第五話:愛のロボトミー、静寂の廊下の幻影
その夜、新宿の夜景を見下ろすペントハウスで、エドは朱里を甘やかしていた。凝り固まった妻の肩を揉みほぐし、首筋に優しく口づけを落とす。エドが纏う高級香水の香りと、微かに混ざる消毒液の臭い――その組み合わせは、今の朱里にとって吐き気と依存を同時に引き起こすものだった。
「今日は素晴らしかったよ、朱里」エドが耳元で囁き、高級なチョコレートを彼女の口に運ぶ。「だが分かっているよ、まだあの看護師のことが頭を離れないんだろう? 考えすぎるのは精神衛生上よくない」
朱里はエドの広い胸に寄りかかり、虚ろな目で窓の外を見つめた。ガラスの反射に映るのは、自分とエドだけではない。部屋の隅に、背骨を剥き出しにしたB3ラボのホームレスの影が立ち、空っぽの眼窩で自分を見つめているのが見えた。
「エド……あそこに、彼が……」朱里は震える指で虚空を指差した。
エドは振り向きもしなかった。代わりに朱里を強く抱きしめる。毒を孕んだ抱擁だ。「誰もいないよ、可愛い人。それはただのシナプス疲労だ。新しい『集中対象』が必要だね。明日、ミオを完全に治療してあげよう。経眼窩ルートによる化学的ロボトミーを行う」
朱里は息を呑んだ。「ロボトミー? でも、それでは彼女の人格が消えてしまうわ、エド! 彼女はミオではなくなってしまう!」
エドは朱里の身体を自分の方へ向けさせ、催眠的な強さで彼女を見つめた。「これは彼女のためだ、朱里。幻覚や恐怖から解放してあげるためだよ。私を愛しているなら、そして彼女を想うなら、協力してくれるね? 邪魔者のいない、二人だけの幸せが欲しいだろう?」
エドは彼女に口づけをした――甘い毒のようなキスだ。朱里は逃げ場を失った。あの死体たちの幻覚を止める唯一の方法は、自身の「神」である犬神エドの命令に従うことだけだと感じ始めていた。
翌日 ―― 秘密処置室
ミオが運ばれたのは大手術室ではなく、狭く冷たい処置室だった。麻痺した彼女の手足は、ベッドの横に革の拘束具で固定されている。ミオは、朱里が長い針と濁った液体の入ったバイアル瓶をトレイに載せて入ってくるのを見た。
「先生……朱里さん……お願い……」ミオが喘ぐように乞う。
朱里は答えなかった。彼女の瞳の中では、ミオの顔が昨夜見た死体たちの顔へと刻々と変貌していた。彼女は正気を失い始めていた。
「静かにして、ミオ。これは……あなたが二度と苦しまないためなの」朱里は壊れたロボットのような声で囁いた。
エドは朱里の背後に立ち、その両肩に手を置いて、操り人形師のように彼女の動きを制御していた。
「そのロイコトーム(眼窩針)を使え。眼球の上の眼窩隙から刺入するんだ。前頭前野にエタノールと微量のホルマリンの混合液を直接注入する」
メディカル・ゴアは頂点に達した。朱里はミオの瞼を無理やり押し広げる。ミオは抗おうとしたが、拘束具はあまりに強固だった。
「さあ、朱里。この役立たずの人間への憐れみよりも、私への愛の方が大きいことを証明してくれ」エドが冷酷に命じる。
――グチャリ。
朱里は長い針をミオの目尻の奥へと突き立てた。眼窩の裏の薄い骨を貫く際、微かに「パキッ」という音が響く。ミオは短く悲鳴を上げ、全身を激しく痙攣させた。朱里はゆっくりと薬液を注入し始めた。
その瞬間、朱里には部屋の壁から血が噴き出しているように見えた。彼女に憑きまとっていた死体たちが今や手術台を取り囲み、悍ましい静寂の中で拍手を送っている。
「いい子だ、愛しい人。あと少しだ」エドはミオの頭に針が刺さったままの状態にもかかわらず、朱里の頬を撫でて称賛した。「見てごらん、彼女は穏やかになった。すべてを忘れ始めている。これからは私たちだけだ」
ミオの抵抗が止まった。恐怖に満ちていた瞳は、今や空虚で、澄んでいて、命の灯火が消えていた。彼女は生きている。だが、その魂は朱里が注入した化学物質によって完全に削り取られたのだ。
朱里は針を引き抜くと、小さく笑った。それは、自分自身と狂気の境界線が完全に崩壊したことを告げる笑い声だった。




