第34話 お願い
出発の前日。
アルトは、倉庫の奥で最後の確認をしていた。
「……棚は問題なし。
工具も揃ってますね」
やり残しがないように、丁寧に見て回る。
「一週間ですし、大丈夫でしょう」
そう呟いた時。
「アルト」
背後から声がした。
振り向くと、セリアが立っていた。
鎧は着けていない。
騎士団の制服でもない。
ただの、ひとりの人間として。
「……副官さん?」
「今日は、騎士としてではない」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「セリアとして来た」
***
倉庫の中は静かだった。
木箱と棚の匂い。
差し込む夕陽。
セリアは、しばらく口を開けなかった。
「……帰るのか」
「はい」
アルトは、穏やかに答える。
「少しだけ」
「止めはしない」
即座に付け加える。
「止める資格はない」
沈黙。
***
「だが」
セリアは、一歩踏み出した。
「お願いがある」
その言葉に、アルトは目を瞬いた。
「お願い?」
「帰るな、ではない」
はっきりと言う。
「戦え、でもない」
拳を握る。
「ただ――」
声が、わずかに揺れる。
「戻ってきてほしい」
それは、騎士としての命令ではない。
ただの、願いだった。
***
アルトは、少し考えた。
「……戻るつもりですけど」
「それを、約束してほしい」
セリアは、視線を逸らさない。
「あなたがいない間、
何が起きるか分からない」
「起きないかもしれませんよ?」
アルトは、困ったように笑う。
「そうかもしれない」
「なら」
アルトは、棚に手を置いた。
「僕が戻る理由って、何でしょう」
セリアは、言葉に詰まる。
世界のため?
国のため?
平和のため?
どれも違うと、分かっている。
***
「……この棚」
アルトが、ぽつりと言った。
「まだ、途中なんです」
「え?」
「奥の方、少し歪んでいて」
軽く押すと、棚が揺れる。
「ちゃんと直してから、帰らないと」
セリアは、目を閉じた。
この人は。
世界を背負っていない。
本当に。
「……それが理由か」
「はい」
アルトは、頷く。
「掃除、溜まりますよ?」
冗談のようで、本気だった。
***
セリアは、ゆっくりと息を吐いた。
「分かった」
顔を上げる。
「なら、私は」
ほんの少しだけ、笑った。
「あなたが戻ってくる場所を、守る」
アルトは、少し驚いた顔をする。
「守る?」
「あなたがいなくても、
壊れないように」
それは、騎士の誓いだった。
剣を抜くための誓いではない。
戻る場所を残すための誓い。
***
アルトは、しばらく考えた。
「……ありがとうございます」
深く、頭を下げる。
「でも」
顔を上げ、穏やかに言った。
「壊れそうなら、直せばいいだけです」
それだけ。
セリアは、笑うしかなかった。
***
別れ際。
「一週間後」
セリアが言う。
「必ず、戻る」
「はい」
「約束だ」
「約束、ですね」
軽い返事。
だが、その言葉が、
どれだけの重さを持っているか、
本人は知らない。
***
倉庫に残った夕陽が、ゆっくりと沈む。
セリアは、振り返らずに去った。
正義は、ようやく居場所を見つけた。
剣の先ではなく。
“戻ってくる日常”を守るという場所に。
アルトは、棚を見上げる。
「……明日、出発ですね」
それだけを思いながら、
最後の釘を打ち込んだ。
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