第8話 新人冒険者の勘違い
新人冒険者トムは、ここ数日ずっと落ち着かなかった。
理由は、はっきりしている。
――雑用係のアルト。
いや、正確に言うなら「元・雑用係」なのかもしれない。
最近では、誰も彼をそう呼ばなくなっていた。
表立って口にする者はいない。
だが、視線が違う。
ギルドのロビーを歩いているだけで、空気が一段重くなる。
ベテラン冒険者ですら、アルトの前では声を落とす。
なのに。
「おはようございます」
本人は、今日もいつも通りだった。
箒を持って、床を掃いている。
動きは丁寧で、無駄がない。
「……あ」
トムは、思わず立ち止まった。
進行方向に、アルトがいる。
どうする。避けるべきか。声をかけるべきか。
迷っているうちに、アルトの方が先に気づいた。
「おはようございます。通りにくいですか?」
「い、いえっ!」
トムは、反射的に背筋を伸ばした。
「だ、大丈夫です!」
「そうですか。気をつけてくださいね」
それだけ言って、アルトは箒を動かし続ける。
……それだけ。
圧もなければ、威圧感もない。
なのに、トムの心臓はバクバクしていた。
(この人が……S級魔物を……)
いや、正確には「片付けた」。
倒した、ではない。
処理した、でもない。
後始末のついでに、終わった。
思い出すだけで、背中が寒くなる。
「……何してるんだ、俺は」
トムは、意を決して近づいた。
「あ、あの……アルトさん」
「はい?」
アルトは、すぐに手を止めた。
「何か、困ったことですか?」
困ったこと。
ある。
ありすぎる。
「い、いえ……その……」
言葉に詰まる。
どう話しかければいい?
敬語? それとも、普通?
結局、トムは一番素直なことを言った。
「……ありがとうございます」
「?」
「この前の……廃施設で……」
アルトは、少し考えてから、ぽんと手を打った。
「ああ、掃除の時ですね」
掃除。
その一言で、トムの中の世界観が崩れかける。
「おかげで……皆、助かりました」
「それなら、良かったです」
アルトは、本当に安心したように笑った。
「危ないものが残ってると、後で困りますから」
トムは、確信した。
この人は、強いから助けたんじゃない。
助けたいから、そうした。
力は、その結果に過ぎない。
(……化け物じゃない)
同時に、別の考えが浮かぶ。
(……いや、だからこそ……)
怖い。
でも、それ以上に。
尊い。
その日の昼。
新人冒険者たちが、酒場スペースの隅に集まっていた。
「なあ……聞いたか?」
「アルトさんの話だろ」
「ギルド専属になったらしい」
「やっぱり……」
トムは、黙って聞いていた。
「前線に出ないって」
「なのに、後始末に回ると全部終わるって」
「……抑止力、ってやつじゃないか?」
その言葉に、皆が頷く。
トムも、ゆっくりと頷いた。
その認識は、自然に共有されていく。
――アルトは、頼ってはいけない。
――でも、最後に必ずそこにいる。
午後。
トムは、簡単な依頼を受けてギルドを出ようとしていた。
その時、アルトが声をかけてきた。
「トムさん」
「は、はい!」
「これ、運ぶの手伝ってもらえますか?」
木箱。
雑用だ。
「も、もちろんです!」
二人で運びながら、トムはふと気づく。
アルトは、重さを気にしている様子がない。
でも、トムが持ちやすいように、微妙に位置を調整している。
気遣い。
徹底的な。
「……アルトさん」
「はい?」
「……その……前に出なくて、いいんですか?」
勇気を振り絞った質問。
アルトは、少しだけ考えた。
「うーん……」
そして、静かに言った。
「僕、前に出るの、向いてないので」
「……そう、ですか」
「ええ。掃除とか、後ろの方が好きです」
それ以上でも、それ以下でもない。
トムは、胸の奥で何かが固まるのを感じた。
この人は、選んでいる。
逃げているわけじゃない。
恐れているわけでもない。
“役割”を、自分で決めている。
その日。
新人冒険者たちの間で、ひとつの共通認識が生まれた。
――アルトには、逆らわない。
――アルトを、利用しない。
――アルトが静かにしていたいなら、それを守る。
誰に言われたわけでもない。
自然に、そうなった。
噂は、さらに形を変える。
恐怖ではなく、
崇拝でもなく。
――尊重、という形へ。
本人だけが、最後まで気づかないまま。




