はぎこちない。少女はそのまま去っていくかと思ったが、「……あの」と消え入りそうな声で言いながらゼラムとギヴィルを見た。

「お二人は旅の方、なんですよね。だったらご存じないかも知れませんけど、その……あまりこの子に関わらないほうがいいですよ」

 この子、と視線で示されたのは他ならぬ蓮翠である。

 朱祐が不愉快さをあらわに立ち上がりかけるのを、蓮翠は肩に手を置いて寸前で制した。

 前からたまにあることなのだ。蓮翠が食堂や旅館の客と話していると、「この子の目は神話の不吉な怪物と同じ緑色なんですよ」とわざわざ忠告しに来る者がいる。その目的は異国人と仲良く話すのを妬んでのことだったり様々だが、少女のこれは事情を知らない旅人への純粋な心配か。

 ゼラムとギヴィルは言われた意味が分からない、と言ったように目を瞬いている。少女は神話の怪物について語ってから、より一層声を潜めて続けた。

「この子が来てから若さまのお兄さまお二人だけでなく、若さまのお母さままでお亡くなりになったって厨房の姐さんたちから聞きました。他にも細々とした災難がいくつもあるんです。だからお二人も、この子に関わったらなにか災いに巻き込まれるかもしれません。早いうちに離れた方が身のためですよ」

 おどおどと忠告する少女に、ふうむ、とゼラムが腕を組んで天井を仰ぐ。

「緑色の目は怪物と同じ目で恐れられてるっていうなら、朱雀はどうなるんだ」

「え?」

 なぜここで朱雀さまが、と蓮翠と朱祐、少女が同時に疑問を口に出せば、ゼラムはギヴィルと不思議そうに目を合わせて言う。

「この前朱聖寺に入った時、朱雀に会おうとして断られたって言っただろ。あの時、全体像は見られなかったが顔だけちょっと確認出来たんだ。朱雀がいる〝大聖殿(だいせいでん)〟の上部に明り取りの窓があるだろ? そこからほんの少しだけ」

 ゼラムが親指を頬に、人差し指を額に当てて「だいたいこれくらい」と示す。

「あの時朱雀の目も見えたが、俺の見間違いじゃなきゃあ嬢ちゃんと同じ緑色の目だったぞ?」

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