01.悪魔の化身、到着
あすかと大和は、ルイを連れてほほえみデンタルへ戻ってきた。
ルイの手には壺がある。
中身は見えない。
だが、ルイが商会で言っていた「悪魔の化身」が入っていることだけはわかっている。
あすかは隣を歩く大和を見る。
大和は壺から目をそらしていた。
あすかも壺を見ないようにしながら、ほほえみデンタルの建物を見上げた。
「えっと……ルイさん。着きましたけど……多分智子さんいませんよ」
「まぁまぁ。気にしない気にしない」
ルイはまったく気にしていない様子だった。
大和はその横顔を見ながら、そっと視線をそらす。
気にしないで済むのはルイだけである。
あすかと大和は、勝手に商会の会長を連れて帰ってきた側だった。
智子や美里がいないなら、なおさらどう説明するのかという問題がある。
(いやぁ……。絶対に俺らが怒られるッス)
大和は心の中でそう思った。
誰に怒られるのかはわからない。
だが、怒られる未来だけは見えた。
大和は隣のあすかを見る。
あすかは前を向いたまま、何かを考えている顔をしていた。
(どうやって大和だけが悪い方向に持っていけるか……)
あすかは真剣に考えていた。
ルイを連れてきたのは流れである。
だが、怒られるならできれば軽く済ませたい。
そして可能であれば、大和が前に出てくれた方が助かる。
大和はあすかの表情を見て、少しだけ嫌な予感がした。
あすかは何事もなかったようにクリニックの扉を開けて中に入る。
診療日ではないので、待合室は静かだった。
受付にも人はいない。
診療室の方も明かりは落ち着いている。
休診日のほほえみデンタルは、普段より少しだけ空気が軽かった。
あすかはルイを案内しながら歩く。
大和もその後ろをついていく。
(クリニックを通過しないと外に出れないのは面倒だけど、まぁ慣れてきたからそうでもないか……)
あすかはそんなことを思いながら、家の方へ向かう。
最初は違和感があった。
クリニックの中を通って、自宅側へ抜ける。
日本にいたころと同じ建物のはずなのに、異世界に来てからはその構造を意識することが増えた。
けれど、毎日通っていれば慣れるものだった。
あすかは廊下を進みながら、家の方へ意識を向ける。
(たしか……ゆかちゃんとすずちゃんが掃除してるんだよね~……。終わったかな?)
ゆかとすずは留守番だった。
みんなが出かけている間に掃除をする予定になっていた。
あすかはそんなことも思いながら歩みを進める。
クリニックを抜けて家の前につくと、玄関先ではすずが掃き掃除をしていた。
箒を持ち、玄関まわりを丁寧に掃いている。
その少し横では、ゆかが草むしりをしていた。
ゆかはしゃがみ込み、草を抜いてはまとめている。
2人とも掃除の途中だったらしい。
すずが顔を上げた。
あすかと大和に気づき、ほっとしたように口を開く。
「あ、あすかさん。大和さん。おかえりなさい………えっと……」
すずはあすかの後ろにいる人物を見て固まった。
知らない人がいる。
しかも、どこか身なりがよい。
ただの通行人ではなさそうだった。
ゆかも顔を上げる。
手についた土を軽く払いながら、あすかの方を見る。
「あすかさん。後ろの人は?」
「白穀を売っている商会の会長さん。白穀はこの後商会の人が持ってきてくれる」
ゆかは一瞬、言葉を飲み込んだ。
商会の会長。
白穀を買いに行ったはずなのに、なぜか会長本人が来ている。
ゆかは草むしりの姿勢のまま、あすかを見る。
「なるほど………。で、なぜそんな偉い人が?」
「うちの料理番長に見てほしい食材があるみたいっス」
大和が答えた。
答えながらも、自分で言っていて少しだけ不安になる。
料理番長は今いない。
智子と美里は市場へ行っている。
つむぎと大地も一緒だった。
すずは戸惑ったまま、ルイを見る。
「智子さんと美里さんに?」
ルイは穏やかに微笑んだ。
「はじめまして。ルイと申します。………こちらの料理人のかたに、白穀の他の食べ方や、これの食べ方を知りたくてね」
ルイは壺を持ち上げて言う。
ゆかとすずは、ルイの持つ壺を見る。
壺。
ただの壺に見える。
けれど、中に何かが入っている。
その中身を見てほしいと言っている。
すずは言葉を探した。
「料理人って言っても……」
「別に2人は一般家庭の料理しかしないけど………」
ゆかも続いた。
智子と美里は料理が得意だ。
みんなの食事を作ってくれている。
だが、料理人として働いているわけではない。
日本にいたころの一般家庭の料理を知っているだけである。
ルイはまったく困った様子を見せずに頷いた。
「それでいいんですよ。一般庶民に食の流通が広まればいいので」
「はぁ……」
「はぁ……」
すずとゆかは同時に返事をした。
意味はわかる。
白穀も、一般家庭でどう食べるかを知りたいのだろう。
けれど、今この家に料理番長はいない。
そして目の前には商会の会長がいる。
ゆかはゆっくりと立ち上がった。
草を抜いていた手を軽く払い、あすかを手招きする。
あすかは少しだけ嫌そうな顔をしたが、ゆかのそばへ近づいた。
ゆかは声をひそめる。
「あすかさん!どうするんですか!?」
「あたしに言われても困るよ!」
「困ることをしてるじゃないですか!!」
「だって~~~……」
「だってもへちまもない!」
「うっわ~~……大人になってひっさびさに言われた」
「あすかさん!」
「ごめんって」
あすかは小さく謝った。
ゆかの声はひそめられていたが、怒っているのはよくわかった。
あすかも悪いとは思っている。
ただ、ルイが行く気になってしまった以上、止めるのは難しかった。
大和は少し離れた場所で2人のやり取りを見ていた。
できれば巻き込まれたくない。
だが、あすかの視線が時々こちらに向く。
大和は何も見なかったことにした。
すずはその様子を見ながら、ルイを立たせたままにしていることに気づいた。
知らない人。
商会の会長。
壺を持っている。
状況はよくわからない。
それでも、玄関先でそのまま待たせるわけにはいかなかった。
すずは箒をそっと脇に置き、少し緊張した声で口を開く。
「あ……あの。とりあえず中に入って……お茶を……」
ルイはにっこり笑った。
「ありがとうお嬢さん。お家のお手伝いえらいですね~……」
そう言って、棒のついた飴をすずに差し出す。
すずは一瞬、固まった。
目の前に差し出された飴を見る。
それからルイを見る。
どう受け取ればいいのかわからない。
けれど、断るのも失礼な気がした。
すずは乾いた笑いをあげながら、飴を手に取った。
(こっちに来てからいろんな人から飴をもらう機会が増えたなぁ……。23なんだけどなぁ……)
すずは手の中の飴を見た。
子ども扱いされているのかもしれない。
ありがたいのかもしれない。
よくわからない。
ただ、もらった飴は飴だった。
大和はその光景を見つめていた。
(い~な~)
大和はただ一人羨ましそうにその光景を見ていた。
ルイは壺を抱えたまま、すずに案内されて家の中へ入っていく。
ゆかはあすかを横目で見た。
あすかは目をそらした。
大和も目をそらした。
掃除中だった玄関先に、予定外の来客がやってきた。
そして、その来客は料理番長を探していた。
今この家に料理番長はいない。
その事実だけが、玄関先に残っていた。




