第32話 いなくなる、という仮定
その日の昼下がり。
アルトは、倉庫の棚の前で腕を組んでいた。
「……これ、来月でも大丈夫ですね」
木箱を一つ持ち上げ、軽く振る。
中身は乾燥薬草。すぐに腐るものではない。
「急ぎじゃない仕事、増えましたね」
独り言のように呟き、木箱を戻す。
そのまま、何気なくカウンターへ向かった。
「リリアさん」
「はい?」
「来月なんですが」
その一言で、リリアの手が止まった。
「少し、実家に戻ろうかと思って」
静かに、空気が固まる。
「……実家、ですか?」
「はい」
アルトは、申し訳なさそうに笑った。
「最近、仕事も落ち着いてますし。
一週間くらいなら、問題ないかなと」
一週間。
その単語が、重く落ちる。
***
執務室。
「……一週間?」
ミーナが、声を落とす。
「ああ」
グランは、目を閉じた。
「本人は、軽い」
「軽いでしょうね……」
軽い。
だからこそ、重い。
「止める?」
「理由がない」
グランは、淡々と答える。
「止めた瞬間、
“止めなければならない存在”だと自覚させる」
それだけは、避ける。
***
同じ頃。
王都。
「……一週間、ですか」
報告を受けたユリウスは、椅子に深く腰掛けた。
「長期、ですね」
「本人は私的理由とのこと」
「当然だ」
ユリウスは、静かに言う。
「彼は、何も背負っていない」
それが前提だ。
「試算は?」
「小規模事象の発生率、やや上昇。
大規模事象、予測不可」
「予測不可、か」
ユリウスは、目を細める。
「正直だな」
***
ギルドの裏庭。
セリアが、グランを訪ねてきていた。
「本当ですか」
「ああ」
「止めないのですか」
「止めない」
即答。
「彼は、自由だ」
セリアは、唇を噛んだ。
「もし、その間に――」
「起きたら、我々が対応する」
グランは、セリアを見据える。
「それが、本来の役目だ」
沈黙。
それは、騎士団の正論でもある。
だが、今は重みが違う。
***
夕方。
アルトは、工具を整えながら言った。
「久しぶりなんです。
実家に帰るの」
リリアは、できるだけ自然に微笑む。
「ご家族、喜びますね」
「……どうでしょう」
アルトは、少しだけ視線を落とす。
「掃除の話しか、できない気がします」
それは、冗談のようで、本音だった。
***
その夜。
街のあちこちで、
小さな違和感が生まれ始めていた。
誰も気づかないほどの、微細な歪み。
だが、それは確かに存在する。
まだ、何も起きていない。
ただ。
世界が、初めて
“彼がいない時間”を具体的に数え始めただけだ。
***
寝る前。
アルトは、鞄を眺めていた。
「……何日分、用意すればいいでしょうか」
服を畳みながら、少し考える。
「一週間は、長いですかね」
自分のいない街を、想像する。
だが、特に不安はない。
「……皆さん、優秀ですし」
灯りを消す。
世界は、まだ何も変わっていない。
だが。
“いなくなる”という仮定が、
静かに、すべてを揺らし始めていた。
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