第31話 正義の置き場
訓練場の朝は、いつも同じ音から始まる。
号令。
剣戟。
踏み込む足音。
騎士団にとって、それは秩序そのものだった。
――なのに。
「……違う」
セリア・ヴァルシュは、剣を構えたまま動きを止めていた。
目の前には、模擬戦の相手。
動きは正確で、判断も速い。
文句のつけようがない。
それでも。
「終わらない」
剣を振れば、勝てる。
だが、勝った先に何があるのかが、見えない。
***
模擬戦が終わり、訓練場にざわめきが戻る。
「副官殿、どうしました?」
部下の騎士が、慎重に声をかける。
「集中が、少し……」
セリアは、そう答えるしかなかった。
だが、理由は分かっている。
頭から離れないのだ。
――剣を抜かずに終わった、あの現場が。
***
執務棟の廊下を歩きながら、セリアは報告書に目を通していた。
――街道沿い小競り合い
――被害なし
――原因:自然解消
自然解消。
最近、やけに多い言葉だ。
「……自然、ね」
呟きが、誰にも聞かれずに消える。
自然なら、判断はいらない。
自然なら、責任もない。
だが、あれは本当に“自然”だったのか。
***
昼。
騎士団の食堂で、セリアは一人、席に着いていた。
「……最近さ」
向かいに座った同僚が、何気なく言う。
「仕事、楽じゃない?」
「……そう?」
「前みたいに、
『最悪を想定して突っ込む』感じがない」
セリアは、スプーンを止めた。
「それは、いいことじゃないの」
「まあな」
同僚は、肩をすくめる。
「でもさ……
俺、ちょっと怖いんだ」
「怖い?」
「理由が分からない楽さ、ってさ」
セリアは、何も言えなかった。
その感覚を、彼女も抱いている。
***
午後。
街の巡回任務の途中、セリアは立ち止まった。
裏路地。
以前は、揉め事が起きやすかった場所。
だが今は、静かだ。
「……ここも」
剣に手をかける必要すら、ない。
セリアは、視線を地面に落とした。
排水溝。
補修された壁。
通りやすくなった道。
(……戦場じゃない)
それなのに、結果は同じだ。
“終わっている”。
***
その頃。
アルトは、ギルドの倉庫で棚卸しをしていた。
「……この箱、軽くなってますね」
中身を確認し、配置を変える。
危ないものは、奥へ。
よく使うものは、手前へ。
いつも通り。
「……これで、取り出しやすいと思います」
誰にともなく、そう言って作業を続ける。
***
夕方。
セリアは、王都の外れで一人、立ち止まっていた。
「……正義は、剣だ」
それが、教えだった。
剣を抜き、敵を断ち、
脅威を排除する。
だが、あの男は違った。
剣を抜かない。
前線に立たない。
それでも、
誰も傷つかない。
「……じゃあ、私の剣は」
問いは、宙に浮く。
***
夜。
セリアは、報告書の空白を前にしていた。
書けない。
正確に書けない。
“異常なし”と書くには、
確信が足りない。
“脅威あり”と書くには、
根拠がない。
ペンを置き、深く息を吐く。
「……正義の置き場が、分からない」
剣を持つ理由が、揺らいでいる。
そのことに、
彼女自身が、気づいてしまった。
***
同じ夜。
アルトは、道具を磨き終え、灯りを消した。
「……明日は、棚の続きですね」
考えているのは、それだけ。
正義の在処も。
剣の意味も。
彼の生活には、関係がない。
だが、その無関心こそが、
一人の騎士の正義を、
静かに揺さぶり続けていた。
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