06.手のひらで交わす意思疎通
大地とあすかは、ローランの診察を始めることにした。
入口には相変わらず見物客がいるものの、まずは目の前の患者と向き合うことが大切だった。
大地はローランの方へ向き直り、にこやかに挨拶をする。
「はじめまして。僕は大地といいます。こちらはあすかさん。これからは僕たち2人でローランさんのお口の事を見ていきますね」
大地は初めての診察ということで、簡単に自己紹介をしていく。
これから継続して診療を行うことになるため、まずは自分たちのことを知ってもらう必要があった。
しかし、ローランは大地をじっと見つめる。
そのあと、事務の方へ視線を向けた。
事務の人はその様子を見て、何かを察したように頷く。
そして、ローランに紙とペンを渡した。
ローランは受け取った紙に何かを書き始める。
大地とあすかは、その様子を見ながら待っていた。
やがて、ローランが書き終えた紙を二人に見せる。
『わたしはローラン。あまりしゃべれないからこれで。耳は聞こえるから問題ない』
書かれた文字を見て、大地とあすかが頷く。
ローランは会話をすることが難しいものの、こちらの声は聞こえているらしい。
つまり、質問をすること自体に問題はないが、回答については筆談を利用する必要があるということだった。
あすかは患者シートを確認し、備考欄に“聴覚問題なし。要筆談”と書き込んだ。
今後も継続して診療することを考えれば、こうした情報は残しておく必要がある。
大地はその様子を見ながら、少し考える。
質問のたびに紙へ書いてもらうことはできる。
しかし、問診では確認しなければならないことも多かった。
(う~ん………。何か聞くたびに書いて答えてもらうのも大変だから……)
大地はローランを見ながら、やり取りの方法を考えていた。
筆談であれば細かな内容を伝えることもできるが、簡単な確認まで毎回文字にしてもらう必要はないかもしれない。
特に、これから口の中を調べることになれば、診察を続けてもよいかどうか確認する場面も出てくる。
そのたびにペンを持ってもらうのは、あまり効率的とはいえなかった。
大地は笑顔になり、ローランを見る。
「じゃぁ、ローランさん。いくつか質問をするので、もし分かった、理解した、いいよ。と言うのであれば手を一回叩いてください」
大地はジェスチャーを交えて説明する。
言葉だけで伝えるのではなく、自分でも手を動かしてみせた。
ローランも同じように手を動かす。
その様子を確認した大地は、説明を続ける。
「もし、分からない、いやだ。と言うのであれば2回手を叩いてください」
ローランは頷きながら手を2回叩く。
説明を理解したうえで、動作を確かめているようだった。
大地はローランの反応を確認すると、もう一つ付け加えた。
「それと、それでも説明がむずかしいようでしたら、先ほどのように紙に書いてもらえますか?」
大地の質問に、ローランが手を1回叩く。
大地はその回答に頷いた。
これで、簡単な意思表示は手を叩く回数で確認できるようになった。
もちろん、それだけですべてのやり取りができるわけではない。
詳しく説明してもらう必要がある場合には、これまでどおり筆談を利用すればよかった。
あすかも大地とローランのやり取りを見ながら、患者シートの備考欄に“Yesは1回、Noは2回手を叩く”と付け足した。
今後の診療でも同じ方法を使えば、ローランとの意思疎通がしやすくなる。
そんな二人の様子を見ていたリンは、手元のメモに目を落とした。
(ほえ~~……すごく簡単にやり取りするなぁ)
リンがメモを取りながら感心する。
最初は筆談を使うという話だったが、大地はそこからさらに簡単な方法を考えていた。
質問に対して肯定か否定かを伝えるだけなら、わざわざ文字を書く必要はない。
しかも、複雑な道具を使っているわけでもなかった。
ギルも、そのやり取りを見ながら考えていた。
(いや、すごいな。……そう言う方法もあるのか……もっと簡単に考えればよかったな)
大地が提案したのは、手を叩く回数によって意思を伝えるという単純な方法だった。
しかし、ローランが実際に応じている様子を見ると、それだけでも十分に意思疎通ができることが分かる。
二人が感心していると、入口にいるギャラリーが驚きの声を上げた。
それまで大人しく診察の様子を見ていた人たちも、ローランが手を叩いて返事をする様子に反応したらしい。
突然の声に、事務の人が入口へ顔を向けた。
「皆さんお静かに!」
事務の人が口元に指を当てる。
見物客たちは口元に手を当てて黙り、頷いた。
大地はその様子を見て苦笑する。
あすかも同じように苦笑いを浮かべた。
静かに見てもらえるなら構わないとは伝えていたが、診察中に声が上がると、どうしても気になってしまう。
そんな二人の様子を見ていたローランが、再び紙に何かを書き始めた。
大地とあすかが視線を向けると、ローランは書き終えた紙を見せる。
『すまない。気になるなら追い出すが……』
二人は目をぱちくりさせて笑う。
どうやらローランも、見物客のことを気にかけてくれたらしい。
大地はローランの方を見ながら答えた。
「大丈夫ですよ。僕たちは気にならないので。ローランさんが気にするなら別ですが」
「ちょ~っと静かにはしてほしいですが、問題ないです」
あすかも笑顔で答える。
確かに見物客がいると、普段の診療とは少し勝手が違う。
しかし、ローラン自身が気にしていないのであれば、無理に出て行ってもらう必要はなかった。
何より、診療を受けるローランの意向が大切だった。
ローランは二人の返答を聞くと、再び紙に文字を書いた。
『そうか。……ならこのままでお願いしよう』
「はい。わかりました」
「お願いします」
大地とあすかはローランに答えた。
筆談に加え、手を叩く回数で意思を確認する方法も決まった。
ローランとのやり取りに必要な情報は、あすかが患者シートに記録している。
二人はローランの様子を確認しながら、診察を進めていくことにした。




