変わるわよ!!
ごめん、彼は何度も謝ってティッシュを次から次へと取り出した。
あわてて拭こうとするが、すでにユキのブラウスとスカートにはどでかいシミができている。
「熱くなかった? ダイジョウブ?」
「は、はい」ユキ、すでにここに入ってきた時から泣きそうだったのに、その上、これだ。
あたふたとタオルを探している彼が、あかねの言っていた『バックパッカーのステュー』だろう。脳天気そうな、と聞いていたけどユキには誰もが恐ろしくみえる。
「弱ったな……ちょっと待ってて、替わりの服があるか聞いてみるよ」
彼が着替えを持って戻ってきた時、
「あの……」百年に一度の勇気を奮い起し、ユキは言った。声が震えているのが自分でも分かる。
「悪いけど、帰ります」ステューは申し訳なさそうに服のシミに目をやった。
「悪かったね、ほんとに」
「いえ」立ち上がったところに
「せめて、これ着ていって」やさしく、服を差し出した。自然な動作に、ユキ、ドキドキしながらもつい、手を差し伸べる。
「着替えはね、更衣室があるから」
「いいんです、このままでも」
「可愛い子を、そんなカッコで帰らせるのは申し訳ないもの」
でもそうすると、今度は服を返しに来なければ、そう思ったが、なぜか導かれるまま、ユキは通路を進んでいく。
「ああ、スティーヴン」通路の先、少し広くなったところに、なぜか白衣の女性が立っていた。
「このコは」
「着替えを」
「ああ、はい了解」女性は優しく、ユキの肩に手を置いて、更に先に見える、つきあたりのエレベータらしきドアへと導いた。
その時、ふとふり向いて見た時のステューの目を、ユキはそれから何度か思い出す。
彼は優しくほほ笑みを浮かべていた、だが、その瞳の中にかすかな哀しみが見えたような気がして、ユキは思わず足をとめた。
彼は片手を上げた。女性に軽く押されるようにして、ユキはまた、前に進んだ。
「シキベ、ユキさん、って言うのね」
「はい」
「ごめんなさいね、更衣室狭くて。しかもエレベータとよく間違えられるのよ」
「みたいですよね」
声がだんだん遠のいていく。スティーヴン
「ふう」疲れきった様子で、窓際にもたれ、煙草を取り出した。
長々と煙を吐き出す。が、心は晴れない。
確かにお役目は済んだ。あのオンナさえヘンゲになっちまえば、もうあのチビとも縁が切れる。これでオレは自由だ。
だが、別れた時のあのコの表情が、なぜだかずっと目に焼き付いて離れない。
ガキだった頃、初めて日本の小学校に通った当時。
学校で、『ドナドナ』の歌を習った。
その歌の、仔牛が可哀そうで、彼は何度か歌っている途中でワンワン泣き出した。
周りにはさんざんバカにされ、あだ名も『ドナドナ』に決まった時、彼は誓った。
ドナドナ的世界と、永遠に決別してやる。
それがここにきて、どうだ。スティーヴン、半分以上残った煙草を窓枠でもみ消し、
「クソったれ」腕を組んで、またほどいた。
なぜノコノコとやって来たんだ、クソアマっこめ。どうして見も知らぬ人間を信用する、どうしてそうすぐ騙されるんだ、「大バカどもめ」
スティーヴン、ゆっくり、彼らの消えた方へと足を踏み出した。歩き出し、だんだんスピードが上がっていく。
間に合うだろうか、間に合わなかったら、それは仕方ない、運命だ。あのコの不運だ。
でも、もし間に合ったら言ってやる。
もう二度と、他人を信用するんじゃない、と。
改造室は、しかし、空だった。
スティーヴン、半分足を踏み入れ、途方にくれたように周りを見渡す。
どこに行った、アイツら。
そう言えば、あのハライソというインチキ科学者が前に言ってたような気がする。
「第二改造室のテストも近いうちに行おうかと……」
「この下か」つぶやいてふり向き、そのせつな、さしものスティーヴンも完全に硬直した。
目の前に、青い顔してユキが立っている。
「あ」言葉が出ない。混乱の中、彼は必死に言葉を探した。
「もう着替えた、のか」
「キガエタ?」どうも様子がおかしい。服は確かにさっきと違うが、彼が渡したヤツでもない。
それに、何かが決定的に違っている。
「ここは、何?」目の前のオンナが聞いた。
「まだ、入ってなかったのか?」
「どこに」
「更衣室」
「何で入るの」
スティーヴンの声は、ほとんどささやきに近かった。
「悪いこと言わないから、今すぐここから逃げろ、外に」
腕を掴み、ぐいぐい引っ張る。通路を引きずろうとした。
「頼むから、逃げてくれ、早く」
「痛いわね、何すんのよ、何の話?」
「説明できねえ、とにかく早くこっから出てけ」
急に、彼女はぐい、と踏ん張った。
「あんだよ」
「あの子はどこ」
「あのコ?」
「ユキ、織部ユキ。きょう来たでしょ、バイトで」
スティーヴンの表情を、あかねは完全に読みとった。
「どこにいるわけ」
彼はぼうぜんとしたまま、下を指さす。「あっちの突き当たりに階段が」
聞くより早く、彼女はいちもくさんに駆けだした。
「ま、待て」
「ゆきーーーーっ」
二重のドアが閉まる間際、あかねはその部屋に飛び込んだ。
「あれ、あかね」ユキはきょとんとしている。
「どうしたの?」
「ここを出ましょ、早く」
外から聞けたのはそこまで。スティーヴン、目の前で閉ざされたドアに身体ごとぶつかっていった。しかしびくともしない。彼は叫ぶ。
「早く止めろや、クソったれどもめ!」
拓人も駆けこんできた。
「な、何今の、何だったんだ?」
「もう止まりませんよぉ」モニタールームいる原磯博士の声が、スピーカー越しに聞こえる。
「お二人とも、変化になっちゃいました。ジャマですから外で待っててくれないかなぁ」
「二人?」拓人、イヤイヤとかぶりを振っている。
「さっきのアレ、見間違いだよな、なんだかさ、ユキちゃんがダブって見えたような……アレ、気のせいだよな、な、そうだと言ってくれよ」
伝助とサクもあわてて入ってきた。
「どうしたん? 何かトラブル?」
「二人、入っちまった」そうつぶやきながらもスティーヴン、ようやく気を取り直し、拓人の襟がみに手をかける。
「さ、約束だ。オレは降りたからな」
「ふ、二人って」拓人、まだ状況についていけていない。「どーゆーこと?」
「アイツら、双子なんだろ? 最初ユキってヤツが入って、それからもう一人」
「そうゆう場合って、どうなるんやろ?」伝助が心配そうに聞いた。
「まあ、ダイジョウブでしょう。理論的には」原磯博士の呑気な声が響く。
「残った変化はあと一つだから、二人で半分ずつ因子を分けることになるでしょうね。しかも一卵性双生児というのは条件もいいでしょう。どちらにせよ、五人の変化が必要なのでこのまま計六人でタグを組んでも」
今度は、スティーヴンが固まった。
「あんだと」すでに廃人同様の拓人をゆさゆさと揺さぶり
「六人でタグ? 何のことだ」
「スティーヴンのオニイサンも、最初からちゃんと数に入ってる、ってことですよ」
感情のない声で、拓人が応える。
「抜けられるなんて、ウソに決まってるでしょ。始めにビデオでやったじゃないスか。五つの色があって五つの変化、って……」自分に言い聞かせるように
「なぜか、ニンゲンは六人もいるけどね」
「オレに言ったアレは、嘘だったんだな」
「ああ」拓人、急にしゃんと背筋をのばした。
「ウソだよ、大ウソ。ああでも言わなきゃ、協力なんてしなかっただろうし。それでなくてもこう事態をややこしくしてくれるし」
それからスティーヴンに指を突きつけた。完全に逆ギレている。
「でもさ、仕方ねえだろ? アンタだって言ったじゃねえかよ、なっちまったからにはヤってやる、なんてさ。今さら何だよ、自分が辞めたいばっかりに、オンナたぶらかすのにイッショケンメイになっちゃって、急におじけづいたのかよ、はぁ?」
「くぉのガキぃ」スティーヴン、こぶしを天高く振り上げた。
突然、耳をつんざくようなアラーム音。四人はぎょっとなって身構えた。
低いモーター音とともに、両開きのドアがゆっくりと開いた。霧のような白い煙が流れ出て、そこにいる誰もがよく知っている、あの香りが漂った。
オレンジの花のような、そして少し、落ち葉を焚いた時の煙のような香り。
まず、出てきた一人は、まっすぐ正面を見つめたままだった。
「お、おい」どっちだ、と聞くようにスティーヴン、すぐ脇にいた朔太郎に聞く。
「あかねちゃん、かなあ」
「ユキだよ」拓人、一歩前に出る。
「いや、服が違う」スティーヴン、思い出した。
「後から来たほうだ」
その一言で、条件反射的に拓人は後ろに引っこんだ。
「あ、あかね」そっと呼んでみたが、聞こえていないのか彼女は顔をまっすぐ前に向け、かすかにうっとりとした表情を浮かべたまま、その場にいったん立ち止まった。
「調整室にどうぞ。そのまま、まっすぐ」原磯博士の声に導かれるように、そのまま、かれらの前を無言のまま横切って、向かい側のドアへと消えていった。
続いてもう一人、改造室のドアから姿をみせた。同じように、陶然とした表情で、彼らの前に歩いてくる。コーヒーの染みはすっかり乾いて、茶色いシミになっていた。
「あの、ユキ……」拓人は彼女の前に出た。
「だい、じょうぶ……?」
そこで、もろ
「んなワケ、ねーだろおぉぉぉっ!」
これはオドロキ。ユキの、というか変化渾身の蹴りが生身のストマック直撃。
肉体面と精神面に、思いもかけない攻撃を受け、拓人
「!」言葉もなく、へたりこむ。そこに人差し指を凶器のように突きつけ、ユキだと思いこんでいたそのオンナは一気にまくし立てた。
「ユダンしたわね、イクシマタクト。やっぱりアンタが絡んでたんだ。改造室の中で、たのしーたのしーお話を聞かせていただいたわ。面白いわね、『ヘンゲの世界によーこそ』だって。B級SF映画もまっつぁお、だいぶわらーかしてもらったわ。それに二人で半分ずつだと、変化改造時間も半分の時間で済むみたいね、中で時間も余ったし、ユキと服を取り替えっこしてみたワケ。どう?このスットコドッコイのトーヘンボク! これでもくらえぇぇっ、えいっ! えいっっっ!」
そうして、伍人衆は完成した。




