第11話 ダンジョンが、様子がおかしい
異変は、最初とても小さなものだった。
「……なあ、これ、前と違わないか?」
街外れにある小規模ダンジョン。その入口前で、中堅冒険者の一人が眉をひそめた。
「空気が、重い」
「魔力の流れも変だな……」
見た目は、いつもと変わらない。
石造りの入口、苔むした壁、薄暗い内部。
だが、長くこの仕事をしていれば分かる。
――“嫌な感じ”だ。
「念のため、奥までは行かない方がいいかもな」
そう言った直後だった。
ゴ……と、地面が小さく鳴った。
「……今の、地鳴りか?」
「いや、そんな大きさじゃ……」
ダンジョンの奥から、微かに風が吹き出してくる。
冷たく、湿っていて、妙に粘つく感触。
「撤退だ」
判断は早かった。
数分後、ギルドに緊急報告が入る。
――小規模ダンジョンに異常反応
――内部構造の不安定化を確認
***
「……ダンジョン、ですか」
ギルドのカウンター裏で、リリアは報告書を読みながら小さく息をのんだ。
小規模とはいえ、ダンジョンはダンジョンだ。
放置すれば、魔物の流出や崩落につながる。
「中堅パーティが初動対応中。今は入口封鎖で様子見、ね」
ミーナが淡々と言う。
「でも、嫌な感じはするわ。こういうの、だいたい……」
言葉が、途中で止まった。
二人の視線が、自然とロビーを探す。
――いない。
床を掃く姿も、箒の音もない。
「……アルトさんは?」
「今日は、倉庫の整理で裏に回ってる」
ミーナは、すぐに続けた。
「呼ばないわよ」
リリアは、分かっている。
分かっているけれど、胸の奥がざわついた。
ダンジョン異変。
冒険者が苦戦。
それなのに、“あの人”はいない。
***
現場では、状況が刻一刻と悪化していた。
ダンジョン内部の通路に、細かな亀裂が走り始める。
天井から、砂利が落ちる。
「くそ……!」
前線に出ていた冒険者が、舌打ちする。
「魔物の数、増えてるぞ! 奥で何か起きてる!」
「これ以上は無理だ、下がれ!」
撤退の号令が出た瞬間、崩落が起きた。
――ドンッ。
通路の一部が塞がれ、数人が取り残される。
「っ、退路が!」
「落ち着け! 別ルートを――」
だが、別ルートも安定していない。
まるで、ダンジョンそのものが拒絶しているみたいだ。
その時、誰かが、思わず口にした。
「……あの人がいれば……」
一瞬、空気が凍る。
言ってはいけない名前。
呼んではいけない存在。
でも、誰も否定しなかった。
***
ギルドでは、緊急会議が開かれていた。
「崩落が始まっている。最悪、ダンジョン封鎖も間に合わん」
「住民の避難は?」
「準備中だが、時間が足りない」
報告が飛び交う中、誰かが言う。
「……アルトを呼ぶべきじゃないか?」
その言葉に、室内が静まり返った。
全員が、ギルドマスター――グランを見る。
グランは、少しの間、目を閉じていた。
「……呼ばない」
低く、はっきりとした声。
「前線には立たせない」
「しかし――」
「それが、あいつの条件だ」
反論は、それ以上続かなかった。
代わりに、グランは指示を出す。
「周辺住民の避難を最優先。
ダンジョン外周の安全確保。
入口付近の崩落防止を急げ」
誰もが理解した。
アルトはいない。
だが、アルトを“基準”に、判断が下されている。
***
その頃、アルトは倉庫の奥で、古い木箱を整理していた。
「……これ、もう使えませんね」
壊れた留め具を外し、木材をまとめる。
いつも通りの雑用。
外で何が起きているか、詳しくは知らない。
ただ、少しだけ空気が騒がしいのは感じていた。
「……後で、何か手伝えること、ありますかね」
誰にともなく、ぽつりと呟く。
本人は知らない。
今この瞬間、
“いないこと”そのものが、
これほど強く意識されていることを。
ダンジョンは、静かに、しかし確実に崩れ始めていた。




