第30話 正義は、まだ諦めていない
騎士団本部の訓練場は、朝から騒がしかった。
号令。
剣戟の音。
規律正しい動き。
その中央で、セリア・ヴァルシュは一人、動きを止めていた。
「……納得できない」
小さく、しかしはっきりと呟く。
結果は出ている。
被害は抑えられ、街は安定している。
だが、その“理由”が、どこにもない。
***
「副官殿」
部下の騎士が、恐る恐る声をかける。
「例のギルドですが……」
「分かっている」
セリアは、すぐに答えた。
「アルト・レイン。
雑用係。
前線には出ない。
だが、戦場は終わる」
言葉にすると、ますます納得できない。
「……それでも」
セリアは、拳を握る。
「力があるなら、
正面から向き合うべきだ」
それが、彼女の正義だった。
***
その日の午後。
セリアは、正式な命令ではなく、
“個人的な確認”として街を訪れていた。
護衛も、部下も連れていない。
「……今回は、話すだけ」
自分に言い聞かせる。
触れない。
踏み込まない。
――そのつもりだった。
***
裏路地。
アルトは、壊れた排水溝を直していた。
「……ここ、詰まりやすいですね」
泥を掻き出し、水の流れを整える。
その背後で、足音が止まった。
「アルト・レイン」
呼ばれて、アルトは振り返る。
「……あ」
見覚えのある鎧。
「この前の、副官さん」
「セリア・ヴァルシュだ」
名乗り直す声は、硬い。
「少し、話がしたい」
アルトは、周囲を見渡した。
「……今、作業中なんですが」
「終わるまで待つ」
即答だった。
***
数分後。
排水溝は整い、水が静かに流れている。
「……お待たせしました」
アルトは、手を拭いた。
「それで、何でしょうか」
セリアは、真っ直ぐに言った。
「なぜ、前線に出ない」
アルトは、少し驚いた顔をした。
「……危ないからです」
即答。
「それだけ?」
「はい」
セリアは、言葉に詰まる。
「街を救える力があるのに?」
「……救えている、でしょうか」
アルトは、首を傾げた。
「僕は、壊れそうなものを直しているだけです」
***
「それが、戦いだ」
セリアは、思わず強く言った。
「あなたは、戦っている」
「……そうでしょうか」
アルトは、困ったように笑う。
「剣も振れませんし」
「結果がすべてだ!」
声が、少しだけ大きくなる。
「あなたが関わった場所は、
必ず“終わっている”」
沈黙。
アルトは、しばらく考えた。
「……終わっているなら」
静かに、言った。
「誰かが、戦わなくて済んだ、ということですよね」
セリアは、言葉を失った。
***
「それって、悪いことですか?」
アルトの声は、穏やかだった。
「皆さんが無事なら、
僕は、ここで掃除していた方がいいと思います」
セリアは、唇を噛む。
正論だ。
だが、自分の正義が、否定された気がした。
「……逃げているわけじゃないのか」
「逃げてたら、
こんな面倒な仕事、続けません」
アルトは、少し笑った。
***
その時。
通りの向こうで、商人同士の口論が起きかけた。
セリアが反射的にそちらを見る。
だが、アルトは動かない。
排水溝の蓋を、少しだけ調整する。
――カチ。
水の流れが変わる。
数秒後、商人の一人が気づいたように言った。
「……あれ?
水、こっち流れてるぞ」
「……じゃあ、通れるな」
口論は、それだけで終わった。
セリアは、その一部始終を見ていた。
剣は抜かれない。
声も上がらない。
だが、確かに“終わった”。
***
「……理解した、とは言えない」
セリアは、低く言った。
「でも」
アルトを見る。
「あなたを、無理に引きずり出すべきじゃないことは分かった」
アルトは、ほっとしたように息を吐いた。
「それなら、良かったです」
***
別れ際。
セリアは、一つだけ聞いた。
「もし……」
言い淀む。
「もし、
本当に誰も手を付けられない事態が起きたら」
アルトは、少し考えた。
「……その時は」
静かに。
「掃除できる範囲で、やります」
それ以上は、言わなかった。
セリアは、深く頭を下げた。
正義は、まだ諦めていない。
だが、この日。
正義は初めて、
“剣を抜かない解決”を、
現実として見てしまった。
アルト・レインは、
今日も雑用を終え、家路につく。
世界は、また一つ、
彼に近づかない理由を増やした。
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