第29話 代わりを置かない理由
休暇明けの朝。
アルトは、いつも通りの時間にギルドへ向かった。
「……おはようございます」
声は、変わらない。
歩幅も、呼吸も、昨日までと同じ。
だが――迎える側が違った。
「……おはよう」
返事はあったが、視線が多い。
露骨ではない。
けれど、確実に“見られている”。
「……何か、ありました?」
アルトが首を傾げると、リリアは一瞬だけ間を置いた。
「いいえ。何も」
それが、今朝一番の嘘だった。
***
執務室。
グランは、昨夜まとめられた報告書に目を通していた。
――休暇期間中
――小規模トラブル:未然解消(偶発)
――依存兆候:軽微
――代替措置:未実施
「……未実施、で正解だな」
ミーナが、腕を組んだまま言う。
「正直、一部からは
“代わりを置くべきだった”って声も出てる」
「愚策だ」
グランは、即座に切り捨てた。
「代わりを置いた瞬間、
“代わりが必要だ”と世界が勘違いする」
それは、最も避けるべき誤解だった。
***
同じ頃、王都。
ユリウス・フェインは、同じ報告を読んでいた。
「……代替なし、か」
部下が慎重に言う。
「一部の部署では、
“不在時マニュアル”の作成を提案しています」
「却下だ」
間髪入れず。
「マニュアルとは、
再現可能だと宣言する行為だ」
ユリウスは、机に指を置く。
「彼は、再現不能だ。
だから“手順”を作ってはいけない」
部下は、言葉を失った。
***
ギルドの裏庭。
アルトは、いつものように柵の点検をしていた。
「……ここ、昨日直した気がしますね」
休暇前に直したはずの場所。
だが、わずかに歪んでいる。
「……気のせいでしょうか」
木を削り、釘を打つ。
ほんの数分。
その瞬間、
街道沿いで起きかけていた小競り合いが、
第三者の介入で自然解散した。
因果は、誰にも見えない。
***
「アルト」
背後から、グランが声をかける。
「昨日は、どうだった?」
「休暇ですか?」
アルトは、少し照れたように笑う。
「楽しかったです。
普段通らない道を歩けましたし」
「……不安は?」
「え?」
「街が気になる、とか」
アルトは、少し考えた。
「……ちょっとだけ」
正直な答えだった。
「でも、一日くらいなら大丈夫だろう、って」
その言葉に、グランは内心で頷いた。
(“一日くらい”という感覚が、救いだ)
***
昼。
冒険者たちの間で、噂が囁かれていた。
「昨日さ……アルト、いなかったろ」
「なのに、何も起きなかった」
「……じゃあ、いなくてもいいんじゃ?」
その会話は、途中で止まった。
「……いや」
「それ、違う気がする」
理由は言えない。
だが、感覚が拒否している。
“代わりがいる”という発想を。
***
夕方。
アルトは、業務日誌に目を通しながら言った。
「……昨日、特に何もなかったんですね」
「ええ」
ミーナは、静かに答える。
「だからこそ、
今日も“いつも通り”でいてください」
「……はい?」
「掃除して、整理して、
余計なことをしない」
アルトは、少し笑った。
「それなら、得意です」
***
その夜。
王都の最終報告には、こう書かれた。
――対象者不在耐性:短期のみ確認
――代替計画:策定不要
――結論:現状維持が最適
ユリウスは、ペンを置いた。
「……代わりを置かない理由は、簡単だ」
誰にともなく、呟く。
「“代わりがいない”と、
世界が理解してしまった瞬間、
それはもう、依存になる」
アルトは、その頃、
道具を磨き終えて帰路についていた。
「……明日は、どこを掃除しましょうか」
変わらない日常。
だが、世界の側は、
一つの選択肢を永遠に封じた。
――彼の代わりを、置かない。
それが、
この世界が学んだ、
二つ目のルールだった。
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