第3話 Sランクが見に来る
ギルドの朝は、昨日までと同じはずだった。
掲示板の前で依頼を選ぶ冒険者たち。
酒場スペースから漂ってくるパンとスープの匂い。
いつも通りの、少しだけ騒がしい日常。
――少しだけ、違うのは。
「……なあ、聞いたか?」
「雑用係の話だろ」
「やっぱり本当なのか?」
ひそひそとした声が、あちこちから聞こえてくること。
私は受付カウンターの向こうで、表情を崩さないように必死だった。
昨日、ミーナさんに言われた言葉が、ずっと頭の中で反響している。
――過剰に怯えない。過剰に崇めない。特別扱いしない。
分かっている。分かっているけど。
ギルドの扉が開いた瞬間、空気が変わった。
重い、というより、鋭い。
肌に当たる圧が、明らかに違う。
背の高い女性が入ってくる。銀色の髪を後ろで束ね、軽装なのに無駄がない。腰の剣は一本だけ。それなのに、周囲の冒険者たちが無意識に道を空けた。
「……銀閃だ」
「Sランク……」
「なんでこんなところに……」
ざわめきが、ざわめきとして成立しない。
声が出ても、途中で消える。
セラ・ヴァイス。
王都でも指折りの冒険者。依頼成功率ほぼ百パーセント。
私でも名前くらいは知っている。
その人が、真っ直ぐ受付カウンターに向かってきた。
私は、背筋が勝手に伸びるのを感じた。
「冒険者ギルド、だな」
「は、はい! 本日はどのようなご用件でしょうか!」
声が裏返らなかっただけ、褒めてほしい。
セラさんは、少しだけ周囲を見回した後、静かに言った。
「ここに、“アルト”という雑用係がいると聞いた」
――来た。
心臓が、嫌な音を立てた。
「アルトさん、ですか?」
「そうだ」
視線が鋭い。
試すような、値踏みするような目。
「少し話がしたい。できれば、本人と」
断れる空気じゃない。
でも、簡単に呼んでいいとも思えない。
私が迷っていると、横から声がした。
「あ、僕ならここですけど」
アルトさんだった。
いつも通りの、少し気の抜けた声。
手には、雑巾とバケツ。完全に清掃中。
「今、床掃除の途中なんですが……急ぎでしょうか?」
ギルドが、凍りついた。
セラさんの目が、わずかに見開かれる。
「……お前が、アルト?」
「はい」
「雑用係?」
「そうです」
アルトさんは、少し困ったように笑った。
「何か粗相がありましたか?」
その瞬間だった。
セラさんの姿が、消えた。
――否、消えたように見えただけ。
次の瞬間、アルトさんの首元に、銀色の刃があった。
速い。
私には、抜刀の瞬間すら見えなかった。
「アルトさん――!」
叫ぶより早く、アルトさんが一歩下がった。
刃は、空を切る。
「あ、危ないですよ」
まるで、通路で人とぶつかりそうになった時みたいな声。
「床、滑りやすいので」
セラさんは、動きを止めた。
……止めた、というより、止まってしまった。
次の瞬間、彼女は大きく距離を取る。
剣を構え直し、息を整える。
「……今のを、避けた?」
「はい?」
「いや、今の速度だ。普通は見えない。反射も間に合わない」
「そうなんですか?」
アルトさんは首を傾げた。
「でも、来るかなって思ったので」
来るかな、で済ませていい速度じゃない。
セラさんの目が、完全に変わった。
疑念が、確信に変わる直前の目。
「……もう一度」
「えっ、ここでですか?」
「安心しろ。殺すつもりはない」
「それでも怖いです……」
アルトさんはそう言いながらも、剣を抜く気配はない。
バケツを端に置いて、両手を軽く上げるだけ。
セラさんが、深く踏み込んだ。
今度は、連撃。
剣が三本に見えた。
周囲の冒険者が、思わず目を背ける。
――当たらない。
全部、紙一重で空を切る。
アルトさんは、その場からほとんど動いていない。
少し体を傾ける。半歩ずれる。それだけ。
「すみません、あまり広い場所じゃなくて」
セラさんが、剣を止めた。
肩で息をしている。
対して、アルトさんは少しも乱れていない。
「……参った」
セラさんは、剣を納めた。
「私はSランク冒険者だ」
「はい、知ってます。噂で」
「その私が、本気で斬りにいって、一太刀も当てられなかった」
周囲が、ざわりとする。
アルトさんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。邪魔しちゃいましたか?」
違う。
そうじゃない。
セラさんは、しばらくアルトさんを見つめてから、低く言った。
「……力を隠しているのか?」
「?」
「それとも、本気で自覚がないのか」
「……?」
アルトさんは、少し考えてから答えた。
「避けるくらいなら、誰でもできますよね?」
その場にいた全員が、心の中で同時に叫んだ。
――できない。
セラさんは、短く笑った。
乾いた、でもどこか納得したような笑い。
「そうか。……分かった」
彼女は踵を返し、ギルドの出口へ向かう。
去り際、こちらを振り返って一言。
「忠告だ。あの男を、前線に出すな」
誰に向けた言葉なのか、分からない。
でも、確かに残った。
扉が閉まる。
しばらく、誰も動けなかった。
「あの……」
沈黙を破ったのは、アルトさんだった。
「床、掃除していいですか?」
私は、思わず声を上げた。
「は、はい! どうぞ……!」
アルトさんは、ほっとしたように笑って、バケツを手に取る。
その背中を見ながら、私は確信した。
――この人は、強いとか凄いとか、そういう次元じゃない。
そして、多分。
本人だけが、それに気づいていない。
ギルドの中で、噂がひとつ、確定した瞬間だった。
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