第10話 本人の願い
夜のギルドは、昼とは別の顔をしている。
人の気配は少なく、ランプの光も落ち着いていて、どこか安心する。
アルトは、この時間帯が好きだった。
誰にも急かされず、誰にも話しかけられず、ただ自分の仕事に集中できる。
「……今日は、静かですね」
独り言が、石床に小さく跳ね返る。
昼間のざわつきが嘘みたいだ。
いや、正確には――昼間が騒がしすぎる。
最近、ギルドの空気がおかしい。
視線が合うと、皆どこかよそよそしい。
話しかけられても、妙に丁寧で、距離がある。
(……俺、何かしましたかね)
思い当たることは、ない。
掃除をして、荷物を運んで、壊れたところを直して。
いつもと同じだ。
アルトは、倉庫の奥で箒を立てかけ、腰を下ろした。
今日は少しだけ、疲れている。
体の疲れじゃない。
気持ちの方だ。
「……静かに、働きたいだけなんですけど」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと漏れた。
その時、足音がした。
「まだ残っていたか」
グランだった。
「はい。棚の裏が、少し汚れていたので」
「もういい。今日は上がれ」
珍しい言い方だった。
命令というより、配慮に近い。
「……何か、ありましたか?」
アルトが聞くと、グランは少し考えた末、答えた。
「国から、問い合わせが来ている」
「……国?」
思わず、手が止まる。
「心配するな。名前は出していない」
「そうですか……」
それを聞いて、ほっとした自分がいることに、アルトは気づいた。
「……あの」
「なんだ」
「俺、今の仕事、嫌じゃないです」
グランは、黙って聞いている。
「前に出るより、後ろで支える方が落ち着きますし。掃除とか、整理とか……誰かがやらないと困りますから」
言葉にしながら、アルトは自分の気持ちを再確認していた。
戦うのが嫌なわけじゃない。
怖いわけでもない。
ただ。
「……目立つの、向いてないと思うんです」
グランは、ゆっくりと頷いた。
「分かっている」
それだけで、十分だった。
アルトは立ち上がり、箒を手に取る。
「じゃあ、これだけ片付けたら帰ります」
「……ああ」
グランは、アルトの背中を見送った。
その背中は、あまりにも普通だ。
特別な何かを背負っているようには、どう見ても見えない。
だからこそ。
(……守らねばならん)
グランは、心の中でそう決めた。
***
翌日。
ギルドの掲示板には、新しい注意書きが貼られていた。
――高危険度依頼は、慎重に選定すること
――後処理が必要な場合は、ギルドの指示を待て
名前は、どこにもない。
それでも、皆が理解した。
「……あの人のため、か」
「いや……世界のためだろ」
アルトは、その会話を耳にしていない。
いつも通り、床を掃きながら、心の中で願っていた。
(……このまま、静かに働けますように)
小さな願い。
だがそれは、
この世界にとって、最も叶いにくい願いだった。




