第28話 休暇申請
その日、アルトは少しだけ迷っていた。
朝の業務確認を終え、箒を片付けたあとも、
なぜかカウンターから離れられない。
「……あの」
意を決して、リリアに声をかける。
「何か、追加の仕事ありますか?」
「今日は、もうありませんよ」
即答だった。
「えっと……本当に?」
「はい。本当に」
念押しされて、アルトは困ったように頭を掻いた。
「……じゃあ」
少し間を置いて、続ける。
「明日も、同じ感じでしょうか」
「今のところは」
リリアは、微笑みながら答えた。
それを聞いて、アルトは深く息を吸った。
***
「……でしたら」
声を落とし、申し訳なさそうに。
「一日、休暇をいただいてもいいでしょうか」
その瞬間。
カウンター裏の空気が、凍った。
「……休暇、ですか?」
リリアの声が、わずかに裏返る。
「はい」
アルトは、慌てて付け加えた。
「具合が悪いわけじゃないんです。
ただ、最近……時間が余るようになって」
余る時間。
それは、今まで存在しなかったものだ。
「少し、街の外を歩いてみようかなって」
***
その会話は、意図せず執務室にも届いていた。
「……今、何て?」
ミーナが、書類から顔を上げる。
「休暇、だそうだ」
グランの声は、低い。
短い沈黙。
「……一日?」
「本人は、そう言っている」
「……一日、か」
ミーナは、椅子に深く座り直した。
一日。
たったそれだけ。
だが。
「……代替は?」
「不要」
グランは、即答した。
「彼の“代わり”を考え始めた時点で、
もう手遅れだ」
それは、国からの接触ルールにも、
暗黙で含まれている。
***
王都。
ユリウス・フェインのもとにも、
同じ報告が届いていた。
――対象者、休暇申請
――期間:一日
――理由:私的
ユリウスは、しばらく紙を見つめていた。
「……来たか」
部下が、慎重に尋ねる。
「対応は?」
「許可する」
「警護は?」
「付けるな」
即答だった。
「付けた瞬間、
“日常”が壊れる」
ユリウスは、指を組む。
「だが、観測は続けろ。
“起きなかったこと”を記録しろ」
***
ギルドに戻る。
「……大丈夫ですよ」
リリアは、努めて明るく言った。
「一日休んだくらいで、
何も変わりませんから」
「そうですよね」
アルトは、ほっとしたように笑う。
「じゃあ、明日はお休みします」
その背中を、何人もの視線が追った。
誰も、止めない。
止められない。
***
翌日。
アルトは、いつもより遅く目を覚ました。
「……静かですね」
街は、変わらず平穏だ。
歩き回り、露店を眺め、
普段通らない路地を通る。
「……ここ、前は通りにくかったはずなんですが」
気づけば、足元を整えそうになる手を、慌てて引っ込める。
「今日は、休みでした」
自分に言い聞かせる。
***
その頃。
街の外では、
小さな揉め事が起きかけていた。
商人同士の行き違い。
魔物の移動ルート。
結界杭のわずかなズレ。
どれも、“事件になる一歩手前”。
だが、
なぜか全て、自然に解消された。
誰かが介入した形跡はない。
***
夕方。
アルトは、少し疲れた顔で帰路についた。
「……たまには、休むのもいいですね」
それだけを思う。
ギルドに戻ると、
何事もなかったかのように一日が終わっていた。
***
その夜。
王都の報告書には、こう記された。
――対象者休暇日
――特異事象の発生:なし
――世界安定度:維持
ユリウスは、その紙を閉じ、静かに息を吐いた。
「……一日なら、耐えられる」
だが、続けてこうも思う。
「問題は、
“次に、どれくらい休みたくなるか”だ」
アルトは、何も知らず、眠りにつく。
世界が、
彼の不在を測り始めたことにも気づかないまま。
休暇は、無事に終わった。
――だからこそ、
次の一手が、
誰にとっても重くなるのだった。
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